第9話 それはきっと、運命の出会い



「……ううむ」


 放課後のファミレス。

 僕は腕を組んで唸る。


「……どうした蒼汰。また発作か?」

「発作って。そんな病人みたいに」

「いや病人だろこいつは、どう見ても」


 目の前にいるのは、雅之と聖也。

 今は友人たちと三人。いわゆる男子会、というやつを催している。

 普段なら例のカフェで妻を待つ時間帯。

 しかし今日は、どうしても彼らに相談したいことがあった。


「……一つ聞きたいのだが」

「ん?」

「……キミたち、恋愛に興味はあるか?」

「は……?」

「え……?」


 ぽかん、とする二人。

 む。やはり少し唐突すぎたか。


「……いや、何言ってんだお前?」

「う、うん。どうしたのいきなり……?」

「いやすまない。ふと気になってな……キミ達に恋人はいなかったと記憶しているが、恋人が欲しいとは思わないのか、とな」


 そう言うと、なぜか目を泳がせる二人。

 しかし、若干様子が違う。


「そう、だな。俺は……」

「……まあ、うん。欲しくないことはない、よね」


 なぜか気まずそうな雅之。もじもじする聖也。

 む? この反応の違いは……?


「……待て。雅之くん、もしやキミ……?」

「な、なんだよ?」

「え……」


 そこでようやく、聖也も気づいたらしい。


「え……え!? ま、雅之!? まさか……」

「あ、いや、その……」


 目を泳がせる雅之。それに絶望的な顔をする聖也。

 僕らが見つめる中、雅之はやがて諦めたように肩を落とし。


「……ああ、ちょっと前から、付き合ってる子がいる」

「……っ!??」

「やはり、か」


 驚天動地、といった表情の聖也。

 しかし当然僕は狼狽えない。妻帯者の余裕である。


「ふむ、友人の恋人となれば、一度は紹介してもらいたいものだが」

「いやお前にだけは紹介しない。絶対に」

「……」


 心外である。

 そして聖也よ。先ほどから何を絶望的な顔をしている。


「ま、雅之が彼女持ち……じゃあ、僕だけ……」

「……ああ、なるほど」


 自分だけパートナーがいないことを嘆いていたのか。

 ふっと苦笑する。

 まったく、そんなこと気にすることもなかろうに。


「つか、こいつは別に彼女持ちじゃねーだろ」

「あ……だ、だよね!?」


 ぱっと明るい表情になる聖也。

 む? 何を言っているんだ? いや、待て。


「ふむ、確かに彼女持ち、という表現は適切ではないな。僕は”妻帯者”だ」

「……」

「……」


 胸を張って言うと、なぜか黙りこくってしまう二人。

 はて。何か変なことを言っただろうか。


「……あー、うん……なんか、もういいや」

「……だな。聖也、お前はこいつみたいになるなよ」

「ならないよ!?」


 冗談でもやめて! とばかりに、悲痛な声を上げる聖也。

 心外だ。むしろ万人が僕を目指すべきだろう。


「で、なんだよ。恋愛がどうしたって?」

「う、うん。そうだね。そっちに話を戻そう」


 ぶんぶん、と首を縦に振る聖也。

 ふむ、仕方あるまい。

 元々今日は、この相談のために彼らを呼んだわけだし。


「いや、この前妻がな。恋愛に興味がない、などと奇特なことを言っていたものでな」

「妻……ああ、姫上さん」

「……それで姫上さんってわかっちゃうのも、姫上さんが可哀想だよね」

「失敬な」


 何が可哀想なのか。むしろ最高の誉れだろうに。


「姫上さん、な。あの子も不思議だよな。アホほどモテるのに彼氏の一人も作らねえし」

「いや、それは僕が」

「確かに。この前も、高園先輩をばっさり振ったのには驚いたよね」


 ……それは僕がいるからだ。とは、なぜか言わせてもらえない空気。

 だがまあいい。

 それより、彼らから見た姫上さつきとはどんな人間なのか。それが知りたい。


「……実際、恋愛に全く興味がない人間というのは、いるものなのか?」


 そう、そこが気になった。


 配偶者を求めるのは、動物であれば当然だ。

 本能に刻まれたプログラムのようなもの。

 それが機能しないとは、もはや生物として破綻しているのではなかろうか。


 ……無論、僕がいる以上、彼女がそうだとは思っていないが。


「……まあ、いるところにはいるんじゃねえの」


 頭を掻きながら、雅之が言う。


「ただ姫上さんの場合、恋愛うんぬんっつーより、他人に興味がねえように見えるけどな」

「あ、それは僕も思う」


 雅之の言葉に、聖也が頷いた。


「クラスの女子とも、素で話してないよね。なんか一歩引いてるっていうか」

「壁があるわな。んで、男子に至っては近づいた瞬間ばっさりだ」


 ぴん、と手元のグラスを指で弾く雅之。

 そして頭の後ろで腕を組み、僕をじっと見てきた。


「……今更だが、あれは相当手強いぞ? 攻略難易度ナイトメアモード」

「……ないとめあもーど?」

「めっちゃ難しいってこと」


 聖也が補足してくれる。

 ふむ、変わった表現だ。ゲームの表現だろうか。ゲームはあまりやらないので、こういう言葉はよく分からない。

 雅之は、ソファにだるっともたれかかり。


「口説こうとして口説ける相手じゃねえ。と俺は思うんだが……ま、お前に言っても無駄か」


 苦笑される。すると聖也が、不思議そうな顔をする。


「……っていうかさ、蒼汰って、いつから姫上さんのこと好きだったの?」

「うん?」

「なんか出会った瞬間に運命を感じた、とか言ってたけど。その辺のこと聞いたことなかったなって」


 その言葉に、雅之も興味を惹かれたように身を乗り出してくる。


「ああ、確かに。せっかくだし、聞かせろよ」

「ふむ……」


 別に、特に面白みもない話だが。

 まあ、今日一日付き合ってもらったことだし。それぐらいは話してもいいか。


「そうだな……どこから話そうか」


 今となっては懐かしさすら感じる。僕と彼女の出会い。

 ゆっくりと、僕はそれを思い出した。









 ――それは、高校入学日の朝。


 僕は鏡の前で、今日も美しい己を眺めた。


「ふふ……とうとう僕も高校生、か」


 新しい制服を纏いポーズを決める。

 そのあまりの神々しさに、我ながら眩暈を覚えてしまう。


「……お兄ちゃん、もうさっさと行ってよ。鬱陶しいから」

「まあ待て妹よ。もう少しで最も美しく見えるポーズが決まりそうなんだ」

「うざい。早く行け」

 

 蹴られる。最近、妹の僕に対する扱いが雑になってきた気がする。

 これが反抗期というやつか。

 昔はことあるごとに”将来はお兄ちゃんと結婚する”と……言っていたような、いないような。


 まあ彼女ももう少し大きくなれば、この完璧な兄の偉大さに気づくだろう。


「仕方ない……では、行ってくる」

「はいはい、行ってらっしゃい」


 雑に手を振る妹に背を向け、僕は家を出た。


「……ふむ、学校までは家から30分、といったところか」


 僕が通う九条院高校は、偏差値60オーバーの進学校だ。

 そこに僕は当然に、優雅に合格した。

 大した努力などは必要なかった。


 無論、受験一週間前に知恵熱で倒れるほど勉強した、などという事実は全くないのだ。


(やれやれ、見た目だけでなく頭も、とは。天は一体僕に何物与えれば気が済むのか)


 ふぁさっと髪を払う。

 通りすがりの女子生徒が見惚れて振り返るが、それも当然。


 なにしろこの僕は、女神も羨む美男子なのだから。


 しかし、それだけでは解決しない問題もある。


(……果たして僕と釣り合う女性が、この学園にいるかどうか)

 

 僕がこの学校で成し遂げるべきは、一つ。

 将来の伴侶。知的で清楚でエレガントな女性を見つけることだ。


 世間では若いうちは数をこなせ、という風潮があるが、とんでもない。

 たった一人の愛すべき女性を見定め、生涯を共にする。

 それこそが、貴族の在り方というものだろう。


 この学校を選んだのもそれが理由。

 偏差値が高ければ、いる人間の質も上がる。

 その分、僕の理想とする女性に出会える可能性も高いはずだ。


「……む、まずい。少し時間が押しているか」


 最寄り駅で時計を見て、若干焦る。

 入学式まで、あと10分もない。

 自宅の鏡に時間をとられすぎたか。反省しよう。


 そうして、僕がやや駆け足で学校に向かう途中――


「……ん?」


 学校近くの道端に、、小さな人だかりができているのを見かける。

 集まっているのは数人だが、誰もどこか気の毒そうな顔をしていた。


(なんだ……?)


 時間はないが、気になって少し覗いてみた。

 すると、そこには。


「……猫、か?」


 傷だらけで、今にも息絶えそうな猫の姿。

 車にでも跳ねられたのだろうか。足は曲がり、立つこともままならない様子だった。

 その姿に僕は、一瞬息を呑む。


 助けてあげたい。そんな気持ちが、全く湧かなかったと言えば嘘になる。

 だが……


(……可哀想だが、致し方ないな。感染症のリスクもあるし、うかつに手を出すわけにはいかない)


 時間が経てば、やがて保健所の人間がくることだろう。

 その頃には手遅れになっているかもしれないが、致し方ない。

 そう思い、罪悪感に駆られながらも、僕は学校に向かうことにした。


 ……その時。


「お、おい君!?」


 不意に、集まっていた数人の一人が声を上げた。

 見ると、猫の傍に、一人の女子生徒がしゃがみこんでいる。


(……?)


 僕の方からは、彼女の後ろ姿しか見えない。 

 だが、その制服は。


(同じ学校……同級生、か?)


 思わず足を止めてしまう。

 そして、彼女が何をするのかと見ていると。


「な……っ!?」


 彼女はやがて、そっと猫に手を伸ばし。

 躊躇なく、その胸に抱きかかえた。


(バカな……っ!)


 思わず声を上げそうになる。

 何をしているんだ、と叫びたい。

 そんな血だらけの猫に直接触れるなど、どんなリスクがあるか分からないのに。


 そして、猫を抱えたその少女が振り返る。

 その瞬間。


「――っ」


 僕は、言葉にならない衝撃を受けた。


 長いまつ毛の美しい瞳。

 すっとした鼻筋、小さな唇。

 これまで見てきたどんな女性より、その少女は美しかった。


 そして彼女は、迷いなく学校とは逆方向に走っていった。


「……」


 僕はその背を、ただ呆然と見送った。

 入学式の始業時間は過ぎている。

 だが、そんなことはどうでもよかった。


 この時、僕の胸を占めていたのは、一つだけ。



(……見つけた)



 運命の女性に巡り合った、高揚感だけだった。

 





ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


【あとがき】


ここまでお読みくださり、ありがとうございます。


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