第16話

「ご、ごめんなさい。あの、直ぐに出て行くわ」

 リティアが謝罪すると、ヴェルターはぱっと顔を上げた。ヴェルターの目はそこにいるのがリティアであることを認識し、一瞬眉間の皺はさらに深くなった。


「ああ、驚いた。君だったのか」

 そう言って向けられたのは、いつもの――柔らかな笑顔だった。来るんじゃなかった。リティアはそう思った。目の前にいるのがリティアだとわかるとヴェルターの眉間の皺がほんの一瞬だがさらに深くなったのをリティアは見逃さなかった。


「すぐに、お茶の用意をさせよう」

 ヴェルターはにこやかな表情を保ったまま椅子から立ち上がった。リティアは直ぐに、視線を外されたのだと気が付いた。

「いいえ、ヴェルター、少し、顔を見に来ただけだから」


 ヴェルターはリティアの隣でぴたりと動きを止めたが、前を向いてるリティアとドアに体を向けたヴェルターとでは視線が合うこともなく、リティアはヴェルターがまだ微笑んでいるかを知ることは出来なかった。


「そんなわけにはいかないよ、リティ。ゆっくりしていってくれ」

 ヴェルターの声から、感情を読み取ることは出来なかった。だが、リティアはいつものヴェルターの社交辞令に従ったことを後悔していた。通じないやつだと思われている気がした。


 ヴェルターの勧めてくれる椅子に腰を落とすのも憚られたが、こうなればヴェルターもリティアに対応するつもりなのだろう。

「忙しかったんじゃないの、ヴェル」

「なぁに、君の訪問ならいつでも歓迎だよ」

 ヴェルターはにこやかに返す。


「……うそつき」

「え……? 」

「いえ、何も。無理はしないでね」

「うん。ありがとう。どのみち、そろそろ休憩しろってエアンが煩く言う頃だったんだ」

「そう? ではちょうど良かったわね」


 エアンはヴェルター付きの高位執事であるが、ヴェルターにはっきりと進言できる稀なる存在である。年のころは、ヴェルターと倍ほどちがうくらいのベテラン執事だ。リティアはヴェルターの優しい笑顔を前に、薫り高い紅茶を口に入れた。


 いい香り。文句なしに美味しい。ここへ来る時には必ず入れてくれる変わりない味。久しぶりに味わって懐かしい気持ちになる。ふと、まだ楽しかったころの事が思い出された。ほんの数年前、あれ……?


 リティアは記憶が部分的に出てきたあたりから、ヴェルターと結婚しない未来を考えて、ついここへは足が遠のいてしまった。だが、ヴェルターはどうだろうか。リティアの態度から悟られ、それから気まずくなった……のではない。

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