第9話 宝石を換金に行く
それから私はひとりで王都の宝石などを換金してくれる店に出かけた。
まさかメアリーについて来てとは言えないしルドルフには言えるはずもない。
こんな場所に公爵家の令嬢が出入りするようなところではないがそれでもお金は必要だ。
何しろ持っているのはアルフォン殿下から貰った宝石と着替えと日記が今の私の全財産。
アルフォン殿下との婚約を我慢するのをやめたら、私の日常が一気に変わって行く。
でも、それはうれしい変化だった。
私は大きく息を吸い込み勇気を出して店の扉を開けた。
ガランガランと扉についていた鈴が鳴ってびくついた。
「いらっしゃい」
そう声をかけたのは眼鏡をかけた中年の男。
髭を生やしているが手入れがされていないのか汚らしく見えた。目つきが鋭くじろりと舐め回すような視線に背筋がゾクリとする。
それでも一歩足を出して店の中に入った。
「……あの…宝石を少しばかり換金したいんですが」
「こちらにどうぞ」
そう言われて恐る恐る持って来た宝石を出して店の主人に見せた。
「では、拝見します」
手が震えて何か言われたらどうしようかとドキドキしていたが店主は何も言わずに宝石を手に取った。
きっとこういう事情の人たちには慣れているのだろう。宝石を換金しようなどと言うにはそれなりの訳がある人ばかりだろう。
私はひとりで納得して指示された小ぶりの椅子に座って鑑定を待つ。
店の中には色々な人が売りに来たであろう品物が並んでいた。
中には大きなダイアモンドの指輪やサファイアの石がずらりとついたネックレス。どれも高位貴族が手放したものではと思うような品だった。
きっとみんないろいろ事情があるんだわ。
そんな事今まで思いもしなかった。
ふっとおかしくなった。
「あの、こちらの宝石は本当にお売りになるんですか?かなり古いもので価値もそれなりにある品だと思いますが…?」
それはアルフォン殿下からいただいた婚約指輪だった。いえ、彼の側近に届けられた。
それはため息が出るほど美しい深い翠色の翠玉。アルフォン殿下の色だ。
一度夜会につけて言ったらアルフォン殿下が怒った。
「そんなものを気安くつけるな!俺はこんなものを贈った記憶はないがどうして君が持っている?」
ひどく機嫌を悪くして…
「こちらの指輪は殿下のお名前で頂いたものです。確か側近の方が婚約の証にと持って来られて…だから初めての夜会なのでつけたほうがいいのかと思ったのですが…殿下が返せと言われるなら今すぐお返ししますが…」
私は指にはめた指輪に手をかけた。
「そんな事をしろとは言ってないだろう。側近がそう考えたならいいんだ。ソルティ嬢君が持ってていい。そのかわり指輪ははめたりせずきちんと保管しておいてくれ」
「わかりました。では、指輪はきちんと預かっておきます」
「いや、もういい!一度君に贈ったものだ。預けたわけではない。勘違いするな!」
「でも…」
「君と婚約した。その証だ。それでいいだろう」
「はい、すみません」
話はそこで終わった。
これは私のものと認識していいと言う事よね?それに婚約指輪は婚約解消の慰謝料として頂くのが常識だった。
向こうも返されても仕方がないということだ。
あんな事されたのよ。指輪のひとつや二つ私がどうしようと自由だわ。彼が大切だと言った事に余計腹が立ち私は彼から貰った宝石をすべて手放すことにした。
とくにその翠色はひどく私の心を苛立たせた。
「結構です。全部換金して下さい!」
「わかりました。では、全部で1万8千ガナルになりますね。現金になりますが大丈夫ですか?お連れの方はいらっしゃるんですか?」
店主は少し心配そうに眼鏡の奥の瞳がこちらを見つめる。
(確かに1万ガナルは屋敷の使用人の給料からすれば1年以上分くらいのはず、と言うことは1万8千ガナルあれば騎士の1年分の給料以上にはなる?って言うか私ったらルドルフをいつまでそばに置いておくつもりよ)
脳内で計算をしておかしな考えをしている自分に驚く。
「…そうなの。ええ、表で待たせてるの。現金で頂くわ」
私は急いで店主から現金をもらう。それと一緒に預かり証を書かれた紙を渡される。
「これは預かり証です。今日売られた品物は3カ月はこちらで預かりになります。引き取る場合は3か月以内でお願いします。それ以上過ぎたらこちらの物になると言うことですので覚えておいて下さい」
「ええ、わかりました。きっと引き取りには来ないと思いますが覚えておきます」
私はそう言うと店を後にした。
大金を手にした私はお金を入れたカバンをしっかりと抱えながらメアリーの屋敷に帰って来た。
フィアグリット家の使用人がルドルフが来たことを知らせてくれた。
私は階段を下りて急いで玄関に行く。
ルドルフはいつもの髪を束ねておらず洗い立てのサラサラの髪がルドルフの顔にまとわりついていた。
騎士の服装に腰には剣を下げていてマントはきちんと腕に折りたたんである。
玄関から差し込む光が彼を包み込むように浮き上がらせてそれはまるで太陽の神アポローンを思わせた。
アルパード王国やパシオス帝国などこの辺りの国はアイテール神を信仰する宗教が根付いていて色々な神様がいる。
神殿にはそれぞれの神をかたどった彫像があり、どれも美しく逞しい神だった。
目の前にたたずむルドルフは私がいつか見たアポローンに似ていた。
「きれい…」思わず声がこぼれた。
はっとルドルフが顔を上げた。
私はまだ階段を下り切っていなくてルドルフを見下ろす格好になった。
「お嬢様…お待たせして申し訳ありません。何か不都合なありませんでしたか?」
ルドルフが騎士の礼をした。
私は思わずくらっとして階段の手すりに摑まる。
「危ない!」
すかさずルドルフが走って来て私に手を伸ばした。
私はいつの間にか彼の腕の中にいた。
ふたりの瞳がかち合い私の心臓は火が付くように羞恥で燃え上がった。
とっさに出た言葉は…「放して…」
ルドルフはいけないことをした子犬みたいに目を伏せてそっと私を立たせた。
「失礼しました。お嬢様気を付けてください」
「あ、ありがとうルドルフ」
殴られてもいないのに頬が異常なほど熱い。
そこにエミリア様が出て来た。
「まあ、ルドルフ帰って来たのね。ちょうど良かったわ。では、そろそろ行きましょうか」
私たちはフィアグリット家の馬車で王宮に出向くことになった。
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