第一章 Epilogue Ⅱ 偽物と偽った愛をあなたへ

「――桑染くわぞめ珀琥はくとさん。突然かつ身勝手なお願いと存じていますが、私と偽装交際をしていただけないでしょうか」


 秋の気配が薄れて肌寒くなり、年の終わりも見えてきた十一月の中頃。

 私は珀琥の下駄箱に手紙を忍ばせるなんて古典的な方法で屋上に呼び、自分勝手な望みを告げたのです。


 珀琥はわたしが言っている意味が分からないと言いたげに、眉をひそめていたのを鮮明に覚えています。

 懐疑的な反応が、男性からは好かれやすい私には新鮮でした。


 短髪の黒髪。

 少々彫りの深い顔立ちと、がっちりした体格。

 普通なら然るべき圧を感じても不思議ではないのに、いざ向かい合った私が抱いたのは漠然とした安心感でした。


 眼の奥が、とても穏やかだったんです。


 髪に比べて色素の薄い、名前と同じ琥珀色の瞳。

 切れ長な眼窩に嵌ったそれは、私を見ているようで見ていませんでした。


 私を怖がらせないために視線を合わせなかったのかもしれません。

 そんな気遣いを出来る人が、噂で語られるような怖い人だとは到底思えませんでした。


 元より、珀琥と僅かながらに関係があったことも理由の一つでしょう。

 私と珀琥が住む部屋はマンションの隣。

 だから何度か顔を合わせる機会もあるし、会釈程度を交わすくらいはする。


 そのときも、私の目にはとても普通に見えました。


「すまん、言ってる意味が理解できないんだが」

「では、私の本音も交えて、もう少し噛み砕いた表現にいたしましょう。毎週のように別の方から告白されるのがいい加減面倒に思えてきたので、桑染さんに私の男除けとして偽物の彼氏を演じていただけないかと思い、ここにお呼び立てした次第です」


 私が珀琥に求めたのは単なる男除け。

 偽物の彼氏として振る舞ってもらい、穏やかな学校生活を送ろうと考えたのです。


 紛うことなく都合のいい関係。

 自分勝手に、自己都合で求めたもの。


 私なんかが彼に差し出せるメリットは少ない。

 学校では完璧才女なんて称される私の裏側は、極めて不器用で家事もまともに出来ない汚部屋の住人。

 精々、学力と容姿くらいしか客観的に見て優れる部分がありません。


「なんで俺を選んだのか、参考程度に聞かせて欲しい」

「桑染さんは他の人が寄り付かない強面でありながら、これまでの学校生活では穏やかに過ごしている姿しか見ていません。外見で損をするタイプなのでしょう」

「裏では噂通りの人間かもしれないのに?」

「これでも人を見る目には自信がありますので。それに、もし本当に荒れているのであれば、偏差値もそれなり以上の高校には入学できていないでしょうから」

「世の中にはインテリ系もいるらしいぞ」

「何重にも予防線を張って遠ざけようとするような人が悪人だとは思えませんね。粗暴な人特有の雰囲気も感じませんし、隣部屋だからと関係を迫ってくる素振りもありませんでした」


 珀琥は私を遠ざける言動を重ねていました。

 私の頼み事は面倒に映るのでしょう。

 その上、大多数の他者から本来とは違うイメージを押し付けられ、それを彼も信じ切ってしまっている。


 だからなのか、珀琥は私に対しても期待していない。

 ……厳密には、期待しないで欲しいとも思っていそうですね。

 そういう意思を立ち振る舞いや言動から察せられます。


 ――それは私にとっても都合がよく、理解できる感情でした。


「桑染さんは私に異性としての興味がないのでは? あなたの視線はあっさりしています。認識していながら、いないものとして扱っている。私も似たようなものなのでわかるんです」

「そこまでではないと思うんだが」

「それだけではなく、あなたは自分が好かれることを期待していませんよね?」

「…………だとしたら?」

「私が期待する偽物の彼氏役にぴったりです。ああ、もちろん報酬は用意いたしますよ。薄謝ではありますが、月に数万円ほどを想定していました」

「俺にそんな金はないぞ」

「惚けているなら面白くないですし、冗談でもありません。男子高校生の青春を奪うのですから、これくらいの対価は当然でしょう」


 初めは金銭で珀琥をものにしようと考えていました。

 私が差し出せるものの一つであり、何にも期待しない――出来ない私たちが共通して信じられるのは金銭だと思ったのです。


「桑染さんも一人暮らしなら、お金に余裕ができるのは喜ぶべきでは?」

「……なんで俺が一人暮らしなのを知ってるんだ」

「話し声は聞こえてきますし、お隣なのにそれらしい人が出入りしている様子がありませんでしたので」

「そうか。……てか、俺は恋人もいなければ好きな異性もいないし、友達も片手で数えられるくらいしかいない寂しい高校生活を送ってる灰色の男子高校生なんだが?」

「それを言うなら私の方が酷いかと。友達と呼べる相手は一人もいませんし、恋人はもってのほか。男子からはいらない好意ばかり寄せられて、そのせいで女子からは裏で目の敵にされているんですよ? ……やってられませんよね、本当に」


 これまで色々あった、苦い記憶が蘇る。


 本当に、どうして。

 こんなつもりではなかったのに。

 私は穏やかな高校生活を送れたらよかったんです。


 けれど、現実はそうなっていません。


「――私はあなたに多くを求めません。期待もしません。これは現状を少しでもよりよい方向へ変えるための、可能性の低い足掻きです。ですので、あなたも私を都合のいいように利用していただいて構いません。期待はしないでいただけると助かりますが、裏切るような真似だけはしないとお約束します」


 誠心誠意からの気持ちを伝えきり、珀琥の反応を窺いました。


 それから数十秒ほどの、私にとっては悠久にも等しく感じる時間が過ぎて、珀琥は一つだけため息を零したんです。


 そして――仕方なさそうに眉を下げ、


「……条件については相談させてくれ。それでいいなら引き受けよう」


 珀琥は私の頼み事を引き受けてくれたのです。



 ■



 そんな珀琥と寄り添って、早半年。


 私はもう、珀琥がいないと生きていける気がしません。


「私、こんなはずじゃなかったんですよ? 互いに都合がいい、偽物の恋人としての関係を望んでいたんです。必要に駆られなければ珀琥を求めることもありませんでした。恋人も、友人も、話し相手も……必要ないと思っていたのに」


 意識が眠気でぼんやりと蕩けているのを感じながら、それでも眠る寸前まで珀琥の寝顔を焼きつけようと、薄っすら瞼を開き続けていた。


 しかし、それだけでは満足できなかったのでしょう。


 目の前で穏やかに眠る珀琥へ無意識に手を伸ばし、寸前で留めた。

 触れれば起こしてしまうかもしれない。

 そう考えられるだけの理性がまだ残っていて安心しました。


 珀琥の穏やかな時間を壊したくはありません。


「……珀琥。桑染珀琥。私の偽物の彼氏で、マンションの隣人で、数少ない友達で――この世界の誰よりも大切な人」


 ええ、大切な人です。

 便利ですよね、この言葉。

 どんな感情が含まれていても、関係性をそうである・・・・・と定められるのですから。


 もっとも、そろそろ私の器からその感情が溢れて、抑えが効かなくなってしまいそうになっているんですけれどね。


 なんとも度し難い人間です。

 何もかもを要らないと言っておきながら、その実、秘めた欲望には際限がない。


 珀琥の髪も、目も、睫毛も、鼻も唇も舌も胸も腕も身体も何もかも――私のものに出来たらいいのですが、そう簡単にはいきません。


 私たちは偽物の恋人。


 本物には遠く及ばないと定義した私たちがその域に踏み込むためには、薄皮のようで分厚い壁を破る必要があります。


 ですが、ええ……それでもいいんです。


「いつか絶対、私のことを心の底から求めさせてみせますから」


 珀琥はきっと、私にまだ遠慮をしています。

 偽物だからと一線を引いて、私を裏切らないためにそこへ踏み込んでこない。


 だからまずは、その認識を改めてもらう必要がありますね。


 私とのことを前向きに考えられない珀琥を甘やかして、溶かして、溶け込んで、ぐずぐずにしてしまうんです。

 ……まあ、そうなっているのは私の方かもしれませんけどね。


「だから今は、偽物と偽った愛をあなたへ捧げましょう」


 ―――

 てことで、ここで一区切りとなります。

 ここまで読んでいただきありがとうございました!


 話はまだ続きますので……!


 想定よりも沢山の応援を頂きまして、ここまで書き切ることが出来ました!

 フォローや星がまだの方はぜひお願いします!!


 明日から二章ということで進めていくのですが、今後は毎日更新から隔日更新にしようと思っています。

 今月末から始まるカクヨムコンのために新作を書かないとなのでね……ちなみに今のところ二万文字が全部没になりました。

 ネタ選びの沼に嵌ってしまってな……


 多分今日の午後にでも近況ノートの方で一区切りの雑談を書く予定なので、そちらもいていただけますと幸いです。


 というわけで今後とも本作をよろしくお願いします!

 新作も出したら告知しますのでそちらも是非……!

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