キミと猫と、恋のお話

きりしま

1章 キミと不審者と、だんごのお話

第1話



 今日のおうし座のラッキーアイテムは、バレッタだった。


 特別当たる占いというわけではなかったけど、わたしはいつも髪をハーフアップにしているし、仕上げに何かしらのアクセサリーをつけるようにしているから、ヘアアクセを詰めたカゴの中からそのバレッタを選ぶのに、迷いはなかった。


 まっ黒で、アーモンド形のビジューの目がついた猫の顔のバレッタ。


 それは、中学を卒業すると同時に遠くに引っ越さなくてはいけなかったわたしに、親友の佐緒里さおりがプレゼントしてくれたものだ。『マルちゃん、寂しくなったらこれ見て笑って』って言って。

 実はその猫の顔は絶妙にかわいくなくて、見るたびに笑ってしまうのだ。


 今朝もそう。

 鏡の前で手にとって、ついつい笑ってしまって、たったそれだけで気持ちが前向きになって、なんかいいことあるかもって、スクールバッグの肩ヒモを握る手にいつもよりちょっとだけ力が入ったんだ。

 だけど、下校途中の今、「いまいちパッとしないまま一日だったなー」なんて、ため息をつきながら歩く自分がいる。

 べつに星占いのランキングでおうし座が十二位だったからってわけじゃないと思う。


 季節は春。四月の第二週。

 出会いと別れの多いこの季節、別れの方が多かったわたしは近ごろ少し憂うつなのだ。


「だんご~。だんご~」


 まだ見慣れない街の風景。このあたりでは一番の目印になるイチョウ公園の前にさしかかったとき、突然そんな声が聞こえてきた。


 おだんご屋さん? 


 つい振り向いてしまったけれど、それらしい人はいない。


 そりゃそうだよね。

 ヤキイモ屋さんやおとうふ屋さんは見かけたことがあるけど、おだんごを売ってまわる人なんか見たことも聞いたこともない。

 そもそもこのあたりは住宅街で、大きい通りに出ないとコンビニさえないんだ。


 空耳かなあと思って、わたしは歩き出した。

 すると、また「だんご~」という声が聞こえてくる。

 公園の、となりの家からだ。

 気になって、少しだけ速度をあげてその家に近づいた。

 洋風の二階建てだ。赤い屋根がおしゃれ。

 いいなあ、と、うらやむような気持ちでそっと門の中をのぞいた――次の瞬間、わたしはのどの奥でひっと小さな悲鳴をあげてしまった。


 庭先にある広いウッドデッキの下から、デニムの脚がにょっきり突き出ていたのだ。


「な、なになになに……」


 通学用のカバンを抱きかかえ、思わず一歩二歩と後ずさりする。

 脚の主は腹ばいになって、ウッドデッキの下に頭をつっこんでいる状況だ。

 つまずいたとか、何かの病気で倒れてあんな体勢になるとは思えない。


 何かの修理? 


 そうならいいけど、もし昨日見たサスペンスドラマみたいなことだったら――!

 よけいな想像力がはたらいて、身震いしたわたし。


 とにもかくにも関わらない方がいい気がして、即、回れ右。

 でもまた「だんご~」という声が聞こえてきて、否応なしに目を引かれてしまった。


 声が、ウッドデッキの下からしていたのだ。

 声の主は、どうもこの不審人物みたいだった。

 明らかに変。

 でも気になる。

 いや、明らかに変だから、気になるの?


 しばらくその場で葛藤したあと、わたしはいっそう強くカバンを抱きしめ、そーっと問題の人物を観察した。

 靴底が上を向いたスニーカーは、かなり大きいサイズだ。

 男の人だってことは確実。

 ついでに声の感じからすると、まだ若い。

 たぶんわたしと同年代だろう。


 何してるんだろう。

 彼は腹ばいのまま前に進むでもなく戻るでもなく、「だんご、だんごー」とくり返している。

 お団子を売っているというよりは遠くの誰かを呼ぶような調子だ。

 なにかいるの?


「頼むよだんご、出てきてくれ。なあって……」


 彼が情けない声で訴えたとき、ようやく、わたしは『ペットが逃げ出したのかもしれない』と気がついた。

 よく見たら、ウッドデッキの柱のところに小型犬や猫にぴったりのキャリーが置いてある。

 ハードタイプのがっしりしたものだけど、ワイヤーネットの扉が開けっ放しだから、きっとペットがキャリーから逃げだして、そこに入りこんでしまったんだろう。


 わたしは静かに彼に近づいた。「大丈夫ですか?」と声をかけるつもりだった。

 自分で言うのもなんだけど、わたしは筋金入りの人見知りだから、ふだんは見知らぬ人に声をかけるなんてありえない。

 でも、このときは『ペットのピンチだ』と半分確信していたから、身体が動いたんだと思う。

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