七不思議その三、屋上に星の海

にゃー

屋上


 うちの高校、緑菜みどりな学園はちょっと変わってる。

 

 まず敷地がやたらめったら広かったり。それに任せて増改築を繰り返した結果、一棟一棟が十分大きい校舎が全部で四棟もあったり。それとは別館で、これまた高校にしては大きすぎるくらいの図書館があったり。グラウンドが三つあったり。変な七不思議があったり。あとは、うん、第三校舎だけなぜか屋上の鍵が開いていたり……というのは、私しか知らないみたいだけれども。 

 ともかくいま大事なのはこの一番最後のやつ、第三校舎の屋上。一年のときに見つけた私だけの秘密の場所。人嫌いというわけではないけれども、静かで誰もいないというのはなんとも気分が良い。昼休みに一人でお昼ご飯を食べたり、放課後になんとなく黄昏れてみたり。下手をすると自分の家よりも居心地良く感じている。別に、家族仲が悪いという話ではない。

 そんなそのお気に入りの場所で今日も今日とて手すりにもたれて、ぼんやりとグラウンドを見下ろす。自分の髪が、気付けば腰まで伸びていた黒いそれが風に靡くのが視界に入った。そろそろ切ったほうが良いかなぁなんて考えた、まさにその瞬間に。


 後ろから、がちゃりとドアの開く音がして。

 初めて私以外の人がこの場を訪れた。


「──え、開いて、っ、え?」


 どうも聞き覚えのある声。振り返ってみれば見覚えのある顔。クラスメイトの女子、星崎ほしざきさんが、ぱっちりとした丸目をさらにまーるく見開いて、顔全体で驚きを表していて。日光を遮るものもない屋上じゃ、赤茶けたふんわりショートヘアがさらに赤く輝いて見えた。


「ぇ、ね、音峰ねみねさんっ?」


「ど、どうも」


 こっちは縁のほうの手すり際。あちらは屋内へ続く階段口のすぐ前。距離は少しあって、お互いに立ち止まったまま。クラスメイトとは言ってもあまり交流はないものだから、返事もそっけなくなってしまう。いや私の性格によるところも大きいけれども。

 とにかくその、クラスのムードメーカー的存在がこんなところに、しかも一人で現れたことに私は驚いてしまって。星崎さんのほうも、まさか屋上の鍵が開いててしかもクラスメイトがいるだなんて思ってなかっただろうから、同じく驚いてしまって。結果、なんとも微妙な空気がいま、私たちのあいだを流れている。


「……」


「……」


「……え……っとぉ」


「うん」


「音峰さん、なんでこんなとこに?」


「……なんとなく?」


「そ、そぉーっ……なんだぁ」


「うん」


「……」


「……星崎さんは、どうしてここに?」


 お互いにテンポの掴めない会話が少し続いて、それからようやく、星崎さんは糸口を見つけたという顔をした。ぱぁっと明るく、賑々しい表情。分かりやすく愛嬌がある。


「ふふふっ、わたしは七不思議を調べにね」


 口から出てきたのは、変な理由だったけれども。


「……七不思議?」


「“七不思議その三、屋上に星の海”……って、知ってる、よね?」


 この学校は七不思議も少し変だ。いや、不思議なんだから変じゃないわけないんだけれども。で、そのうちの三つめが確か──


「──“雨が降ったあと屋上に星の海が現れる”だっけ」


「そうそれっ」


「今日は一日中晴れだったけど」


「ま、まあそうなんだけど……とにかく、わたしは“その三”担当になったから、とりあえず屋上巡りでもしてみようかと思ってっ。でもそもそも屋上って開放されてないしとも思いつつ、第一・第二は案の定ドア鍵かかっててっ、でもでもなぜか第三ここは開いてるし音峰さんいるしで改めて考えてみてもこれは一体どういうこと??」


 どこかリズミカルな長台詞。口が回るほどトーンが上がっていく声音は、聞き手に煩わしく感じさせない絶妙なライン。教室でもよく耳に入ってくるそれが、私へ向けて飛んでくる。小首をかしげるその仕草までもが、いかにも朗らか。だからというわけではないけれども、距離は保ったまま答える。


「なんでここだけ開いてるのかは分かんないけど。私がここにいるのは……たまたま知って、それで…………気に入ってるから?」


「なーるほどー?」


 納得したようなしてないような声が返ってきた。そんな反応をされても、私だって自分でもよく分からない居心地の良さを理由にここにいるわけで、これ以上は説明のしようもない。だからまたこちらから切り返してうやむやにする。

 

「というか星崎さんこそ、七不思議を調べにってどういうこと? 担当ってなに?」


 まあ、聞きつつもなんとなく予想はついてるんだけども。

 彼女はクラスのムードメーカーで、男女問わず友達が多くて、それで──本人のいないところでは“ヒロイン”なんて呼ばれてる。うちのクラスには“主人公くん”がいるから。


「あーそうそうっ、秀太しゅうたが図書館で七不思議の調査ファイル? みたいなの見つけてさっ、それで皆で手分けして調査してみようぜーって話に」


 案の定、クラスメイトの柊木ひいらぎくん──通称“主人公くん”の名前が出てきた。なんで“主人公くん”かというと、毎日幼馴染、先輩、後輩、妹の美人美少女四人と一緒にいるから。先輩さんも後輩さんも妹さんも、昼休みとか普通にうちのクラスに入り浸っている。で、その“主人公くん”のクラスメイトにして幼馴染が、いま私の目の前にいる星崎さんというわけ。

 まあ、学校の綺麗どころを侍らせてるからって点以外にも、普段の言動がどことなく主人公っぽいっていうのもあだ名の由来の一つではある。それこそ七不思議調査だとか、わりと言いそう。


「なるほどねぇ」


 だもので私もそれ以上は突っ込まず、適当に頷いて済ませた。星崎さんとも柊木くんとも、彼の周りの“ヒロイン”たちとも交流はないし。ただ懸念点は、よりにもよってその“主人公くん”グループに、ここ第三校舎屋上が出入り可能だと知られたこと。なんとなくこう、独り占めも終わりかという気がしてしまった。


「……」


「……」


「……えーっと」


 そんな私の気持ちが、もしかしたら態度に漏れていたのかもしれない。

 星崎さんはまたしても気まずそうな表情に戻って、それからすっと、足を一歩引いた。


「と、いうわけなのでっ、第四校舎のほうも見てこよっかなぁ〜っと。開いてるか分かんないけどっ、てかそもそもどこの屋上の話かも分っかんないけどっ」


「……そっか」


「うん、そうっ」


「じゃあ、なんだろ……頑張って?」


「がんばりますっ」


 おどけるような敬礼から、くるりと体を半回転。なんだか芝居がかった動きで、星崎さんは屋内へと戻っていった。ちなみにここ以外の建物の屋上は全部閉まっている。前に確かめたから分かる。


「……」


 閉じたドアを眺めながら、どうしようかと考えてみる。いや、屋上はべつに私のものではない……どころか、本当なら立入禁止なのだから、どうもこうもないんだけれども。


 ともかくその後はもう少し、ぼぅっとグラウンドや空を眺めたりして。結局いつも通り、西日が煩わしくなる頃合いに下校した。それまでのあいだに、星崎さんがここに戻ってきたりはしなかったけれども。屋上からの去り際、赤い日差しがどうにも、彼女の髪の色を思い出させた。




 ◆ ◆ ◆




 翌日の放課後。

 星崎さんは再び第三校舎の屋上に現れた。


 教室にいるあいだは話しかけてきたりもしなかったから動向が読めなかったというか、今日も来るとも来ないとも分からなかったのだけれども。


「やっぱり他は全部閉まってたー……ってなるとっ、ここに来ちゃうよねぇって」


 そう言って今日は私の隣まで来た星崎さんは、朗らかな笑みを浮かべていた。昨日と同じか、いやそれよりも明るく。二人並んで手すりにもたれかかり、グラウンドを見下ろす。天気は程々に晴れ。

 こう横並びになると身長差が目に見えて分かる。星崎さんが小さいのではなくて、私の背が無駄に高いという意味で。でも私よりも星崎さんのほうが出るところは出ていて、なんというか、ちょっと手すりに肘を置き辛そうにしていた。


「ってか、音峰さんも今日もいるんだ」


「私はほぼ毎日いるよ。雨さえ降ってなければ」


「ぉあー、なるほど……」


 その“なるほど”には“やっぱり”というニュアンスも含まれていて、まあ、昨日の私の態度だけで察したんだろう。どうも星崎さんは人の心の機微に敏いようだし。だからこそクラスのムードメーカーなわけだ。


「星崎さんは今日も七不思議?」


「いぇすっ」 


 ──ここ、緑菜学園に伝わる七不思議。

 

 その一、第一校舎トイレの花子お姉様

 その二、第二校舎にはどこにでも行ける扉がある

 その三、雨が降ったあと屋上に星の海が現れる

 その四、第五校舎に続く渡り廊下

 その五、図書館に秘密の地下室

 その六、グラウンドのどこかにナニカの卵が埋まってる

 その七、旧第一校舎について


 ……まあうん、なんか変だ。


 “その一”はともかくとして、“その二”“その四”“その六”はどこか具体性に欠ける。“その五”なんて、図書館には実際に地下書庫があって申請さえすれば誰でも入れるんだから、秘密もなにもないと思う。“その七”に至ってはもはや情報量ゼロだ。

 というのをまあ、我ながら水を差すようだと思いつつ言ってみたら。星崎さんは気を害する様子もなく、むしろ待ってましたとばかりに笑った。


「ふっふっふっ……ところがどっこいっその書庫の隅っこでさ、十年近く前に七不思議について調べたらしいファイルを見つけてね? それによると実際に七不思議に関する場所では妙なことが起こってたり、地下書庫には誰も知らない秘密の一室があったりするんだってっ」


「へぇ……そういや昨日もそんなこと言ってたね」


 そのときは適当に流してしまったけれども。今日はもうがっつり居座る気満々なのが見て分かったから、一応会話を続けてみる。

 とはいえまあ、うそくさ……というのが正直な感想。私だったら昔のオカルト研? とかその辺のお遊びだと思ってすぐ棚に戻してしまいそうだ。でもそれに興味を持って調べようだなんて言い出す辺り、やはり柊木くんは“主人公くん”なんだろうな。それに協力する星崎さん他三名も、いかにも“ヒロイン”らしい。


 ……なんていう、失礼かもしれない思考は口には出さずにおく。代わりに、星崎さんが担当してるらしい“その三”についても、しっかりとツッコミを入れさせていただく。


「星崎さんは“その三”担当なんだっけ」


「そうっ! “七不思議その三、雨が降ったあと屋上に星の海が現れる”っ」


「……屋上なんだからそりゃ、夜になれば星空……星の海ってやつも見られるでしょ」


「いやいや流石にそれだけの話じゃないでしょっ。雨のあとって言うくらいだから……ほら、雨上がりの水たまりに、星空がすごくキレイに映るとかっ?」


「ロマンチックだとは思うけど、べつに不思議ではなくない?」


「ま、まあそうだけど……その辺のヒントとかもきっと、秀太が見つけてくれる……はずっ」


 “主人公くん”……柊木くんは図書館地下でさらなる資料探し&“七不思議その五”担当らしい。星崎さんはそのあいだに、こうして足で現地を調べるんだと。


「……一緒に図書館で調べ物してたほうが、柊木くんといられるんじゃないの?」


 不躾にも主人公だのヒロインだのと考えていたせいだろうか。半ば無意識に、そんな言葉が口をついて出てしまって。私がしまったと思うよりも先に、星崎さんはビクリと肩をすくませた。


「あー、うん……わたしはいいかなぁって。今日はたぶん、こまりちゃん……秀太の妹が一緒にいるだろうし」


 あーあの、なんというか、ブラコンを隠そうともしない妹さん。教室でもわりと、他の“ヒロイン”たちとバチバチやっている感じの子。星崎さん、柊木くんと幼馴染ということは妹さんとも交流が長そうなものだけど。ふと見た横顔は、なんだか少し疲れているようにも感じられた。バチバチとはいっても傍目にはじゃれ合いの範疇に見えていたから、少し面食らってしまう。それと同時、いつもはぱっちりと快活な目付きが気だるげに細まっている、その表情にどきりとした。可愛いというよりも、美人って感じの顔に見えて。


「……それにっ、わたしはさ、資料見てるより動いて調べてるほうが性に合ってるからっ」


 と思いきや、ぱっとこちらを向いたときにはもう、星崎さんはいつもの明るく朗らかな彼女に戻っていた。


「そっ、か」


 あまりにも急な転身に、気の利いた言葉も返せない。まあそれは、私の元々の性格もあるけれども。星崎さんは気にした様子もなく、そのまま軽やかなステップで手すりから離れていった。


「そうっ。というわけで、わたしはちょっと色々見てみるからっ。音峰さんは気にせずくつろいでてっ」


 見てみるとはいっても、特に変なものがあるわけでもない。だだっ広く、落下防止の柵と手すりに囲われた屋上に置かれているのは、大きな貯水タンクと換気扇くらい。だけども星崎さんは、いかにも陽気な足取りであちこちを調べだす。


「……頑張って」


 聞こえていないだろう小さな声をかけて、赤茶けたショートヘアが離れていくのを眺める。

 さきほどの、気だるげなあの表情は本当に僅かなもので、一瞬、日の光の加減で見えた錯覚なんじゃないかとすら考えてしまったけれども。でも。でもそれにしては、妙に私の脳裏に焼き付いていた。今の彼女の豊かな表情が、まるで作り物に思えてしまうほどに。


「……」


 結局その後はずっと、アスファルトの傷にまで注目する星崎さんのことを目で追っていた。日が傾いて、彼女の髪がもっと赤く染まり始めて、スマホを見ながら「今日はここまでみたい。じゃね、音峰さんっ」と賑やかに去っていくまで、ずっと。


 そして翌日以降も、そんな日が続くようになった。

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