カモシカ騒動
木園 碧雄
夏の出来事
令和5年の8月5日。
午前5時から5時半30分に掛けて。
宮城県仙台市の中心部である仙台駅周辺にて、国の特別天然記念物ニホンカモシカを目撃したという報告が入った。
報告は、合わせて3件。
最初は仙台市青葉区一番町一丁目で目撃され、次いで青葉区五橋で2回目撃されている。
目撃された2ヶ所間の距離は1キロメートルと離れていないので、ほぼ同個体であろうと考えられている。
おそらくは、記録破りの猛暑で主食だった植物が枯れ、餌を求めて出てきたのだろう。五橋には、木々が繁茂する公園もある。
土曜早朝の目撃情報に慌てたのは、仙台市の文化財課だ。
国の特別天然記念物であると同時に、ニホンカモシカは仙台市の生きた登録文化財でもあるのだ。事故か何かで傷つけでもすれば、それだけで監督不行き届きの事件となりかねない。
仙台市といえば、人口100万人の政令指定都市だ。
一応仮にも表向きは、東北随一の都会である。
如何に人通り少ない早朝とはいえ、ビル立ち並び地下鉄走る駅前に野生のニホンカモシカが闊歩している――などと広まってしまっては、田舎だ辺境だと東京の人間に馬鹿にされてしまう。
田舎者ほど、田舎者呼ばわりされるのを嫌うものだ。
実のところ、仙台市の公式サイトや市内循環の観光バス「るーぷる仙台」のガイドブックで紹介されるほど、カモシカは頻繁に出没している。
しかし生息地は市内郊外の山林と推定されており、よもや都市の中心部にあらわれようとは、自治体側も想定してはいなかったようである。
仙台市警も慌てた。
野生動物に、交通ルールが通用するはずがない。
細道から急に飛び出したり、赤信号を平気の平左で闊歩されたりしたのでは堪ったものではないし、ニホンカモシカを目撃し怯えた付近の住民が、投石などでカモシカを傷つけてしまうかもしれない。
何より、目撃現場の五橋には、市の中央警察署が建っているのだ。
これで何かあろうものなら、凡ミスどころでは済まされない。
JR東日本も慌てた。
目撃情報の順番が正しいとすれば、ニホンカモシカは仙台駅と線路に近づいていることになる。
土曜の早朝とはいえ、仙石線は既に始発が出ているし、朝の6時を過ぎれば他の路線からも始発が出る。
衝突はもちろん回避すべき事であるが、もしニホンカモシカが線路に入ろうものなら、それだけでダイヤの混乱は免れない。
なんとしても朝6時までにニホンカモシカを発見し、線路に近づかないよう手を打たなければならない。
かくして勃発した1日限定種族限定の「生類憐みの令」により、たった1頭のカモシカ相手に仙台市内の役人や職員が振り回され、血眼になって捜索したものの、3件目以降の目撃情報は報告されないまま事故も起こらず、事件は終了した。
1ヶ月後の9月5日、近年稀にみる大雨により、仙台駅東西地下自由通路が浸水し、一時通行不可という大惨事となった。
あのニホンカモシカは凶兆だったのでは、と勘繰る田舎者もいたとかいないとか。
(了)
カモシカ騒動 木園 碧雄 @h-kisono
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