いきなり番と言われても、それは断固お断りします

七夜かなた【10月1日新作電子書籍配信】

第1話

「覚悟はいいか?」


 そう尋ねられ、無言で頷く。


「愛している。生きて帰れたら今度こそやり直してくれるか?」

「私も愛しているわ」


 顔を上に向け、目を瞑る私の唇に唇が重なる。


「行くぞ」

「ええ」


 振り向くと、右方向からは大勢のゾンビ。左は断崖絶壁。

 私たちは断崖に向かって駆け出し、そこから海へ飛び込んだ。

 ザッバーンッ!!

 結構な高さから飛び込んだので、水面はかなり硬く感じた。

 ブクブクと泡を作りながら、海中に沈んでいく。

 目を開けると、同じように落ちた彼が目で合図してくる。

 親指を立てて合図を返すと、体を反転させて頭を上にして海面へと浮上した。


「カァーット」


 海面に顔を出した瞬間、監督の声が聞こえた。

 声が聞こえた方へ顔を向けると、ゴムボートに乗った大野監督が両手で大きな丸を作っていた。


「いやあ、さすが翠ちゃんと猛だ。一発オッケーだよ」

「やっりー!」


 すぐ傍に一緒に飛び込んだ猛が泳いできて、二人でハイタッチする。

 私たちはスタント俳優で、今日は主役達の代わりに、断崖の上から海へ飛び込むシーンを撮影していた。

 突然宇宙から降り注いだ謎のウイルスに侵され、人々がゾンビになった世界。唯一そのウイルスの抗体を持つ少女と、その彼女を守る元自衛隊員との逃走劇。私はその少女役のアイドルのスタントマンだ。


「二人ともお疲れさん、今日はもう二人の出番は終わりだから、あがっていいよ。寒いだろ」


 助監督の前田さんが私たちにそれぞれ浮き輪を投げてきて、二人でそれに掴まった。

 季節は春とは言え、まだ海の水は冷たい。撮影中は緊張していたが、いつまでもいては骨まで凍ってしまいそうだ。

 先に辿り着いた猛が海からボートへ上がり、その後に続いて上がろうとボートの縁に手をかけた。


「え」


 その瞬間、右足首を掴まれた。

 何が起ったのかわからないうちに、海へ引きずり戻される。

 バタバタと足をバタつかせ、足首を掴むものを振り払おうとする。一体何がと下を向くが、何も見えない。

 それでも何かが足首に絡みついているのがわかる。左足で右足首を掴む、目に見えない何かを蹴り飛ばすと、確かに手応えがあり、実体のあるものが存在するのがわかる。

 水の抵抗の中、何度か蹴り続けているうちに、足首を掴むものの力が緩んだ。キックボクシングで鍛えた足の力で、最後に大きくたたき落とすように蹴る。


「翠!」


 同時に海面から猛が両手を伸ばしてきた。そこに掴まると、一気に引き上げられた。


「ゲホッ、ゲホッ」


 引きずり込まれ時、いくらか海水を飲んだらしい 私は水を吐き出した。


「おい、大丈夫か?」


 大きなバスタオルでくるんで、誰かが背中をさすってくれる。


「だ、だい、ゲホッ」


 手の甲で口を拭い、顔を上げた。


「足でもつったのか?」


 猛がふくらはぎに手を伸ばす。寒い時にはよくあることだ。


「ちが、な、誰かが、足を掴んで」


 そうとしか思えない。あれは確かに人の手の感触だった。


「足を掴まれただって?そんなばかな」

「私だって、そう思う。でも・・・」


 掴まれた右足首を見ると、そこは赤く型が付いていた。


「きっと海藻か、ビニールでも絡まったんじゃないか」

「そうかな・・・」


 でも絡んだだけで、あんなに引っ張られるものだろうか。


「海藻、だったのかな」


 蹴りを入れた時の感触は、そんなビラビラしたものじゃなかった。でも、じゃあ何だったのかと問われれば何も言えない。

 腑には落ちなかったが、はっきり海藻ではなかったとも言い切れない。


「さあ、とにかく陸へ戻ろう。いつまでもそのままじゃ、いくら頑丈なお前達でも風邪を引くぞ。皆撤収だ」


 監督が声を掛け、ボートが一斉に浜辺へと向かった。


「翠、よかった無事で」


 猛がガタガタと震える私を抱きしめてきた。


「ありがとう、猛」

「仲間じゃ無いか。気にするな。それよりさあ、この後だけど」


 身を寄せて、他の人に見えないようにバスタオルの上から猛が胸を触った。


「この後?」

「わかってるだろ、撮影の後はアドレナリンがすぐには収まらないんだ」


 そう言って、猛は自分の硬くなった下半身を腰にすり寄せ、耳元で囁く。

 明らかにあっちのお誘いだった。


「いいよ。いつものところで」

「へへ、やりぃ」


 無邪気に笑う猛を見て、私も微かに微笑んだ。

 あんなことがあった後は、他のことで気を紛らわせる必要があった。

 私は猛のセックスのお誘いに乗ることにした。

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