【家族 味】ありがとうが言えなくて
「先輩、先日の会議の議事録です」
「お、ありがとう」
俺はいつの間にかこの会社に務めて3年目になった。特に何か成果をあげてきた訳でもないけど、とりあえずは3年経てば頼られる立場だ。
そんな俺でも一応心がけてる事がある。
それは「ありがとう」を口に出すこと。些細なことでもいい、何かしてもらうと最初にありがとうと言うようにしてる。それが俺なりの小さな人心掌握術というやつかもしれない。
そういう習慣を付けておくと日常でも役に立つ。
飲食店の店員、宅配の配達員、レジ打ちのスタッフなど、日常で関わる機会の多い人たちにもありがとうが言えるようになる。
別にほんとに感謝してるとかは問題じゃない。とにかくありがとうと言う。それで人の表情が変わる、態度が変わる。
久しぶりの実家は何だかソワソワする。母さんが台所にいるのは見なれた光景だけど、なんとなく落ち着かない。
「はい、母さん特製カレー」
と、本人は言うけど、別にたいしたものではない。ただ何種類かのルーを合わせて、醤油やソースやらを足しただけのものだ。
「ありが、、、」
思わずいつもの癖がでてしまった。
「え?なに?」
「いや、なんでもない」
そういえばいつからありがとうと言ってないだろう。小さい時はあんなに簡単に言えてたのに。
「ごめん」を最後に言ったのはいつか覚えてるけど。
高校の時、母さんと些細なことで言い合いになった。
その時、俺は年頃の男子特有の原因の分からない余裕のなさから、ついカッとなって母さんを突き飛ばしてしまった。
大した力は込めてないのに簡単に身体が浮き上がり、腰を強く打って痛がる母さん。
そこで初めて母さんには絶対的強さはもうないと知った。
弱った母さんを痛めつけてしまったことが申し訳なくて、自然と「ごめん」と口に出していた。
ごめんという気持ちは何に対してごめんなのか鮮明に思い出した。
ありがとうと思う事だって沢山ある。
それでもこれまでありがとうが口に出せなかった。たぶん、これからも面と向かっては無理だな。
最後の一口を頬張ると食器を抱えて台所へ向かう。
「ありがとう。ご馳走様でした」
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