『売る少女』
「・‥なにごとも、りこ心やきょえい心ではなく、へりくだって、あい手をじぶんよりすぐれたものとかんがえなさい。へりくだる人はさいわいである。それが神のおことばです」
前よりも人の減った表通りで、少女は懸命に訴え続ける。
「キリストのおことばが、あなたがたにゆたかにやどりますように」
十字を切って両手を合わせ、瞳を閉じる少女。そこへ、物陰から声を掛けるタイミングを見計らっていたタキ軍曹が、そっと近付く。
「うめ君」
「タキぐんそう。こんにちは」
ぺこりとお辞儀する少女。タキ軍曹は先日と同様、踵を揃えて丁寧な敬礼を返すと、少女の前に膝をついて話し始めた。
「どうだ、生活の方は。何か困った事はないか」
「もんだいありません。このあいだ、おコメを買えました」
「そうか。きちんと食べておるか」
「はい」
「最近では、前より物価が上がって、大変だな」
「ぶっかってなんですか」
「物の値段だ。米の値段も、数日前より高くなった」
「わかりません。おコメを買ったのははじめてで」
「次に米を買おうと思ったら、今より上がっておる。ある程度の量を、確保しておくべきだな」
「きょうか、あしたにも買います」
「それが良い。一ヶ月分か、二ヶ月分か。多めに買っておくのだぞ」
「そんなには買えません」
「お金が足りんか。前の銃弾の代金では、そうだな。不十分かも知れん。また銃弾があれば、買い取ろう」
「買ってくださいますか。ここにあります」
少女は足元にある布の包みを差し出す。以前の二倍か、三倍はありそうだ。
「たくさん拾ってきたな。うめ君には才能がある。弾拾いの才だ」
「まい日さがしています」
「そうなのか。そう言えば、この間ここを通ったのだが。うめ君はおらなんだ」
「つじだちは、日ようだけです」
「毎日やっておるものと思っておった。日曜日以外はやらんのだな。道理で。何回来てもおらんわけだ」
「なんかいも、こちらに」
「そうだ。うめ君が心配だったからな。様子を見に来たのだ。何かあったのかと思ってしまったぞ」
そう言って悪戯っぽい笑みを浮かべる。戦時下の日本では冗談になっていないのだが、二人とも意に介する様子はない。
「ご心ぱいをおかけしました」
「これも軍人の務めだ。気にするな。それにしても、良く出来た子だ。偉いぞ」
軽く少女の頭を撫でる。
「ところで銃弾だが。前よりも多いな。生憎と、伍圓しか持ち合わせがない」
「じゅうぶんです」
「前の何倍もあるが。同じ値段で良いのか」
「はい。じつは、ここにあるのはいちぶだけです」
「何ッ」
「これがあると、わるい人にとられてしまいます」
「そうか・‥」
苦渋の表情を浮かべるタキ軍曹。このような少女を襲い、荷を奪う輩がいるのだ。日本の治安が悪化している。戦争の影響による生活困窮の表れ。
「だから川のほうや、チャーチのなかにかくします」
「そうか。そうだな。それが良い。少しずつ持って来てくれ。出来る限り、私が買い取ろう」
「でも、こんな大きん、よいのでしょうか」
「なに。国からの恩給だ。軍隊におる限り、使い道はない。仕送りする家族もおらん。うめ君に使って貰う方が、有意義というものだ」
「神はあわれみぶかい。タキぐんそうをつかわしてくださったのですね」
タキ軍曹は「私はそんな大層な者ではないよ」と軽く笑って、ポケットから
「ちょうど伍圓ある。確認してくれ」
「大じょうぶです。じゅうぶんです」
少女は確認もせず、大事そうに懐に入れる。
「落とさぬようにな」
少女の動きを優しい瞳で見守ってから、購入した金属片を、最後のひとつまで余さず両手で掻き集め、幾つもある軍服のポケットへ入れる。
「また、きてくださいますか」
「必ず来る」
縋るように、うっすら涙を浮かべる少女に、タキ軍曹は優しく、力強く応じる。少女の頭を撫で、膝の土埃を払いながら立ち上がると、「では。民間の金属提供に感謝する」敬礼をひとつ残して、颯爽とその場を後にした。
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