第10話 不測の事態

「え?」 

 いきなりの舞の登場に、冴香の顔色が一瞬で変わった。


『タクロウ後ろ!(志村後ろみたいな感じで)』

『誰?』

『え? 誰!?』

『彼女さん? じゃないよね?』

『違うタイプの可愛い女子いる』

『二股?』

『炎上案件?』


 振り返ると、やはりそこには舞が立っていて、青白い顔をしている。

 ヘッドセットをしていたせいで、ドアが開いたのに気づかなかった。

 コメントは坂道を転がる勢いでスピードを増す。


「ちょっ……、今配信中」

 そういいながら、急いでマウスを操作し、配信終了ボタンをクリックした。


 なぜ、配信を終了させたのか、自分でもよく分からなかった。気が付いたら体が勝手に動いて、配信終了ボタンをクリックしていた。


 親にオナニー見られたぐらいの気まずさ。


「あ、ごめん。配信中だったよね」

 舞は、取ってつけたように謝った。


「ああ、いいよ別に。雑談だったし」


 冴香とのコラボを見られるのが、なんだかイヤだった。

 リスナーに彼女だと紹介している事を、俺はなぜか舞に知られたくなかったのだ。


「切らなくてもよかったんじゃない?」

 そう言いながら、俺の机の上のシャーペンを手に取った。もう随分前に舞に借りたやつだ。


「いや、よくないでしょ」

「これ、私のだから、返してもらうね」

 シャーペンを俺の目の前にチラつかせる。


「ああ、借りパクしてた。ごめん、っていうか今じゃなくてよかっただろ。それ借りたのもう1年以上前だぞ」

「彼女とコラボしてたの?」

 シャーペンを胸のポケットに入れて、更に険しい表情を見せる。


「……知ってて、入ってきたのかよ」


 舞は、俺の配信をシロの部屋から観ていたのだ。

 シャーペンは口実に違いない。

 そしてふと、ある疑念が沸いた。


 サエちんってアカウントは、もしかして舞?

 わざわざ似たような名前にして、俺を揶揄っていたのだ、と思った。

 何だか舞の行動が意地悪に思えて、俺はつい強い口調になる。


「知ってて入ってきたのか、って訊いてんだよ!」


 舞は険しい顔をしたかと思ったら、くるりと踵を返して部屋を出た。


「舞!」

 俺の呼びかけには答えず、足早に玄関を出て行った。


 俺は、追いかけた。

 すぐに追いついて、階段の手前で腕を掴んだ。


「帰るなら送るよ、もう暗いし、遅いから。危ないよ」

「いい! ほっといて!」


 舞は俺の手を振りほどいて、涙で濡れた瞳でこちらを見上げた。


「もう、終わったんだね。俺が舞を助けるって、必ずどんな事からも守るって言ってくれてた、あの言葉は、もう有効期限切れなんだね」


「は? 何言ってんの? 何かあったの?」


「いつも言ってくれてたよね。絶対に寂しい想いも悲しい想いもさせないって。けど……うん、そうだよね。もう彼女ができたんだもんね。終わったんだよね」


 こんな舞を見るのは初めてで、俺はなんて返していいか分からず、ただ、滝のように流れる涙の前に、茫然と立ち尽くす他なかった。


「もういい」


 くるりと体を翻して、逃げるように駆けだした舞を、俺はもう追わなかった。

 やたら大きく鳴り響く足音を、ただ聴いていた。


 舞の事ならなんでもわかっていたはず。

 舞が言いたい事も、して欲しい事も全て手に取るようにわかっていたのに、この時の俺には、もう舞が俺に何を求めているのか、よくわからなくなっていたんだ。


 自室に戻り、パソコンの前でしばし放心状態だった。

 何をするでもなく、部屋に突っ立っていた。

 そんな俺を、我に戻させたのは、冴香からの電話だった。


 RRRRRRRRRRRRR……


 一瞬ためらったが、通話ボタンをタップした。


「もしもし、冴香?」


『拓郎? 大丈夫?』


「うん。大丈夫。ごめんね、急に配信終わらせちゃって」


『ううん。いいの。あのね』


 冴香の声はやけに明るく弾んでいる。


「うん、なに?」


『今、私のチャンネルで配信中』


「え? マジで?」


『うん。だって、急に消えちゃったら拓郎のファン、悲しいでしょ。私が代わりに繋いでる。上がる?』


「うん。どうやって?」


『このままビデオ通話にするね。PCから私のチャンネルにアクセスしてくれる?』


「オッケー」


 既にブラックアウトしていたパソコンの画面を明るくしてパスワードを打ち込むと、そのままYouTubeの画面が映る。

 冴香のYouTubeチャンネルがタイムラインに出て来て、赤枠で囲まれていた。

 予め、登録しておいたからだ。

 サムネをクリックすると、ヘッドセットを付けた冴香が、スマホを持った状態で手を振っていた。


 ビデオ通話で、俺が映っているスマホをパソコンの画面に映し出した。

 配信にスマホ越しの俺の顔が出て来た。


「みんなー、クロスケ、戻って来たよー」


 ぎこちないが、必死で盛り上げようとしているのがわかる。

 コメント欄は

『タクロウ、おかえり』

『何があったん?』

『話きこか』

『さえかちゃん、一人でがんばってたんやぞ』

 と、歓迎ムード?


 しかし、この配信をもしかしたら舞がどこかで見てるかも知れないと思うと、俺の気持ちはなかなか上がらなかった。


「あー、ごめんごめん、不測の事態でして」

 PC画面とスマホの画面を交互に見ながら受け答えする。


「お兄さんの彼女さん、なんだよね?」


 冴香が助け船を出す。


「そうそう。さっき部屋に入って来た女の子は、幼馴染で、今は俺の兄貴の彼女です。なんか今、情緒不安定? みたいな感じなのかな? 俺にもよくわかんないや」


『冴香ちゃんは大丈夫?』という、冴香を労わるコメントが散見される。


「私は全然平気。けど、そろそろ配信は終了です。これ以上は、ママに怒られちゃうから。お勉強しなきゃ、ね」

 と俺に顔を向けた。


「そうだな。俺もそろそろ、明日の準備するわ」


『明日の配信は?』


「あー、俺は今のところする予定ではいる。まだわかんないな。したいとは思ってる」


『待ってる』

『また明日なー!』


「うん、ありがとう。ありがとうね。スパチャもたくさん、ありがとう。じゃあ、この辺で」


「「バイバーイ」」


 リスナーに手を振り、冴香は配信を終了させた。

『ふー』と息を吐き、胸を上下に撫でているのがスマホの向こうで見える。


「おつかれー」


『お疲れ様』


「本当にごめんね。せっかくの配信デビューだったのに」


『ぜーんぜん! いい思い出になると思う。とっても楽しかった』


「そっか。それは何より。よかったよ」


『このまま、少し話してもいい?』


「うん。もちろん」


『もしもさぁ、工藤さんが、拓郎の事を好きだって言ったらどうするの?』


「え? そんな事あるわけないよ」


『だからー、もしも!』


「うーん、断る、っていうか付き合えないでしょ。俺にはもう冴香がいるし。あいつには兄貴がいる」


『お兄さと別れたら?』


「それでも付き合わないよ。兄貴の元カノって事になるんだぞ。付き合えるわけないじゃん」


『私を取る?』


「当たり前じゃん」


『そっか。って事はやっぱり、君は彼女が好きなんだね』


「え? な、どうして?」


『だって、付き合えないって言ったじゃん。って事は少なからず付き合いたいって思ってるって事だよ』


「試したの?」


『うーん。そっか。試したって事になっちゃうか。だってね、せっかく付き合えるようになったのに、すぐに終わっちゃうのは、悲しすぎるなって、ちょっと思ったの。ごめんなさい』


 素直に頭を下げる冴香がいじらしかった。


「いや。俺が悪いよね。不安にさせちゃったね」


 冴香は画面の向こうで首を左右に振った。


『大丈夫。状況は変えられても気持ちは簡単には変えられないもん。けど、今は私が彼女だし、絶対に拓郎の事いっぱい幸せにする。私以外目に入らないぐらい、好きにさせてみせる!』


「もう十分そうなっちゃてると思うよ」


『本当?』


「ああ、本当」


『よかった、安心した』


「うん。大丈夫だよ、安心して。明日部活ないんだろ?」


『うん』


「どっか行く?」


『行きたい!』


「オッケー、じゃあ、明日の予定どうするか考えてて」


『わかった!』


「じゃあな。おやすみ」


 通話を終了させると、すぐにファンシーなパンダのスタンプが送られてきた。


『おやすみ』


 ◆◆◆


 シロが帰宅したのは、それからおよそ2時間後の事だった。

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