触手工船

@me262

第1話

 投資関連で失敗し、多額の負債を抱えた俺は、借金取りから半ば脅されてやむ無く遠洋航海のマグロ漁船に乗り込む事にした。それから数年、漸く返済のメドがついたと思っていたが、今回の漁は勝手が違っていた。

 魚群探知機で発見したマグロの群れが突然消失してそれっきり。そんな現象が船団の全てに同時に何回も発生した。各船の魚群探知機を点検しても故障は見当たらない。船長や幹部達は初めての経験らしく、酷く困惑していた。

 五十歳を越えた古参の船員であるインドネシア人だけは何か心当たりがあるらしく、漁を中止するべきだと訴えていたが、その理由を聞かれると顔をしかめて口ごもるだけだった。

 高い燃料を費やして日本からはるばる来たのに、手ぶらでは帰れない。船団幹部はそう考えていた。俺達船員も同じだった。

 生粋の漁師に混じって、俺と似た事情で船に乗る奴は何人かいた。そう言う連中は、より切実だった。手当ては歩合制なので獲物がなければカネは貰えない。技術や法律が発展して、百年前と比べれば随分と遠洋漁業の労働環境は改善されたが、根本的に過酷で危険な仕事である事には変わらない。

 極寒の海や灼熱の赤道直下で、そう言う厳しさを必死の思いで堪えて、やっと陸での安定した生活に戻れる所だったのだ。何としても、たとえマグロじゃなくても何かを獲りたかった。

 しかし、俺達の願いを他所に悪い事は重なった。嵐に捕まった船団は突然発生した大波を受けて、1隻の船がさらわれてしまったのだ。機関に問題を抱えていたその船は身動きもままならず、視界不良の荒れる海の彼方へ消えていった。

 重大な事故が発生した船団は事の次第を合流予定の冷凍運搬船へ連絡した。冷凍運搬船は排水量五千トンの大型船で、俺達が捕獲したマグロを加工処理した後に冷凍庫に保存して本土へ持っていく。広い意味での工船であり、漁船への食糧や燃料を補給する母船の役割も兼ねていた。

 冷凍運搬船は最大速度で現場海域に到着し、1日中捜索を行ったが一向に暴風雨は収まらず、そのせいで見つからない。皆が諦めかけた時、奇妙な事に遭難した船が自力で帰って来た。

 勿論俺達は安堵したが、戻ってきた船の乗員を目にして息を飲む。彼らは、その雰囲気がまるで変わっていたのだ。

 皆がげっそりとやつれ、死人の様な顔つきをしている。本来陽気で口数の多い連中が、揃ってぐったりとした動きで話も出来ない有り様だった。

 遭難している間、余程恐ろしい目にあったのだろう。眼前の死と戦いながら、それでも懸命に船を修理して帰還したのだ。そのせいで極度に衰弱したと判断した船団幹部達は、連中を冷凍運搬船の救護室でしばらく休ませる事にした。彼らの船は他船から手分けして人を出して操作する手筈になった。

 皆が同情と励ましの言葉をかける中で、ただ一人インドネシア人の古参船員だけが厳しい表情で彼らを見ていた。

 嵐は未だ続いており、魚群も探知出来ないままだ。船団は冷凍運搬船を中心に次の漁場へ移動を始めたが、夜中になってまたしても事故が起こった。

 冷凍運搬船の倉庫で火災が発生して、食糧が全て焼失してしまったのだ。それだけではない。船団の機関部と無線機も深刻な損壊が発見された。

 あり得ない事だった。

 冷凍運搬船と合わせて十隻に及ぶ船団の、全ての機関と無線が一夜にして使用不能になるなど。荒天の海で船団は立ち往生してしまった。

 これが単なる事故ではないのは誰が見ても明らかだ。何者かが破壊したに違いない。その規模から単独ではなく、複数犯の仕業だ。

 救命ボートを使って冷凍運搬船に集まった船団幹部達が報告会をしている時、運搬船の

 船員が重要な証言をした。火災発生の直前、深夜の見回りをしていた彼は救護室も巡回したが、そこには誰もいなかったと言うのだ。船員達が消火作業を終えた頃には、遭難した連中はいつの間にか救護室のベッドに横たわっていたとの事だ。

 遭難した者達が火災と破壊に関わっている。

 瞬く間にその様な噂が船団内に流れたが、直接現場を目撃した者は皆無で物的証拠もない。歩く事さえままならない程衰弱している彼らが、そんな大規模な犯罪を行える訳もない。冷凍運搬船の倉庫はともかく、一定の間隔で散開しながら航行していた各船にはどうやって移動したと言うのだ?もちろん救命ボートを使えば出来るかもしれないが、船の外は一面の荒波で覆われており、彼らの身体でそこを渡り、尚且つ移動中の漁船に辿り着くのは到底不可能だ。そして何よりも動機がない。そんな事をすれば、彼ら自身だって困るのだ。

 余りにも理不尽かつ無理がありすぎるので、この噂は立ち消えになった。とは言うものの、不穏な空気はいつまでも船団から消える事はなかった。

 誰かが、何らかの意図で船団の急所を破壊した。

 船団は深刻な事態に陥った。

 移動も、救助を呼ぶ事も出来ない。破損箇所の修理には時間がかかる。嵐は続いており、いつ止むかはわからない。この天候では他の船から発見される望みも薄い。しかも残った食糧は僅かだ。

 俺達は船団ごと遭難したのだ。

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