第5話お触り禁止でお願いします

お触りは禁止でお願いします①


 穂乃香が竹野内グループに中途入社してから早いもので一ヶ月が経過した。


 出勤初日、変態男との思いがけない再会を果たした。まさか変態男が社長だなんてついてないにも程がある。


 それだけでも驚きだというのに、いきなりプロポーズまでされた。


 即座に断るも、強制はしないと言いながらも断れない状況に追い込まれた。


 挙げ句、三ヶ月のお試し期間まで設けられてしまった。


 社長の人となりを知ったところで、好きになるはずがない。ましてや結婚なんて考えられないというのに……。


 ――このままだと試用期間が終わると同時に入籍されてそうで怖い。


 けれど生真面目な性格である穂乃香には、転職したばかりで退社するという選択肢などなかった。


 正確には、弟の奨学金の一部を肩代わりされているのだから、穂乃香に逃げ場などないのだが。


 それでもなんとかして社長の気持ちを自分から他に向けられないだろうか、と勘案していた。


 穂乃香の不安と画策をよそに、当の社長は大企業を背負っているだけのことはあるな、と穂乃香を感心させるほどの辣腕ぶりを見せている。


 てっきり公私混同と職権乱用を発揮されるものだと思い込んでいた穂乃香にとって、肩透かしを食らったような心境だ。


 そこに仕事にストイックなくらいに真剣に情熱を注ぎ込む奏の姿が加わって、当初抱いていた印象はがらりと覆りつつある。


 正直、意外でしかなかった。


 大企業の御曹司という立場に胡座を掻いているものだと思っていたからだ。


 翌日、第二秘書として付き従えるようになった穂乃香は衝撃を受けることとなった。


 朝コーヒータイムの僅かな時間にその日の分刻みのスケジュールを確認し、その内容を一度耳にするだけで暗記してしまうことにも驚いたのだが、経歴にも驚かされた。


 奏は、海外の超が付くほど有名な名門大学を首席で卒業しており、技術職にも劣らない専門的な知識を有しているようだ。


 そういう背景もあって、海外帰りに加えて社長に就任したばかりでただでさえ多忙を極めているというのに、国内外を問わず取引先や支社からのアポイントが絶えずリスケも日常茶飯事。


 けれどどんな案件にも迅速かつ丁寧に対応し一つひとつ完璧に熟していく。


 その姿は水を得た魚のごとく実に生き生きとしている。


 さすがは大企業のトップ。


 他者を圧倒する王者たるオーラを纏い、キラキラと眩いくらいだ。


 仕事にひたむきに向き合う姿勢からも、この仕事が好きで好きで堪らない、というのがひしひしと伝わってくる。


 出会いと出勤初日の印象が相まって、穂乃香の中でどん底まで降下していた好感度がみるみる向上し、通常の位置まで浮上するまでさほど時間はかからなかった。


 だからって当初の印象が真っ白に塗り替えられたわけではない。


 数ヶ月前に婚約者だったクズ男に二股をかけられた上に式場のキャンセル料まで請求されてしまうという、とんでもない目に遭わされたのだ。


 そう簡単に男性不信が払拭されるはずがない。


 とはいうものの、ワーカホリックを地で行く社長のおかげで初日のようなこともなく、新しい職場にも慣れ穂乃香は意外にも充実した日々を送っていた。


 常に働きたい企業ランキングトップを独占しているだけあり、職場の環境も雰囲気も良く仕事もやりやすいのだ。


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