ぼくが誰だかわかりましたか

愛裏の裏

.

可愛い女の子になりたかった。

砂糖とスパイスと素敵なもの全部でできている、リボンとフリルとレースが似合う小柄で華奢な女の子。



現実の鏡に映るぼくはそんな理想とは程遠い姿をしていました。生まれた時からずっとそうでした。

幼少期は母親と父ではない男に毎日のように殴られたり罵られた記憶しかありません。

可愛くない、大嫌いだなんて何度言われたことでしょう。他の子どものように愛され慈しまれることはおろか、必要最低限の世話もされずこの世を生き抜く知恵も常識もまともに教えてもらった覚えはありません。

だからですかね? 小学校に入学してから通信制高校を卒業して今だってずっと友達がいないんですよぼく。自己中で迷惑なブサイクだと虐められたこともありました。ただただ苦痛な人生でした。

……そういえば、あなたにも「もっと私の事情も考えてくださいよ」とか言われて喧嘩したことがありましたっけ。ぼくは自分のことでいっぱいいっぱいなだけだったんですが、ごめんなさい。

もうぼくらが別れて結構な時間が経ちましたが、改めて言わせてほしいです。

なお君、いえ島谷直樹さん。あなたとお付き合いさせて頂いていた時間はぼくのこんなクソみたいな生涯の中でただ唯一きらきらと輝いていた貴重なひと時でした。


インターネット越しのクッキー☆とかいうカスみたいな人に言えないコンテンツがきっかけの出会いでしたね。なお君が面会室で彼女と別れたとへこんでいた時、実は彼女がいたという事実が途方もなくショックだったし彼女と別れて今はフリーだという事実が途方もなく嬉しかったものです。

勿論純粋に悲しむなお君を慰めたいという気持ちもゼロではありませんでしたが、これをきっかけにとDMを送って仲良くなりたいなというぼくの下心だか恋心から分からない気持ちから始まりましたね。ディスコードでふたりで例のアレの動画や映画の違法視聴なんかをしては、あれやこれやと感想を言いあったのは夢のような思い出です。

ぼくが心から気に入っていたとっておきの映画だったのに、なお君がお気に召さない時にはあからさまに興味のなさそうな反応をされたり、なお君から性器の画像を送られたり逆にぼくに性的な画像を送るよう要求されたのは割と嫌な思い出ですけど……。

こうして仲を深めていって、現実で初めてぼくとなお君が会う約束をしたのはもうどれくらい前になるでしょうか。

初めてのデートの前日に自室のクローゼットをひたすら漁っていたのは覚えています。殆ど黒か灰色かネイビーの無難を通り越して地味な服の中、一着だけ通販サイトでこっそり買った可愛い空色のワンピースがありました。

一度も袖を通したことがなかったそれを、あなたに少しでも可愛いと思って欲しくて初めて着て。くるりと回ってみるとフリルとレースのついたスカートがふわっと広がって、ぼくの狭くてどんよりとした世界も素敵に広がったように思えてなりませんでした。……やっぱり、せっかくのデートはこれを着ていこうかな。

そう思っていたらいきなりノックもなく扉が開いて、眉を顰めた母がぼくを睨んでいました。ぼくを一瞥すると汚いものでも見たかのように顔を歪めてため息をついていた、その目と言葉はずうっとぼくの心に染み付いています。

「あんたさぁ鏡見たことないの? こんなブリブリの上にこんなゴツいブサイクな顔が乗っててさ、少しでもおかしいなって自分で思えない?」

そう言われてからもうそれなりの時間が経つのに、ぼくの頭の中のずっと消えてくれない呪いの言葉。……似合ってないってことですね。可愛いのはワンピースだけで、それを着ただけのぼくの身体と顔も同時に可愛くなるわけじゃないですよね。えぇ、そうですね。

ぼくは大人しくグレーのパーカーと黒いチノパンとボロボロのスニーカーで家を出ました。

……可愛い服が似合わなくたって、それでもぼくにはなお君がいるのだと己を必死に鼓舞していました。


実際会った第一印象はお互いこう……アレッ、って感じでしたね。まあクッキー☆厨に美男美女なんてそう居ないでしょうけど。

ぼくは身長が168cmくらいなんですが、なお君はそれよりも背が低かったですね。少女漫画なんかによくある、隣の素敵な彼をドキドキしながら上目遣いで見上げてみたいななんて夢が叶わなくて実はちょっとガッカリだったのは内緒。……なお君がもっと背が高いか、ぼくがもっと小柄だったら良かったのに。

髪も理想を言えば丸刈りよりもある程度長さが欲しかったかな。けどなお君はぼくと違ってそこまで若くもないですしハゲた部分とかもあったかもしれないですし、変にあがくよりも潔く剃っていた方がマシだったんですかね? 無理やりジャニーズみたいな髪型したってその覇気のない顔の造りじゃ似合わないでしょうし。

あと1番文句言いたかったのは服! 何で毎回ザ・オタクみたいなチェックシャツか痛い中学2年生が好みそうな黒地に英字が書かれてるようなありえない服しか着てきてくれなかったんですか? ほとんどの服に毛玉ついてたし。あなたぼくの彼氏ですよね? 少しでもオシャレしようとか思ってくれなかったんですか? ぼくがどれだけクローゼットの前で悩んでたと思ってるんですか。

顔はなお君は10年前のものが既に特定されてたから、そりゃこんなもんだろうとは思ってましたけど。あんまり外に出ていないからか妙に生白い肌でしたね。

顔のむくみは塩分の摂り過ぎが原因らしいですよ、付き合っている時に何度も言いましたけど、しょっちゅう食べてるラーメンやらうどんのスープを全部飲み干すのはやめた方が良いですよ。

って、本当に聞いてくれませんでしたねえ。なお君があなたなりにプライドを傷つけられたと感じた時や己の言うことに辻褄が合わなくなった時とか、大体雑に誤魔化してましたよね。酷い時は無視したりとか。ぼくのこと舐めてたんでしょうね。あれ本当になお君の服と同じくらい、いやそれ以上にダサかったですよ。

……なんて本音と不満は一言も言えませんでしたけどね。元々の関係性がファンのぼくと神みたいな創作者のあなたで対等でもなんでもなかったわけですから。

ああでも、あんなに偉そうに演出解説だなんだとやっていた創作者としても憧れの自己矛盾兄貴が、実は丸亀製麺で週4日6時間のバイトと親からの仕送りで生活していたなんてのを教えてもらった時は心の底からガッカリしましたよ……。いや深夜から朝の4時くらいまで毎日平気で通話していた時点でちょっと変だなあとは思っていたんですけど。何よりぼくも無職ですから、そんな人様の仕事に文句なんて言える立場じゃないんですけど。


いつも映画館で映画を観た後に、なお君の好きなラーメン屋かマックか、バイト先の丸亀製麺なんかのチェーン店に食事に行きましたね。あとは激安食べ放題の焼肉にも連れて行ってくれましたね。なお君はよくうどんの蘊蓄なんかも語っていましたね。ぼくはうどんなんてろくに興味がなかったから適当に聞き流していたので何ひとつ覚えてはいないですけど。

なお君の食べっぷりはアラフォーにしては結構すごかったですね。顔やお腹に順当に栄養がいってるなあと。

ぼく達はちゃんと恋人同士だった筈なのに、なお君だってぼくを好きだと言ってくれたのに、他人にどう見られるか分からないし恥ずかしいと言って街中では一切手は繋いでくれませんでしたね。憧れだったんだけどな。寂しかったし悲しかった。あなたの隣にいるのが周囲に見せびらかしたくなるような小さくて可愛い女の子じゃなくてごめんなさい、そんな気持ちにも苛まれていました。


でも、お互い結婚なんてしていないはずなのに不倫カップルのごとくラブホテルやなお君の住む川崎市宮前区の狭いワンルームにコソコソと別々に入った割には、同じ部屋に合流した後のなお君はいつも情熱的に……というか熱狂的いや偏執的にぼくを求めてくれましたよね。

ホテルの狭い悪趣味な部屋や殺風景な兎小屋にいる間のなお君は、街に溶け込んでぼくと距離感を保ちたがっていたあなたとは本当に別人のようでした。

食事や映画は大体安い店をアラフォーとハタチそこらの2人で割り勘していたくせに、縛りプレイをするための縄やぼくに着せるコスプレ衣装なんかのエログッズには糸目もなく金を出す姿にはわりと引きましたが。

ペニスを突っ込んで腰を振るだけの人には分からないでしょうが、受け入れる側というのは結構疲労感や物理的なダメージがあってあなたが思うよりもすごく大変なんですよ。それでぐったり疲れていたら「私はあなたの彼氏なのに相手をしてくれないなんて」と不機嫌になられるのは本当に勘弁してほしかったです。

自分はぼくにフェラさせるのがやたらと好きなくせに、ずーっと無反応で寝転がってるだけなのもやめてほしかったな。やる側は顎がかなり疲れるし、基本的にノーリアクションでこっちが必死に変則的な動きをしないと声も出さずに……。

大好きな彼氏と素敵な夜なんてムードはぶっ飛んで、ぼくは一体何の苦行をさせられているのかと全くエロくない意味で内心悶々としていましたよ。

それと、なお君の尿を飲まされたのも何の罰ゲームなんだ? としか思えなかったです。普通にぼくは何ひとつ気持ち良くないどころか、生理的にシンプルに気持ちが悪いし変な味がするしなんか病気になったら嫌だなとか考えちゃって。いやあれ本当に何だったんですか……? 確かにあの時は断れませんでしたけど、ぼくは一切望んでなかったどころか、かなり嫌でしたからね。

色々と言えなかった文句が結構あります。なお君とのセックスって面倒臭い上に別にたいして気持ち良くもなかったな……。なんて事を思ってても場の雰囲気壊さないように演技するのも疲れるし。激しくすりゃいいってもんじゃないっていうか、こう、エロ漫画の読み過ぎですよ。今まで何人かの女性と交際経験があったのに、どの恋人からもセックスにありつく前にふられて35歳まで童貞だった反動がすごすぎじゃないですか?

何だかんだでかなりの回数体を重ねていたと思いますけど、ぼくはなお君の妄想通りに性的に満足したことなんてほぼほぼ無いですよ。演技してあげてたから、なお君は勘違いしてましたけど。


それでも、ぼくはなお君とセックスするのは大好きでしたよ。親からも誰からも愛されたことが無かったから、人と触れ合うことに飢えてたので。アラフォーのちょっとザラザラで脂っぽい触り心地で至近距離だと多少いやな臭いがしてても人肌と体温って本当に心地いいですね。

外の世界と切り離されたような狭い部屋でぼくとなお君が一つになるだけの時間は、それ以外の嫌なことを考えなくて済むからクソみたいな人生を一瞬だけでも忘れられたんですよね。本当はコンドームのゴミを捨てれば現実に引き戻されるようなくだらない現実逃避でも、たまらなく陶酔していました。

なお君の趣味で縛られるぼく、ペラペラでサイズも合っていないコスプレ衣装を着たぼくに、「可愛いですね」と囁く声のなんと甘美なことだったか!

可愛い、なんて親にも級友にも誰にも言われたことがなかった。喉から手が出るほど欲しかったあの言葉。ぼくはなお君とセックスしている間だけは理想の可愛い女の子になれているのだと、何もかもが輝いて見えました。

何度か会ったあとにコッソリと初デートで水色のワンピースを着てこれなかった話をしたときに、「絶対似合うじゃないですか、持ってきて着替えたら良いですよ」と楽しそうになお君は笑ってくれましたよね。

ぼくは可愛いリボンのワンピースが似合う乙女なのだと認められたような気がして、ものすごく嬉しかったものです。

確かお互い服を着たままでも大興奮でしたね。最初は優しい感じの触りかたをしてくれていた気がします。

その後胸元をはだけさせたくなったのか、ワンピースを乱暴に引っ張られてボタンが取れた挙句にヨレてあなたの体液のシミまでついたのは今でも根に持ってますからね。

何度もぼくの魂と同じくらい大切な一張羅なのだとなお君に伝えていたのに。届いてなかったんだなって。


ぼくはあなたのことが本当に好きだったつもりなんですけどね。殴ってもこないし死ねとも言ってこないし、声と喋り方も、独特の闇を感じる趣味の世界観も、マスクをしてたらちょっと可愛く見えなくもない顔も、体温が妙に高くて心地いいのも、こんなぼくの居場所になってくれるのも、ぼくを抱いている最中は可愛い女の子として扱ってくれるのも、本当に好きだったのに。

なお君にとってはぼく自身の事もぼくが大切に思っていた物も、どれも全く好きでも大切でもなかったんでしょうね。ただぼくの身体だとか、アラフォーがハタチの人間と付き合えてるステータスとかのクソみたいな物にしか興味が無かったんでしょうね。多分。なお君のうっすらこっちを見下してくる自分語り、あんまり聞いてなかったんでよく分かんないですけど。

離れてみるまで自分自身の中でも認められませんでしたけど、思い返せばぼくもなお君も、映画を見てる時もご飯を食べている時もセックスしてる時だっていつだって、自分の言いたいことばかりを垂れ流して相手の話なんて右から左だったのかもしれませんね。

アレこれ前にも話したんだけどな……って話題を初めて聞きましたみたいな顔して聞いたことも聞かれたことも結構ありましたね。

……薄々気が付いてはいたんですが、やっぱりぼくもなお君も二人とも、ただお互いの表面的などうでもいい場所しか気に入ってなかったんでしょうね。何らかの見栄や不安や寂しさや性欲に突き動かされただけ、己の欲望を押し付けられるぬいぐるみが欲しかっただけで、本当は条件さえ合えば誰でも良いような物だけを貪り合っていましたね。

ぼくらお互い個人はろくに見てなかったし興味もなかったんです。ぼくもなお君も、このたった2人だけの関係を心から大切にして深めていこうなんて、ちっとも思えてなかったんでしょう。

なお君はぼくがどれだけリボンやフリルを大切に思っていたかも、どれだけ小さな可愛い女の子になりたかったのかも、ぼくの好きな食べ物や映画が何かも家族との苦悩だってどれだって覚えてくれてなかったでしょう? 本当はなお君のそんな態度が寂しくて仕方なかったことも微塵も分かってくれてなかったでしょう?

かくいうぼくも、なお君の好きな本やご家族の話やバイトの愚痴なんてすぐ頭から抜け落ちちゃいました。影響を受けた映画やご自慢の創作論だって忘れてしまいました。色々と教えてもらった覚え自体はあるんですが、内容そのものには興味がなかったから、全部思い出せません。

性欲のためにぼくを都合よく可愛い女の子として扱ってくれたことしか覚えてません。

本当の気持ちなんて知りません。


ぼくが誰だかわかりましたか。

あなたが誰だかわかりませんでした。


その挙句、なお君はぼくと付き合うよりも先にほかに付き合ってた女がいたそうですね。ぼくは本命なんかじゃなくて浮気相手だったんですよね。

っていうか何勝手にぼくとのハメ撮り見せてるんですか? 何考えてるんですか? あの女だって困惑でしょう……。それで3人で付き合いたいだの、やっぱり無理みたいだからぼくよりもあの女を優先したい別れようなんて言い出して、本当にショックでしたよ。

どこまでも男でしかないゲイのぼくとバイのなお君のカップルでしたから、小さくて可愛い女の子に負けるならそれはもう仕方ないと思っていたんですよ? なのに何ですかあのデカくて男みたいな女は、ぼくとあの女の何が違うっていうんですか?

泣かれたから? ぼくだってずっとなお君の前で寂しいもっと愛してずっと一緒に居てって泣きたかったですよ、あんな女とは別れてぼくのことだけを考えて欲しかったですよ。でもあなたの負担になりたくなくて弁えてたんですよ……。嘘です、なお君に面倒な男なんて思われて嫌われて捨てられたくなくて我慢してただけです。

もしぼくが先に泣いていたら、あの女ではなくてぼくを選んでくれてましたか? なんて、誰か相手だろうとなお君にとっての一番はずっと自分自身なんでしょうかね。ぼくにとっての一番もずっと自分自身でしたけどね。

結局あの女もあの女自身が一番だったんでしょうね。あの女とも切れて色々と恥ずかしい過去をバラされてましたしね。複雑な気持ちで見てましたよ。ぼくの事もあれこれ吹聴されて気持ち悪い……。最悪。


それでもぼくはあの時なお君のことが好きでした。

あなたに心から愛されはしなかったし本当はぼくも愛していなかったけど、ぼくのような男が砂糖とスパイスと素敵なもの全部でできている、リボンとフリルとレースが似合う小柄で華奢な可愛い女の子になれたのだと錯覚できた、あの時間だけは心から愛していました。

ありがとうございました。


あなたの元彼 路島より

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ぼくが誰だかわかりましたか 愛裏の裏 @aiura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る