名探偵・メアリーロッドは祈らない

風宮 翠霞

前編 名探偵は人形ではない

(死にたくないっ。まだ、俺にはやり残した事があるっ……‼︎)


男はそう念じ、うめいた。

それしか出来なかったと言う事も出来る。


世界有数の大企業のCEOを務める富豪である男であっても、忍び寄るからは逃れられないからだ。


ただ彼にとってのとなる女にされるがまま、自身が買ったソファーに腰掛ける。


体を自分の意思で動かす事は出来ないのに、意識だけがハッキリしているのは男に毒を盛った女の趣味しゅみなのだろう。

マッチングアプリで出会い、今日男の家で食事をするまでも何度も会っていた女は、自身がソファーに座らせた男を満足げに舌を舐めながら見下ろしていた。


(この、毒婦がぁ……)


女は、男の背後から睦言むつごとささやくように男の体に腕を回し、耳に口を近づける。

だが、そのあでやかな唇が囁くのは男への甘い言葉ではなく、女が今まで男に語った嘘とこれから……男を殺してからの計画の話。


男は、否応なしに感じる柔らかい肌の感触と女の甘い香り……そしてそれと相反するびた鉄のような匂いのする話のその差に恐怖した。


その時には既に盛られた毒が完全に効き、どうしようもないほどに弛緩しかんしきった体は男がどれだけ恐怖を感じていたとしても震える事はなかったが、それが男にとって僥倖ぎょうこうと成り得たのかはもう表情からはわからなかった。


「大丈夫です……この薬品を注射すれば、すぐに楽になりますから……ね?」


女はそんな男の手を取ると、女にしては低い声で甘く囁きながらゆっくりと注射器を握らせ、男の反対側の腕へと突き刺した。


「ほぅら、これでもう終わりです……素敵な夢を見れますよ?」


そう女が呟き、妖艶ようえんに微笑みながら静かに男の部屋、そして家を後にする背後で……男は最期に一瞬だけビクンッと体を揺らしてから、男だったモノとなった。







英国イギリスといえば何かと言われて多くの人の頭に浮かぶであろう英国紳士しんし探偵の居住地として有名である、ベイカー街。

現在は商業施設が多く立ち並ぶその地区に住む少女、メアリー・ロッドを形容するのに、人形ドールという言葉以上に相応しいものはないだろう。


きめ細かな白い肌と、ロンドンブルートパーズのような灰色がかった紺碧こんぺきに近い色の瞳を持ち合わせた怖いほどに整った容姿をしており、手入れの行き届いた絹のようなアイスシルバーの髪を結ばずにサラサラと重力に従って落とし座る姿は、無表情な事も相まってまさにドールのようである。


そう。メアリー・ロッドという少女はペドでもロリコンでもない妻子持ちの男や同性の女性ですらも「彼女は美しいか」と聞かれたら「美しい」と答えるしかないだろうと思えるほどに、美しい少女なのだ。


ただ……


「メアリー、手を貸して欲しい事件があるんだが……」


「メアリーぃ?超絶美少女で天才なこの私を捕まえて、たかが下僕のイサーク風情が呼び捨てにするとかふざけてるの?私の力が無いと何も出来ない無能が。

私にお願いするときはなんと言うんだった?『偉大なる霊媒れいばい探偵メアリー様、無力なわたくしめに力をお貸し下さい』でしょう?」


、という条件付きでだが。







「ほら、言わないの?私の下僕であるお前が『偉大なる霊媒探偵メアリー様、無力なわたくしめに力をお貸し下さい』と言って頭を地面に擦り付けるだけで、事件が解決するのよ?全世界がお前のドゲザを望んでると思わない?」


「誰が下僕だ。微塵みじんも思わねぇが何か?」


現在目の前に座る齢十二の少女にドゲザを強要されている俺ことイサーク・カルシアは一応、警察官になってから二年目という最短期間で英国警察本部、スコットランドヤードに配属されたエリートである。

警察官を志したのが遅かったから本部に来てから三年経った今は既に二十九になってしまったが、それでも本部で働く人間の中では若者に分類される存在だ。


「思いなさいよ。そもそも、なんの役にも立たないイサークの分際で息をして酸素を消費し、二酸化炭素を排出してる時点でこの偉大なる宇宙に迷惑なのよ?そんな貴方の尊厳如そんげんごときで一つの事件が解決するのだから、むしろ自分のドゲザの価値が高い事に感謝しながら喜んで頭を床に擦り付けるべきだわ」


だからこそ本部から二マイル約三.二キロも離れているところに住んでいる、こんな問題児を極め切ったような少女探偵の相棒(と書いて生贄と読む)に選ばれてしまったのだが。


というか、何故英国の名家生まれで英国育ちのお嬢様であるメアリーが、日本独自の文化であるドゲザを知っているのか……あのマフィアのお嬢様至上主義のクソ探偵、またメアリーに変な事教えやがったな。苦労するのは俺だってのに……。


「……ほら、スターバッケスの期間限定フラッペ買って来たから、話くらい聞け」


「いらないし、私にお願いするなら聞いて下さいでしょうっ……!?」


とか言いながら、チラチラ俺が手に下げた袋に目がいってるぞ?甘党。

最初は気が遠くなるような胃痛で三日三晩どころか七十九日七十九晩苦しんだ相棒生贄という役目も、三年目にもなると慣れたものだ。


「え〜……?折角メアリーの為に一時間も並んで買ったのになぁ……」


「も、もうっ!!し、仕方ないわね……期間限定フラッペに免じて今回だけはドゲザを勘弁してあげるわ。ほら、どうせ現場に行くんでしょう!?行きの車で話は聞いてあげるから、早くしなさい!!」


ふっ、チョロい。


『ロンドン郊外に本店があるチョコレート専門店のチョコが食べたいから、十分以内に買って来なさい』などという無理難題を突き付けられる事など日常茶飯事であり、普段言う事は鬼畜そのもの。


しかし一見根っからの鬼畜に見えるこの少女、実は根が優しいので、俺が残念そうにして見せると簡単に折れてくれる。実際には五分も並ばずに買ったものなのだが……まぁ、元役者志望の演技力舐めるなという事で。


ともかく、俺はメアリーの事をツン九割九、デレ一のツンデレだと思っている(事で胃痛を乗り切っている)。そして案外、その考えは間違っていないはずだ。


今だって俺から受け取ったフラッペを大事そうに抱えて飲みながら立ち上がって、扉の前で俺に早くしろと訴えてるし。理不尽だなぁ……。


「家の前まで車回して来てやるから、いつも通り日傘持って下で待っとけ」


「私の下僕のくせに命令するな。無能」


さて、慣れたと言っても消える事はないキリキリと存在を訴える胃痛に耐えて、霊媒美少女探偵メアリーちゃんと一緒に事件解決の為にお仕事頑張るぞ〜……はぁ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る