第17話 私たちは、このままで

「……なんか俺たち、いつもとやってることが変わらなくないか?」

「お泊りでも日々の過ごし方を変える必要はありませんからね」


 ひと騒動あった後のこと。

 朝食を食べ終えた俺たちは、いつものように二人で穏やかな時間を過ごしていた。


 体勢は当然のように俺が月凪を抱えて座るアレである。

 意図せず密着する身体。

 その柔らかさや間近で香るシャンプーの匂いで、はっきりと記憶に焼き付いた肌色を否応なしに思い出してしまう。


 それでも月凪を押しのけないのは俺なりのプライド。

 月凪が預けてくれる信頼を、日常の一つになった仕草で裏切りたくはない。


 テレビで流れる特撮ヒーロー番組をぼんやり眺めながら呟いた俺に、月凪も淡泊な声音で返してくる。


 昨日から始まった月凪とのお泊り。

 普段との違いは一夜を同じ部屋で共にすることだろう。

 それも蓋を開ければ月凪がアルコール入りのチョコで酔い潰れて寝落ちしたため、緊張も何もなかったのだが。


 ……朝のアレといい、寝落ちする寸前のアレといい、色々危ない場面はあったけどもそれはそれ。


 基本の過ごし方は昨日の外出も含めて代わり映えがない。


「珀琥がそう思うのは、お泊りを特別なものだと考えているからじゃないですか? 付き合っている男女なら普通にすることです」

「でも、俺たちは偽装だろ? その関係がなければ男女の友達ってのが一番近いわけで……他の人がいるならまだしも、二人だけで泊まりってのは中々ないと思うんだが」

「…………仮に私たちが恋人ではなく男女の友達だったとしても、親友と呼べるほどの仲であればじゅうぶんに可能性があると私は考えます」

「なるほど」


 月凪の言うことにも一理あるなと素直に思う。


 要するに男女の友情は成立するか、みたいな話だ。


 もしかすると世界のどこかには、月凪が示すような関係を築いている男女の親友もいるかもしれない。

 けれどそれは酷く危うい関係だと、似たような状況に立っている俺は思う。


「でも、それってどっちかが欲を出したら終わりじゃないか? 男女の友情って言っても突き詰めたら男女……異性だし、手を出せば崩れる均衡だ」

「かもしれませんね。ですが、異性の家に二人きりで泊まる時点で、正直私は手を出されても文句を言えないと思うんですよ」

「それを月凪が言うのはどうなんだ?」

「私だからいいんです」


 俺の懸念も月凪はばっさり切り捨てる。

 この場において、リスクを冒しているのは月凪であるがゆえに。


「そもそも、逆だと思うんですよ」

「……逆?」

「友達である前に、異性なんですよ。そういう目線で見るのが自然。けれど、本能と理性は別問題――そこは珀琥も理解している事かと思います」

「本能のままに振る舞っていたら動物と同じだ」

「その通りです。友達というラベルを張り、一線を引いたなら、二人で泊まることもじゅうぶんに考えられることです。ましてや私と珀琥は恋人なのですから、万が一にそういうこと・・・・・・になったとしても、問題はないかと」

「んなわけあるか」


 ため息混じりに否定だけはきちんとしておく。


 俺はそんなことを月凪とする気はない……少なくとも、正気の間は。

 今朝みたいな迫られ方をされたらわからないが、口にすべきではないだろう。


 というか、月凪がそう思っているって部分は冗談だよな?

 冗談であってくれ頼むから。


「とまあ、私が思っていることをお話したところで話を戻しましょうか。私はお泊りだからと特別なことをする必要はないと思います。強いて言えば大切な人と二人で過ごす時間こそがとても尊く、意義のある一時ではないですか?」

「…………」

「珀琥?」

「……そうだな。俺もそう思う」


 反応が遅れながらも返しつつ、無防備にしていた手を月凪に弄ばれる。

 こそばゆさに目を細め、代わりに空いている片方の手で逆に月凪の手を握ってみれば、一旦解かれて指と指が絡みつく恋人繋ぎになった。


 こうしているだけでじんわりとした幸せを感じられるのは、月凪との間に半年で済み上げた信頼関係があるからだろう。


 手と手の間で体温を交換し、溶けあうみたいな感覚を味わいながらも、頭の片隅でさっきの月凪の言葉の意味を考える。


 月凪が俺を大切な人と称したように、俺も月凪を大切に想っていることは否定しない。

 あえて友達や親友、好きな人、恋人ではなく、大切な人と区別をつけたのは、俺たちが偽物の恋人という歪な関係であることを意識してのことか。

 恋人関係だけが偽物で、俺と月凪という個人の間にある感情までは誤魔化せない。


 だからきっと、この関係が終わったとしても、月凪に望まれれば今の距離感を崩すことはないと思う。

 ……いや、強がったな。

 出来ることなら今後もずっと、月凪とこんな風に過ごしたい。


 俺にとっての今は、奇跡的な確率の上に成り立っている。

 もう一度、こんな偶然が起こるとは到底思えない。


 あの日、月凪が俺に話を持ち掛けてくれなかったらこんなことには――


「……なんつーか、ありがたい話だよ。ほんとに」

「急にどうしたんですか?」

「月凪には感謝してもしきれないなって、改めて思っただけだ。月凪が偽装交際の相手に俺を選ばなかったら、今頃退屈で孤独な高校生活を過ごしてたはずだから」

「それはどうでしょうね。この高校に珀琥がいて、珀琥らしく過ごしていたのなら、私は何度世界が繰り返されても珀琥を偽装交際の相手に選ぶと思いますよ。私にとって一番都合のいい相手が珀琥だったんですから。私の状況も変わらないでしょうし」

「俺を選ぶ云々はともかく、月凪がモテまくるのは同感だな」

「……他人事だと思って適当に言ってますね? 私、本当に困っていたんですから。毎週何度も告白されて、時には同じ人から執拗に迫られたり、強引な人もいました。女子からも目の敵にされて……そんな学校生活、望んでいません。静かに過ごせたらそれでよかったんです」


 静かに語る月凪だが、それは途轍もなく難しいことだろうなと思う。


 芸能人やアイドルなんかにも引けを取らないほどの容姿の女子がいたら、男たちは黙っていても群がってくる。

 冷たい態度であしらっていても、踏み越えてくる人は少なからず存在する。


 俺がこの顔で怖がられ、ありもしない噂を語られるように。


「なので、感謝するべきは私の方です。珀琥が傍にいてくれるお陰で怖い思いはしていませんし、女子とも敵対せずに済んでいます。告白の数はゼロになりませんでしたが、それは仕方ないものと割り切っていますから」

「……なら、いいんだが」

「あと、部屋のことと、家事と、食事と――色々、お世話になっています。誤魔化しようがなく、珀琥がいないと生活が成り立ちません。そういう面でも本当に感謝しているんですよ?」

「…………そこはぶっちゃけ自分でどうにかできるようになってもらいたいんだが。ずっと俺が傍にいられるわけでもないんだし」


 高校を卒業すれば、それぞれの進路に進むことになる。

 進学か、あるいは就職か、はたまた別の道か。

 どれにしても、月凪と一緒に居られる可能性は低いと思う。


「未来のことはその時になったら考えましょう。不確定要素も多いですし」

「俺たちに好きな人が出来るかどうかってとこもな。この関係を長いこと続けるのも世間体的にはどうなんだって話だし」

「外野に何を言われようと関係ありません。私は珀琥と一緒に過ごす時間は好きですよ。珀琥はそうじゃないですか?」

「……俺も月凪と過ごすのは好きだぞ」

「ならいいんです。私たちは、このままで」


 現状維持が逃げだとしても、今しばらくは温くて優しい日々に浸っていたいのは俺も同じだった。


 ―――

 しっとりしながらニチアサ観てる二人


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