第68話

「リティ、もたれているといい」

 ヴェルターは自分の肩をとんとんと叩いた。肩を背もたれに預けろ、という意味だった。が、リティアは道なりが穏やかなことを確認するとおもむろに立ち上がった。ヴェルターは突然のリティアの行動に目を開き、咄嗟にリティアの体を支えた。

「リティ、何を……」

「ありがとう、ヴェル」

 リティアは驚くヴェルターの横に控えめに腰を下ろした。まだ状況が理解できていないヴェルターはきょとんとしたが、直ぐにリティアが自分の肩に身を預けてきたことで正気を失った。


 リティアはヴェルターが自分の肩に寄りかかれという提案をしてきたことに驚いたが、彼の表情から一切の深い意味はないのだと、意識した自分が恥ずかしくなった。断ろうかと思ったが、馬車の揺れに辛くなってきたのは事実で、何よりこの申し出はもう二度とないのかもしれないと思うと、勇気を出してヴェルターに身を預けた。


 ――――いい香りがする。

 ――――いい香りがする。


 馬車が揺れる度、リティアの髪がヴェルターの頬をくすぐった。リティアは、いざヴェルターの肩に身を預けるとそのたくましさに驚いた。服の上からではわからない肩や腕の感触。


「ヴェルター、あなたって着やせするのかしら。あなたの美しい顔の下がこんな男性的だなんて、誰も知らないのでしょうね」

 リティアは緊張のあまり妙なことを口走ったが、心、肩にしかあらずのヴェルターは深く考えずに返事をした。

「いや、結構知っている人は多いよ」


 さっき、裸を人に見られる抵抗はないと言ったばかりだ。侍女とか、侍従とか、剣の稽古では上着を脱いで汗を絞ったりした。リティアはヴェルターのその返答にびくりと肩がすくみ上り、その振動はヴェルターにも伝わった。

 

「どうかした? 」

「いいえ」

 何事もなかったようにリティアを伺うヴェルターに、リティアも何事もなかったかのように肩へ身を預けた。


「……だ」

「え、何? 」

「いいえ、少し休んでもかまわない? 」

「ああ。近くなったら起こすから。お休み、リティ」


 嫌だ。リティアは嫌だと思った。ヴェルターの身体を知る人がいることを、嫌だと思った。リティアは、この感情を呑み込むために、きゅっと唇を噛んだ。ヴェルターがふっと笑った気がした。


 ヴェルターはリティアが眠れやすいように出来るだけ動かないように努めた。自分はリティアが近くにいたら緊張で身体が強張るというのに、リティアはこうも安心して眠れるものかと、信頼されている嬉しさと、自分の心情とリティアの心情との隔たりを感じ、複雑な気持ちに身を置いていた。


 馬車が宮殿に着くまではもう少しかかるだろう。

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