第9話

「さて、ようやくあなたに勝てると思うと気分が昂るな」


トラビスが切っ先を僕に向けながら笑う。

僕も剣を首から離し顔の前に構えて深呼吸をする。


「そう?ラズールに鍛えられたから僕は強いよ?」


トラビスが口角をにぃ…と上げる。


「そうそう、そのラズールだが、あなたがいなくなってすぐに王女様の側近になったぞ。王女様の一番のお気に入りで片時も傍を離れん。呪われた王子を捨てて上手いことやったよなぁ」

「……そう」


僕の胸がズキンと傷んだ。胸を刺されたのかと思うほどに痛い。わかってたことだけど実際に聞くと辛いな。ラズールだけはずっと僕の味方だと信じていたから。もう僕の味方は誰もいない。

そう思ったから伸びてきた剣先を弾こうとも避けようともしなかった。

腕を狙ったらしいトラビスの剣は、吸い込まれるように僕の右腹を貫いた。

僕は腹を見てトラビスを見上げた。

自分で刺したくせに、なぜかトラビスは驚いた顔をしている。

やっと勝てたんだからもっと嬉しそうにすればいいのに…と目を細めた直後に僕は力尽きた。立っていられなくなった身体を誰かに支えられた気がするけどよくわからない。意識を失う直前に、魔物や盗賊に殺されるよりは知っている人に殺されるならいいか、と安堵した気がする。



朦朧とする意識の中、身体を拭かれ、口の中に液体を入れられ、傷口をひどく弄られた気がする。傷口を弄られた時の痛みは尋常じゃなく、僕は意識のないままに暴れた。その時に何度も「大丈夫だ」という声を聞いた。リアムの声に似ていた。でもきっと違う。リアムは今頃トルーキルに向かってる。というか痛みがあるということは僕は死んでないの?でもトラビスが僕を助けるなんて有り得ない。もしかしてノア?また助けてくれたの?


「ちょっと!それ大丈夫なんですかっ!すっげー痛そうですけどっ」

「深い傷だから麻酔の薬草が効きづらいんだ!だが大丈夫だ。最高の治癒を施してる。絶対に死なせない!」

「ああっ、こんなに汗かいて涙も出てる!フィルっ、頑張れっ、おまえは強いぞ!」

「君、向こうに行ってくれないかな。うるさくて医師が困ってる」

「くっ…、フィルを死なせたらあんたを許なさいからな!」

「少年っ、なんて口を…!」

「いい。わかってるから早く行け」


どかどかと鳴る足音の後に扉が閉まる音がする。

僕は騒がしいのとあまりの痛みに覚醒した。ぼんやりとする頭でノアの声がわかった。すごく怒っていた。…あと二つの声がしたな。そのうちの一つは…リアム?


「…リア…ム?」

「フィル?気がついたのかっ」


とてもゆっくりと瞼を開けると、白くぼやける視界にリアムの綺麗な金髪と紫の瞳が見えた。

もう二度と会えないと思っていた人が目の前にいる。嬉しくてもっとよく見たいのに、僕の視界が更にぼやける。


「どうした?辛いのか?痛いよな…」


リアムが掌で僕の頬を拭う。

僕の目からは次から次に涙が溢れて止まらない。


「ちがっ…どうして…」

「ん、詳しくはフィルが元気になってからな。今は早く傷を治すことだけを考えろ」

「うん…い…っ」

「痛いよな…ごめん。助けるのが遅れてごめん…」


僕が痛みに顔を歪ませていると、ギシッと音が鳴りリアムが僕の隣に寝ころんだ。そして手を振って白い服を着た男の人を部屋から退出させる。その手で僕の頭を抱き寄せて、銀髪に唇を寄せて囁く。


「もう大丈夫だ。俺の心音を聞いてろ。だんだんと痛みが引いてくる」

「うん…」


不思議だ。あんなに痛かったのに、リアムの体温と匂いに包まれたら嘘のように痛みが引いていく。それにとても心地いい。もしかするとこれが幸せというものなのかな。


「フィル、俺は…迷ってるんだ」

「ん…?」


リアムが何か言ってる。

でも瞼がとても重くて、何のことかを聞けないままに、僕はまた眠りに落ちた。

僕は起きて眠るを繰り返した。そして身体の痛みと怠さが無くなってきた頃に、ようやく目覚めた。

目覚めて最初に真っ白な天井が見えた。ずいぶんと高い位置にある。ゆっくりと顔を動かして見ると、天井が高いだけじゃなく部屋も広い。部屋に物が少ないが美しい装飾の家具が配置されている。僕が寝ているベッドも大きくてふかふかだ。一瞬城に連れ戻されたのかとドキリとしたけど、城にこんな部屋は無かったはずだ。だとしたらここはどこだ?

僕は外を見たくて身体を起こそうとした。その時にうっかり腹に力を入れてしまい顔を歪める。


「いた…っ」

「ああっ!まだ無理は駄目ですよっ」


突然扉の方から声がして、僕は腹を押さえながらそちらを見た。

一度目覚めた時に見た白い服の男が、手に何かを乗せて部屋に入って来るところだった。

男は慌てて僕の所に来ると、持っていた箱のような物をベッド脇の机に置く。そして僕の背中を支えて起こしてくれた。


「…ありがとうございます。あの…あなたは」

「私は医師です。リアム様に頼まれて君の治療をさせて頂きました」

「リアムの…」

「はい。驚きましたよ。五日前の夜中に突然リアム様から連絡が来ましてね。今すぐにこの城に来いと」

「ここは…リアムの城…ですか?」

「私に敬語はいらないですよ。いいえ、リアム様の城は王都にございます。ここは別荘にされてる小さな城ですね」

「そう…」


長く話していると呼吸が苦しい。小さく息を吐いた僕に、医師が器を持たせた。

白い陶器の器の中を覗くと紫色の液体が入っている。

僕は思わず眉を寄せた。

そんな僕を見て医師が笑って説明をする。


「大丈夫です。それは木の実の色ですから。腹部の傷の殺菌と再生に効きます。あのくらいの傷は本来ならとっくに治っているはずですが、あなたを刺した剣に毒が塗られていたようです」

「毒…には、少し…耐性がある」

「そのようですね。あなたが刺されて城へ運ばれ、私が到着するまでに二日かかりました。応急処置がされていましたが、普通の人なら私が到着するまでに死んでいたでしょうね」

「それでも…良かった…。いや、僕は…死ぬべきだった…。なのにどうして、また生き延びて…しまったんだろう…」

「そんなことを仰らないでください。リアム様が悲しみます」

「リアムが…?どうして?だってリアムは…僕を拒絶して…」


僕は途中で口をつぐむ。息が苦しくなったからだ。

ああ気持ちが悪い。胸が苦しい。腹の傷が痛い。

両手に包まれたコップの中の液体を一気に飲み干すと、再び寝転んで頭から布団を被った。そして医師に「ごめんなさい…休みます」と言って両手で耳を塞ぎ固く目を閉じた。



眠る振りをしていたつもりが本当に眠っていたようだ。再び目覚めた時には部屋に明かりが灯り外は暗くなっていた。

僕はゆっくりと身体を起こす。さっきの薬のおかげか、傷の痛みがマシになっている。


「あつい…喉かわいた…」


身体が火照っているのか暑い。髪に覆われた項が汗ばんでいる。僕は銀髪を肩から前に流して部屋の中を見回した。部屋の真ん中にある机の上にガラスの瓶があった。傍にガラスのコップもある。


「水…?」


のろのろとベッドから足を降ろした瞬間、力が入らなくて座り込んでしまう。


「は…ははっ…情けないな…。こんなになって…まだ生きてるなんて…」


僕はベッドに掴まって何とか立ち上がった。そして震える足を前に出して机まで歩く。時間をかけてたどり着き、コッブに水を注いでゆっくりと飲む。当然毒は入ってなくて渇いた喉を潤した。


「はあっ…おいし…」


息を吐いて大きな窓に向かう。暗くて外がよく見えないがここは二階のようだ。

僕は窓に映る自分の姿を見て、ワンピースのような寝衣の裾を持ち上げた。


「僕の服…剣…は」


もう一度部屋を見回すと、ベッド脇の棚の上に革の鞄と剣が並べて置いてある。でも服がない。この動きにくい寝衣じゃ外に出られない。

今度は豪華な装飾の背の高い棚の扉を開ける。中にはレースのついたシャツが数枚と黒や灰色、白や緑のズボンが並んでいる。


「これ…リアムの…?」


でもリアムの服にしては小さいような…。もしかして僕の服?まさか…と自分で考えたことに鼻で笑って扉を閉めた。

しばらく部屋の中をうろついていたけど誰も来ない。まだ身体が思うように動かないから寝ていた方がいいのだろうが、もう寝るのにも飽きた。

僕は部屋の入口に向かい重厚な扉の取っ手を押してみる。鍵がかかっているのかと思ったが、扉は静かに向こう側へと開いた。

外に出てみると薄暗い廊下が左右に続いている。この部屋はちょうど真ん中辺りに位置するらしい。僕は少し考えて、右の廊下を進んだ。壁伝いに手を添えて歩く。裸足のために石で出来た廊下を歩いても音がしない。だけど足の裏が冷たくて僕は少しだけ震えた。

長い廊下が終わり角を曲がる。曲がった少し先に階段が見える。僕は壁から手を離して階段へと行き降りようと片足を上げた所で目が回ってよろけた。次に来る衝撃を想像して強く唇を噛む。しかし衝撃は来なくて僕の身体は力強い腕に支えられていた。


「何をしている…」


低く冷たい声にゆっくりと振り返ると、リアムが怖い顔で僕を睨んでいた。



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