第12話 すげなく断るのもあなたくらいなものですよ

「んーっ……たまにはこういうとこもいいもんだな。心なしかいつもより身体が軽い気がする」


 色んな風呂を試した後でサウナにも入って整った俺は、買ってきたばかりのパジャマに袖を通してから、待合所でコーヒー牛乳片手に月凪が戻るのを待っていた。

 やっぱ温泉って言ったらこれだよな。

 ここがスーパー銭湯ってツッコミは置いておくとしても、風呂上がりのコーヒー牛乳は格別だ。


 もちろん風呂も存分に堪能した。

 広い風呂ってのはとてもいい。

 思う存分身体を伸ばせるし、疲れが取れる気がする。


「これでワンコインならお得に感じるな。たまの贅沢って感じで」


 ぼーっと火照った身体を冷ましつつ、コーヒー牛乳を一口。

 程よい苦みと甘さのハーモニーに人知れず心を落ち着けていると、肩が軽く叩かれる。


 月凪が帰ってきたのかと思い振り向けば――


「引っかかりましたね」


 頬を押す細い指と、楽しげな声。


 後ろに立っていたのは、お揃いで色違いのパジャマに着替えた月凪。

 髪もちゃんと乾かしてきたようで、白いパジャマよりも煌めく銀髪が揺れている。

 いつも色白の肌は湯上りだからか血色がよく、独特の色気が漂っていた。


 周りの人も月凪の魅力に目を引かれたのか、ちらちらと視線を向けたりしている。

 そういう手合いにはちゃんと俺が視線で制すると、失礼しましたと言わんばかりに顔ごと背けるのだから面白い。


 取って食ったりしないのにな。


 それよりも、だ。


「パジャマ、似合ってるぞ」

「珀琥もすごくぴったりです」

「けど……ちょっと薄着過ぎるな。これ羽織っとけ」


 持ち込んだ荷物の中から薄手のパーカーを引っ張り出し、月凪へ手渡す。

 まだ六月で肌寒いし、なによりパジャマ姿なんて無防備な月凪を人目に晒していたら何が起こるかわかったものじゃない。


 月凪も意図を察してくれたのだろう。

 すぐに「ありがとうございます」と受け取り、さっとパジャマの上から羽織った。


「俺のだからサイズ大きいだろうけど我慢してくれ」

「彼シャツならぬ彼パーカーですか。確かに大きいですけど……包まれている感じがしていいですね」


 袖口から半端に手を出し、目元だけで笑みを刻む。


 すると、周りでまだ月凪を見ていた人たちが一斉に見蕩れていて――胸の中にとてつもない拒否感が生まれてしまう。

 その感情が何なのかわからないわけもなく、嫌気がさしてため息がついて出る。


「ため息なんてついてどうしたんですか? お風呂、楽しめませんでしたか?」

「んや、風呂は満喫した。中で燐と会ってさ」

「珀琥も友達と会ったんですね。私も樹黄さんと、その妹さんに会いましたよ。たくさんお話出来て楽しかったです」


 楽しそうに報告してくれる月凪に偽りはないのだろう。


 こうしてみると、昔とは随分変わったな。


 前までの月凪は誰も寄せ付けず、友達も作らず、孤高に学校生活を送っていた。

 それが変わったのは俺との偽装交際を始めてからだろう。

 俺と嫌でも近い距離で関わるようになり、それがきっかけで外にも心を開き始めた……なんて思うのは傲慢か。


 外的要因はただのきっかけでしかない。

 全部、月凪が選んで踏み出した一歩だ。


「それより……何を飲んでいるんですか?」

「コーヒー牛乳。銭湯といえばコレだろ」

「当たり前のように言われてもわからないのですけど。一口貰っていいですか?」

「もう一本買って来るか」

「飲み過ぎると寝られなくなりそうなので一口でじゅうぶんです」


 早く、と言いたげに手を差し出してくる月凪に、飲みかけの瓶を手渡す。

 すると、両手で瓶を支えながら少しだけ飲み、「なるほど」と頷く。


「美味しいですね」

「だろ?」


 瓶を月凪から受け取って、残りを一息に飲んでしまう。

 間接キスは今に始まったことじゃないが、あんまり意識しないようにしていた。


 月凪は一口だけ飲みたくて、俺が飲んでいる分がちょうどよかっただけ。

 何一つ深い意味も、意図もない。


 その証拠に月凪からも照れや気まずさは感じない。


「銭湯……大きなお風呂ってあんまり経験がなかったので、そういう意味でも楽しかったです」

「満足してくれたならなによりだ。近いし、いつでも来れるだろ」

「いつか内風呂がある温泉旅館とかにも行ってみたいですね、二人で」

「……一緒の風呂には入らないからな?」

「私の肌を見ていい男性はあなただけだと言っているのに。すげなく断るのもあなたくらいなものですよ」


 呆れた風なジト目を向けられるも、俺にはどうすることも出来ない。


 そりゃあとても魅力的な提案だとは思うさ。

 月凪の魅力はこれでもかというほど知っている。


 だからこそ、怖い。


 今の関係のままそんなことをしてしまったら、大切な繋がりが壊れてしまうんじゃないかという漠然とした恐ろしさがある。

 目の前に極上の獲物を差し出されて、手を出さずに黙っていられるほど俺の理性は強くない。

 きっと、本能に抗えないまま、月凪を穢してしまうことだろう。


 不誠実なことは――月凪の信頼だけは裏切りたくない。


 俺を受け入れてくれる月凪だけは。


「……冗談もそこまでだ。遅いし、そろそろ帰るか」

「帰り道にコンビニに寄っていきましょうよ。アイスとか買いたいです。家に帰ったら映画とか観ましょう。夜、眠くなるまで付き合ってくれますよね?」

「あんまり夜更かしすると肌に悪いんじゃなかったか?」

「折角のお泊りなんですから、これくらいはいいんです」


 そういうことなら付き合わないわけにはいかないな。


―――

彼パーカー、いいよね(いいよね)

追記:手違いで一文消えてたみたいです(サブタイのやつ)

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