異世界銃士は脱走中

佐藤すずもと

第一話 奇妙な呪い

薄暮の林から現れた男女は、明らかにこの場所にそぐわない存在だった。


一人は並外れて大柄な老人で、鍛え抜かれた肉体が衣服の下からも窺え、その所作には品格が感じられた。

一方の若い女性は、高価そうな黒を基調とした控えめな装いに身を包み、老人のものと思しき大きな外套を羽織っていた。

闇に溶け込むような黒髪が、彼女に神秘的な印象を与えている。


彼らの進む先には、この山中には不釣り合いなほどしっかりとした小屋が佇んでいた。


「丁度良い。ここで少し休ませてもらおう」


老人は言うや否や、手慣れた様子で腰のナイフを取り出し、ドアの錠前を破壊した。

警戒しながら小屋に足を踏み入れる老人に、娘は戸惑いを隠せない。


「構わん。後で家主には謝罪する」


こんな山中の小屋に鍵がかかっていることに老人は違和感を覚えたが、今は休息が優先だ。

老人は彼女を庇うように小屋へ招き入れる。

異様なまでに整然とした室内に、老人は強い疑念を抱いた。


「まずは一息入れよう」


改めて目にした室内は、外からの古びた印象とは裏腹に、最近丁寧に改装されたようだった。

特に目を引くのは、見慣れない形をした真新しいかまどだ。

よく観察すると、その構造が実に綿密に設計されたものだと感じられた。


かまどのそばの戸棚を開けると、中には金属の網で編まれた親指ほどの球体が収められていた。


「良いものがあるな」


夕暮れの日差しにそれをかざすと、中にはガラスのような玉が浮かび上がった。

右手には桶があり、都合よく飲み水が満たされていた。

ケトルにその水を注ぎ、先程の球体を三つかまどの天板に置き、指で軽く突くように少量の魔力を流し込んで起動させた。

ぼんやりと周囲の空気が揺らぎ、球体の内部が青く光り始める。

それを確認すると、彼はケトルをその上に置いた。

ほどなくして、ケトルからかすかな沸騰音が漏れ始める。


ケトルの沸騰音にかき消されるような、かすかな気配を老人は小屋の外に感じ取った。


警戒しながら耳を澄ませ、疲れた体を引き起こして、娘にそこにいるよう手をかざした。

気配は大人数ではないことは明らかだったが、なぜかその場から動こうとしない。


老人は最大限の警戒を払いながら、ゆっくりと扉の外へ身を乗り出す。


扉の先、数歩の距離に一人の青年が立っていた。


一見すると黒髪に見えるが、日に透けた部分はかすかに赤みを帯びていた。

流石にこの老人のように大柄ではないが、平均的な騎士団員並みに鍛えられた体つきが服の上からうかがえる。

肩には見たことのない大ぶりな銃が掛けられていたが、格好から軍人でも猟師でもなさそうだ。

青年は特に敵意を示すこともなく、観察するように老人を見つめ、やがてゆっくりと老人の方を指差した。


「そこ、俺の住んでる小屋なんだけど」


彼は指をゆっくりと老人の右側へ動かす。

その先には、無残に壊された錠前がぶら下がっていた。


「これはすまぬ。家主であったか」


多少戸惑いを見せる老人の脇から、女が猫のようにひょっこり顔を出した。


「待たれよ、わしに任せて中に入っておれ」


理由はわからなかったが、青年の表情にはかすかな焦りが見える。

このような美しい娘を見れば動揺するのも無理はないだろうが、どうやらそういった類の感情ではないようだった。


女は状況を無視するかのように、何の警戒もなく老人の横をすり抜け、青年へと歩み寄る。


「待たれよっ」


老人の制止も虚しく、彼女は悠然と青年と向き合った。

青年は平静を装っているが、彼女の行動に対して明らかに焦りを隠せない。

彼女はそんな青年にも物怖じせず、敵意も警戒心も見せずに、静かな口調で問いかけた。


「あなたはその呪いの実態を把握しておられますか」

「ん? 呪い?」思わず聞き返したのは、青年ではなく老人だった。


当の青年はその言葉には特に動揺を見せなかった。

ただ、何か思うところがあるのか、軽く安堵した様子で深く息を吐いた。


「女にしか影響しないらしいけど、……何故かあんたには効果が出ないらしいな」


彼女はその言葉に何も答えず、ただ意味深に微笑んだ。

緑色の瞳と、冬の冷たさがまだ残る微かな風にそよぐ彼女の髪が、ひときわ印象的だった。


「なるほど、そういうことか」


老人は、娘の正体が露見したのではと焦り、身構える。

だが、青年の口から出たのは予想外の言葉だった。


「あんた、そう見えて実はおと――」


ドゴンッ!


鈍い音と共に、容赦ない無慈悲な蹴りが彼のスネに突き刺さった。

彼女はぷぅと頬を膨らませると、ズカズカと小屋へ戻っていった。

青年はスネを抱えて転げ回る。かなり痛いようで、しばらく唸り声を上げていたが、やがて半分涙目になって老人を振り返り、訴えるように言った。


「ヒドくない!?」

「い、いや……、むしろ酷いのはお前さんの方ではなかろうか」


先ほどまでの緊迫感が嘘のように、なんとも微妙な空気が漂う中、とりあえず彼らは小屋に入って話をすることになった。



シャンシャンと音を立てるケトルを持ち上げ、青年は木製のカップにお湯を注いでいく。

木目が美しいそのカップは、持ち手もなく、まるでニスを塗ったような不思議な質感をしていた。

ケトルの下に敷かれていた青く光る三つの魔道具を、青年は火鉢ハサミで一つずつ掴み、桶の水に次々と放り込む。

「ジュッ」という音と共に、それらは青い光を放ちながら水に沈み、やがて光が静かに消えていった。

青年はカップをテーブルに置き、立ったまま手振りでそれを勧める。カップの中には少量の茶葉のようなものが沈んでいた。


「貴族が飲むような上品な茶とは程遠いだろうけど」


青年の言葉には、暗に「お前たちは貴族か」と問うような響きがあったが、老人はあえてそれを無視した。


「すまんな、いただこうか」


老人は娘の方を向きカップを寄せる。しかし、彼女はさっきから不貞腐れた様子で、足の間に腕を挟み、足をぶらぶらと行儀悪く前後に揺らしていた。

急に子供っぽくなった娘の態度に老人は奇妙さを覚えたが、今はこの状況をどうするかが問題だった。


「ところで、大の男が一日鉱山で働いて得られる金は四千タランテで、それでもまだ良い方だ」


青年は脈絡なく世間話のように話し始めたが、老人は特に反応を示さず、上品に茶を口に含んだ。

青年は先ほどの魔道具を火鉢ばさみで桶の中から一つ持ち上げ、老人に見せた。


「これは一つ一万八千する。盗むでもなく、躊躇なく茶を沸かすために使うなんて普通は考えない。そもそも魔術の使用を禁じられている平民は使い方すら知らないんだがな」


老人は一瞬だけ言葉に詰まりかけたが、動揺を見せることなく、軽く息を吐く。


「すまなんだな。魔力は後で補填しておくから、気を悪くせんでくれ」


この返答は、老人自身が魔力を操る貴族であることを暗に認めたも同然だった。

魔術とは不可視かつ強力な武器であり、万人が扱えるなら秩序など保たれるはずがない。

それゆえ、王侯貴族がこの力を独占し、支配の礎としている。


平民が魔力を扱うことは、どの国でも法的に禁じられているのだ。


老人には余裕があった。魔術が使えぬ平民の銃士。まともにやり合えば圧倒できぬはずがない。そう考えたからだ。


「その辺は気にしないでくれ。俺んじゃないし」

「……ん??」


老人は困惑した。


青年は明らかに自分たちを探ろうとしていたが、急に関心を失ったように見える。

相手の真意を計りかね、老人は慎重に青年の表情を窺った。

青年の言動には、まだ何か隠された意図があるのではという予感が拭えない。


青年は老人に向き合い、テーブル越しに椅子に腰を下ろした。


「この小屋を管理している婆さんは、あと五日は帰らない。俺も暫く世話になった分くらいは働いたと思う」


そう言うと、彼は小屋の内部を見渡した。老人もつられて周囲に目を向ける。

新しい木の香りが漂い、修繕されたばかりの箇所が目立つ。この青年が修繕したのだろう。


青年はテーブルに肘をつき、今度は女に視線を向けた。


「さて、そっちの人。先ほど言っていた呪いについて詳しいなら、ぜひご教授いただきたい」

「アティーファです。こちらはレオ様。まずは、お名前をお伺いしても?」


先ほどまでの不機嫌が嘘のように、アティーファは静かな微笑みを浮かべた。彼女なりの処世術なのだろうか。

一方、レオの顔には焦りの色が滲んでいた。危機感なく名前を明かしたアティーファとは好対照だ。


「メレクだ」青年は簡潔に名乗ると、アティーファに向き直って話を続けた。


「話を続けるが、俺の呪いは経験上、主に女性の自意識に作用する。あんたみたいな人には特にな。発狂されるかと思ったくらいだ」


淡々と語り続けるメレクの話を、レオはアティーファの容姿に基づいた判断だろうと推察した。

しかし、「発狂」という言葉は穏やかではない。


「逆に、この小屋の管理人の婆さんにはほとんど効果がなかった」


レオは、このような呪いを聞いたことはなかったが、アティーファが断定する以上、実在するのだろう。

アティーファは穏やかに、しかし揺るぎない口調で答えた。


「まず、私は簡単な解呪はできますが、専門家ではありません。そして、貴方の呪いは余りにも特殊で、私の手に余ります」


彼女は真剣な眼差しでメレクに向き合い、言葉を続けた。


「ですが、その呪いの効果は抑えられるかもしれません」

「あてがあるのか!?」


食いつくように椅子から身を乗り出したメレクの顔に驚きが走った。


「確実とは言えません。いくつか検証が必要になるでしょう」


メレクとは対照的に、アティーファは冷静に言葉を紡ぐ。


「ですが、私たちもここに長く留まるわけにはまいりません」


一瞬、メレクの眉間に深いしわが刻まれた。レオにもその意味は明らかだった。

つまり、アティーファはこう言いたいのだ。


「これからの逃避行にお前も付き合え」と。

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