第5話 手馴れすぎていてムカつきます

 月凪るなと偽装交際を初めてからひと月経った頃には、放課後を俺の家で過ごすようになっていた。

 当初の目的は月凪にまともな夕食を用意すること。

 それがだんだんと映画を観ようだとか、ゲームに付き合えだとか、稀に風呂上がりの髪を乾かせだとか甘えられることが増え、月凪が遅くまで居座る日も増えた。


 これだけ聞くと爛れた生活を送っているように思われるかもしれないが、月凪とそういうことをしている事実は一切ない。

 月凪が偽装彼氏に求める、健全極まる関係を維持している。


 ……のだが、俺も健全な男子の一人であるからして。


「月凪さんや、今日はいつにも増してべったりだな。何か思うところでも?」


 月凪を後ろから抱き留める形で座りながら、顔も見ずに聞いてみる。


 至る所に触れる柔らかな月凪の身体。

 目と鼻の先にある月凪の後頭部、ほのかに香る甘やかな匂い。


 それらを意識から排しつつ……ずっと俺の手を握ったり摩ったりと手遊びする月凪のそれは、不機嫌な時の甘え方の一パターン。


「……珀琥はくとが悪しざまに言われたのを思い出して機嫌を損ねている訳ではないです」

「答え合わせが簡単で助かるよ」


 届いた月凪の声には不満がありありと込められていたが、想定内の理由につい笑ってしまいそうになる。

 同時に胸の奥がじんと温かくなった気がした。


「放っておけばいいさ。俺の顔も、そういうことを言う奴の認識も変わらない」

「……けれど、悔しいです。確かに珀琥は顔がちょっと怖いかもしれませんけど、すごく世話焼きで優しくて包容力があって、いいところがたくさんあるのに――」

「月凪が認めてくれるだけでじゅうぶんだ」


 心の底から本当にそう思う。


 今までは家族以外、誰として内面に寄り添ってくれる人はいなかった。

 だから、月凪が認めてくれるだけでいい。


 それはともかく……月凪が可愛すぎる件。


 可愛いことは偽装交際をする前からわかりきっていたか。

 俺が言いたいのは外見ではなく、内面の話。


 以前の月凪は成績優秀かつ容姿端麗ながら、誰とも関わることのない孤高の美少女。

 常に冷たい雰囲気を纏っていて、俺ほどではないにしろ近寄りがたい存在だった。


 けれど、偽物の彼氏として一緒にいる間に月凪の雰囲気も段々と変わった。


 恋人であると見せつけるための演技としていちゃついていたあれこれは、今や当たり前のやり取りになり。

 二人でいるのを義務感ではなく、自分から望むようになり。

 冷たい雰囲気や物言いは多少和らぎ、歳相応の本音を明かしたり、不器用ながらも甘えるようになり。


 そんな月凪へ偽物の彼氏としては不相応な感情を抱きつつあることは自覚している。

 されど、この居心地のいい曖昧で歪な関係を壊したいわけではなくて。


 だからこそ、妙に愛おしさを感じてしまうのだろうか。


「でも、私は酷い女なので、得をした部分もあると思っているんです」

「というと」

「珀琥の顔に怖がって他の女が近寄ってこないので魅力がバレません」

「…………」


 俺はつい、返答に窮してしまう。


 月凪の言葉に込められた想いは独占欲と呼ぶべき類の感情。

 ともすれば束縛や嫉妬にも繋がるし、後者については身に覚えがある。


 なのに、俺は月凪にそう想われることが、全くもって嫌ではなかった。

 それどころか底知れぬ優越感すら覚えてしまうのだから、救えない。


 月凪との関係は偽物だというのに。


「それはそうと、一つ伺いたいのですが」

「なんだ」

「珀琥は私が告白されることに嫉妬しないのですか?」


 僅かにつんとした口調で聞かれた質問。

 その真意を考えると心中穏やかではいられなかった。


 だってこれ、月凪が告白されるのを俺が当たり前として受け入れてるのが不満ですって言われているようなものだろ?


「……月凪が告白されるのは止められないことだし、俺は引き留める立場じゃない」

「私、そういうことを言いたいんじゃないです。わかっていますよね」


 くるり。

 腰だけを捻り、振り向いた月凪が上目遣いに俺を見上げる。


 月凪が前を向いたことで、薄いニットに包まれた双丘が押し付けられた。

 柔らかさに釣られて視線が下がり、デコルテから覗く傷一つない綺麗な素肌と確かな谷間が目に焼き付く。


 しかし、密かに自分の太ももをつねって冷静さを取り戻し、視線を上へ。


 それはそれで月凪の超がつくほど整った顔立ちから繰り出されるむくれ顔が飛び込んできて、息が詰まる。

 ぴったりと交わる視線。

 空色の瞳には爪の先ほど詰られている気配もありつつ、大部分は俺を想う思慕で占められている……ように思えた。


「私と珀琥は偽物でも、恋人です。それなら、少しくらい執着してくれてもいいと思います。……それとも、私は珀琥がそんな感情を抱けないほど魅力がありませんか?」

「…………んなわけあるか。月凪は俺みたいなのには勿体ないくらい魅力的だよ」

「だったらもっと、相応の態度で示してください。でないと、私は珀琥に必要とされていないのかと思ってしまいますから」


 そっと頬に添えられた月凪の手。

 それがゆっくりと滑り、指先が顎を離れ、目元だけに笑みを刻む。


 正しく月のような笑みを眺めながら、思う。


 半年ほど月凪と付き合った結果、彼女が学校で演じているほど完璧な人間ではないと俺はわかっていた。

 家事は壊滅的だし、手先は意外にも不器用。

 そのうえ、学校でのつんとした態度とは裏腹に、この通りの甘えん坊である。


 しかし、その理由を考えると責めるに責められなかった。


 月凪は両親との折が悪いらしい。

 これは本人から聞いた話で、三者面談の際も一度たりとも月凪の両親が伴っているのを見たことがなかった。

 そういう歪な家庭環境が災いしたのか、精神面が明らかに脆い。


 本能的に誰かを求めていて、本質的には他人の俺にすらその側面を晒している。

 冷たい態度は弱みを見せないための鎧なのだろう。

 こんな風に甘えるのは自分の不安を紛らわすため。


 ……だからこれは、そういうのではない。


「撫でたらいいのか?」

「そればっかりじゃないですか。同じ手で機嫌を直す単純な女だと思われてます?」

「じゃあどうしろと」

「自分で考えてください」


 ぷい、と正面を向き直る月凪。

 どうしたものかと考えた末に、両腕を月凪のお腹に回して包み込むように抱きしめる。


 温かながら華奢な背中。

 俺がその気になればどうにでもできると月凪もわかるはずなのに、一切の抵抗なくされるがままなのは信頼故に。


 もっとも、そんなことをする気は毛頭ないが。


「ご機嫌いかがかな、お姫様」

「……なんか、手馴れすぎていてムカつきます」


 彼女いない歴=年齢なのに手馴れるも何もないだろ。

 こっちは心臓バクバクだっつーの。


―――

ご満悦の月凪さん、見えないだけで顔がふやけている

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