悪女さま、手筈は整えております

西原昂良

第1話 暫定ヒロインなの、知っていますからね。

第1話

この国――フリデン王国では人は生まれる時に忘却の輪をくぐり過去世を忘れる――忘却魔法をかけられると信じられている。それはこの世界に生まれ変わるという概念があるということだ。ただ、ごくまれにその魔法にかからない者、かかっても解ける者がいる。ここには前世の記憶を持つ者が存在した。


 そのまれに自分は当てはまるらしい。17歳になる半年前、リティア・デル・オリブリュスはどうやら魔法が溶けてきたらしいということに気が付いた。らしいと他人事の様に思うのは自分の新たに現れた記憶がとても曖昧なものだったからだ。


 ある日、自分の過ごしてきた16年ほどが急に作り物の様に感じられたのだ。なぜか、どこか非現実な、聞いたことのある話を俯瞰して見つめる自分がもう一人いるような気分だった。魔法は本当にあるのだろうか。この人生で実際に魔法など見たことはなく、“魔法”という言葉は隣国の驚異的な軍事力の比喩として使われるくらいだ。


 魔法、解けてきちゃったのかしら。


 自分の身に起きて初めてわかることもある。夜、リティア付きの侍女ミリーが部屋から出て行くと、ようやくリティアは自分のためにだけ思考することを許された。一人になると頭の中をまとめる必要があった。こうして考え事が出来るのは一人になれる寝付くまでの寝具の上だけだ。ふわふわと顔にかかる柔らかな髪を避け、毛先をつまむとじっと見つめた。窓から差し込むわずかな光でも艶々とした髪。


 綺麗な桜色。これってストロベリーブロンドって言うのかな。そう思って自分ではっとする。これだ。時々見慣れたはずの自分の身体的特徴を自身のものではないように見てしまう。現実感が消失し、今まで知らなかった言葉や考え方を持った発想をしたりする。“桜色”だとか“ストロベリーブロンド”だとか、馴染みのない表現をしてそれを理解出来てしまう。おそらく、前世の記憶、過去世の記憶が発想させていたるのだろう。


 今世にこれといって影響があるわけでもない。だがそれもという束の間の安心だった。今後この魔法はもっと解けてくるのかどうなのか誰にもわからないのだ。解けた前例はあるが症状は色々。メリット、デメリットどちらか片方、もしくはどちらも無い者、どちらも有る者、まさに千差万別。過去世の知識を生かして今世で活躍する者にとってはメリットに、過去の生活から転落した者にはデメリットに。リティアより曖昧に魔法が解けた者は気づくこともないのかもしれない。


 前世と言われる世界で読んだ本なのかどこかで見たのか。ひょっとして自分が経験したのかはっきりとしない。物語つくりものなのか史実なのかも。とにかく、とリティアは手遊びしていた髪を離すとごろんと仰向けに寝転がった。精巧な天井の造りが目に入る。――王国屈指の貴族、オリブリュス公爵家の娘として生まれ、さらに生まれながらに王太子の婚約者である自分は、この世界の物語でのヒロインであることを確信していた。

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