第47話 被害者、錯覚

 意気消沈して、とぼとぼと出口に向かっていると、銀髪の少女が私を待っていた。


「春奈……」

「ギン……」


 気まずそうな様子に、垂れた耳や尻尾が見えるようだ。


「本当に、ごめんな……こんなことになって……」

「……いいよ」


 私はため息をつく。


「ギンはアマンダさんに命令されて、仕方なく従ったんでしょ? しょうがないよ。そもそもあんな人に逆らえるわけないんだし」

「……ああ」


 彼女は目を伏せた。

 その反応に、違和感を覚える。


 普段なら無視してしまえる程度のものだ。

 でも今さっき、キャスパー博士から罵倒された経験が、その違和感を増幅させる。


「……ねえ、さっき資料室でキャスパーさんと会ったんだけど」

「キャスパーと?」 

「なんかすっごい怒ってて。『殺されないだけありがたく思え』とか『バラバラにして埋めるべき』とか『アマンダとギンに感謝しろ』とか……ギン、なにか知ってる?」


 ギンの顔がこわばった。


「あの馬鹿……」

「やっぱり、なにか知ってるんだ」

「……いいや?」


 ギンはさっと視線を逸らした。


(わかりやす……)


 私はずいとギンに詰め寄る。


「ねえ、さっき私にごめんって言ったよね」

「う、うん……」

「本当に悪いと思ってるの?」

「もちろん」

「なのに隠し事するんだ」


 ギンがうっと言葉に詰まる。


「本当に悪いって思ってるなら、ちゃんと話てよ」

「……それは、できないんだ」

「じゃあやっぱり、隠し事はしてるんだね」

「あぅ……」

「そこまでバレたら、もう一緒じゃない」

「…………」


 ギンは口を閉ざしてしまう。


「じゃあもういいよ。またUDのサーバーをクラックして、自分で調べるから」


 もちろん本気で言ったわけじゃない。

 あの時は、お兄さんのことを想ってそうしただけだ。

 興味本位でクラックなんてするわけがない。


 言ってしまえば、ただの癇癪かんしゃくだ。

 アマンダさんにからかわれ、キャスパー博士にののしられ、ギンからもこうして隠し事をされる。

 そのせいで我慢できず、つい思ってもいないことを口走ってしまっただけだった。

 それなのに……。


「それはダメだ」


 ギンの顔が険しくなる。


「それだけは、絶対に」


 そんな切迫せっぱくした反応が返ってくるとは思っていなくて、私は戸惑ってしまう。


「……どうして?」


 ギンは迷うような素振りを見せる。

 周りを見回してから、


「こっち」


 と私の手を引いた。

 そのまま物置部屋に連れて行かれた。

 ここなら人に聞かれる心配がないと思ったのだろう。


 色々な物が乱雑に詰め込まれている。

 なんとなく、中学時代にアンリと過ごした、校舎の果ての秘密基地を思い出した。


「約束してくれ。誰にも言わないこと。春奈も、聞いた話を忘れること」

「なんでそんな……」

「約束してくれないなら、話せない」


 ギンの目は、どこまでも真っ直ぐだった。


「……約束する」


 気圧されるように、私はそう言う。

 それでもギンは悩んでいたけれど、やがて覚悟を決めるようにポツリと言った。


「オレのせいなんだ。こんなことになったのは……」

「それは、わかってるよ。ギンが責任を感じてること。でも、ギンは……」

「違う、そうじゃない。本当に、オレのせいなんだ。ボスはオレの尻拭いをしてくれただけで……」

「……どういうこと?」


 話の筋が見えなくて、私は困惑する。


「オレたちには……というよりも、ボスには敵が大勢いるんだ」

「そうだね」


 UDのサーバーをクラックして、その辺りの情報は知っている。

 中には結構やばそうな組織もあった。

 敵の敵は味方理論で、もしかしたら助けになってくれるかもしれないと思って、記憶していた。


「でも、それが?」

「ボスが日本に来て、敵対勢力が殺気立ってる時に、俺が不用意に二人と接触してしまった。それどころか、UDの拠点にまで招いて……そのせいで、敵対勢力が二人に目をつけたって情報が入ってきて……」


 私はハッとする。


「まさか、あれは保護だったっていうの?」

「……自分がしたことを、正当化する気はない。でも……二人の動向を調べたら、アンリは学校にいて安全だった。でも春奈は……」


 私は、家で一人でパソコンをいじっていた。

 襲うなら絶好のチャンスだ。

 現に私は、ギンに攫われてしまったのだから。


「でもだったら、あんな乱暴なことしなくても……」

「乱暴だったか?」

「いや……」


 私とギンは力の差があり過ぎて、怪我どころか痛み一つ感じなかった。


「そういう意味じゃなくて、事情を話してくれたら、素直について行ったのにって……」

「ああ、それはボスの指示だな。俺たちが友好関係にあるわけじゃないと、印象付ける必要があった。どこに敵の目があるのかわからないから。それで二人へのヘイトがなくなるわけじゃないけど……丁重ていちょうに拠点に招くよりは、ずっとマシだ」

「それは、そうだろうけど……」

「学校帰りのアンリには、UDの職員が接触したんだ。でもその職員は、日本語がネイティブからは程遠くて、すれ違っちゃったみたいでさ。そのせいで、話がややこしくなっちまった」

「……私の時みたいに、ギンがいけばよかったじゃない」

「そうしたかったよ。でもオレはその時、ボスと一緒に敵の相手をするのに忙しかったんだ。ただ暴れて潰せばいいって話じゃない。騒ぎにならないように、バランスを取りながら沈静化する必要があった。オレやボスじゃないと務まらないことだから」


 裏でそんな騒ぎになっていたなんて知らなかった。


「……それで、敵は?」

「もう大丈夫だよ。少なくとも、二人に危害を加えることはない」


 だから私は、こうして何事もなく解放されるのか。


(安全が、確保されたから……)


 私はため息をつく。


「でもだからって、私を一晩中くすぐる必要はなかったと思うけど……」

「うん、まぁ……そうだよな」

「……そこにもなにかあるんだ」

「いいや?」

「もういいって、それ」


 ギンはそれからしばらく、頭を抱える。


「本当に、約束だからな。誰にも言うなよ。春奈も忘れろ」


 そう念を押してくる。

 私は「わかった」と安請け合いしようとした。

 でも直前で言葉に詰まった。


 ——聞かないほうがいいんじゃないか。


 ふと、そう感じたのだ。

 でも今更後戻りできなくて、私はこくりと頷いた。


「……UDオレたちが、微妙なバランスの上に成り立ってるのは知ってるよな」

「もちろん。そりゃ国際ギルドなんて無茶を押し通してるんだから」

「中にはオレたちのことを、好き放題やってる無法者みたいに思ってる連中もいるみたいだけど……とんでもない。全方位の顔色を窺って、ガッチガチのがんじがらめで、自由なんてこれっぽっちもない。世間が思っているようなイメージとは、むしろ真逆だ」


 ギンはゲンナリとした顔をする。

 移籍してまだまもないはずなのに、この反応だ。

 よっぽどなのだろう。

 私もその辺は、事情通な方だと自負しているけれど、内実は私が想像するよりもずっと厳しいようだ。


「なんで国際ギルドが、UD以外にないと思う?」

「そりゃ、本当なら実現不可能な無茶だからでしょ?」

「もちろんそれもあるけど、それ以上に……国際ギルドには、なんの旨味うまみもないからだよ」

「旨味?」

「無理を押し通して実現したところで、得られるものは少ない」

「いやいや、UDは十分すぎるほどすごいでしょ……」

「ああ。でも『十分すぎる』程度だ。国際ギルドって無茶を成り立たせるために必要なリソースを、別方向に向ければ、もっと大きな成果が得られる。それも桁違いのな」

「それは……」

「ボスがその気になれば、国を牛耳ぎゅうじることだって簡単にできるはずだ。それほど、あの人は頭抜ずぬけている」


 世界一の女——

 そう言い切ったアマンダさんの顔を思い出す。


「それが世界唯一の国際ギルドとはいえ、所詮はギルドのボスにすぎない。どれだけもてはやされても、その事実は変わらない」


 確かに、その通りだ。

 アマンダさんがやっていることは、あまりにも非効率だ。

 だからこそ、目的がわからなくて怖いのだ。

 私が半ば本気で、世界征服を目論もくろんでいるんじゃないかと疑った理由は、そこにあった。


「日本に来るのだって、手続きだけで何ヶ月もかかった。危ない橋をいくつも渡って、綱渡りをいくつも乗り越えて……本当にギリギリの、いつ崩壊してもおかしくない危険を犯して、オレたちは日本に——ジローに会いにきたんだ」


 ぐらぐらと揺られる、終盤のジェンガが思い浮かぶ。


「そんな時に、サーバーがクラッキングを受けた。厳重な防壁をするりと潜り抜けて、足跡ひとつ残さず消えていった。……オレたちがどれほど慌てたか、わかるか?」

「それは……」

「もし機密情報を持ち出されて、ばら撒かれでもしたら、確実に戦争に発展していた。それどころか、『機密情報を持ち出されたかもしれない』って事実が広まるだけで、UDが必死にたもってきたバランスが、崩れていたかもしれないんだ」


 血の気が引く。


「そんな……待って、私はそんなつもりじゃ……」

「わかってる」


 ギンが宥めるように言う。


「春奈に悪意はなかった。機密情報も持ち出していない。……でも、それを証明できるか?」

「それは……」


 無理に決まっている。

 そんなの、悪魔の証明だ。


「犯人が春奈だってわかって、オレは本当に安堵あんどしたよ。敵に情報を盗まれたわけじゃないってわかったから。政治にうとい、戦闘員のオレですらそうなんだ。他の職員にとっては、もっとだったと思う。でも……」


 ギンが苦い顔になった。


「機密情報を持ち出していない保証なんてないんだから、万が一に備えて消すべきだって意見も出た。……いや、むしろそっちの方が多数派だったくらいだ」


 消す、という遠回しな表現が、余計にリアルだった。


「正直オレも、友達じゃなかったら賛成していたかもしれない」

「そんな……」

「平和な国で生まれ育った春奈にはわからないかもしれないけど……命は意外と軽いんだ。少なくとも、春奈はその一線を超えた。悪意がなかったとしてもだ」


 ——ダンジョンの方が、よっぽど命を大事にしている。

 ギンは独り言のように、そう付け加えた。


 私は私が機密情報を持ち出していないことを、よく知っている。

 悪意がないことも、ましてや戦争の火種を作ってやろうなんて考えていないことも、よくわかっている。

 そもそも足跡を残さずに済んだのは、機密情報に触れるほど深く潜らなかったからだ。


 だから拉致して一晩中くすぐるなんて、やりすぎだとすら思っていた。

 けれど……。


 向こうからすれば、そうじゃないのだ。

 私を傷つけずに、機密情報を持ち出していないとハッキリさせるためには、ああする他になかったのだ。


(そもそもクラックしておいて、悪意がなかったってなに……?)


 どれだけ自分に都合がいいんだ。


 私は自分の手を見た。

 指が揃っている。

 爪も剥がされていない。

 自分が無傷でいることが、信じられなかった。


 ——私は今でも、お前をバラバラにして埋めるべきだって思ってんだ。


 キャスパー博士の言葉が蘇った。


「だからキャスパーさんは、あんなに怒って……」

「いや、キャスパーは強固な反対派だったぞ。ガキを殺すとか冗談でも言うんじゃねえってブチギレてた」

「え? でも……」

「あいつは口が悪いから誤解されやすいんだ。根はいいヤツだぞ」

「…………」


 キャスパー博士の方が一回り以上年上のはずだけど……。

 二人の関係性がちょっと微笑ましくて、一瞬なごみかける。


 でもすぐに現実が押し寄せてきた。

 自分がやらかしたことの重大性に、押しつぶされそうになる。


「……でもどうして、黙ってる必要があったの?」


 こんな話を聞かされたら、私はもう、UDに逆らえない。

 それだけのことを、してしまった。

 それだけのことを、してもらった。


「……だからだよ」

「え?」

「それはオレが嫌だったんだ」

「どうして?」

「友達って、言ってくれたから」


 ギンが寂しそうに俯く。


「ギン……」

「だからボスが、遺恨いこんが残らないようにしてくれたんだ」


 その言葉を聞いて——

 そしてアマンダさんのこれまでの立ち振る舞いを思い返して、理解する。


(そうか……あの人は、今回のことを笑い話で済ませるつもりなんだ)


 まるで物事を茶化して、ただ無闇に状況をかき乱しているだけのように思えた。

 でもそれこそが、彼女の目的だったのだ。


 私はUDのサーバーをクラックした。

 アンリは拠点を襲撃した。

 でも私は拉致されて一晩中くすぐられたし、アンリは脅迫されて肉体関係を迫られたのだ。


 だからまぁ、どっちもどっちだよねー。


 なんて、ネット小説なら確実に炎上する、ぬるい落とし所に持って行ったのだ。

 その炎上の下に、私の軽率な行いが危うく戦争を——大勢の人が命を落としかねない事態を招きかけた事実を隠して。


 ——なに被害者ぶってやがんだ。


 キャスパー博士の、辛辣しんらつな言葉。

 本当に、その通りだ。


 


 心の中の藍染あいぜんが問いかけてくる。


(だから『アマンダとギンに感謝しろ』なのか……)


 そういうふうに思い込むように、私は誘導されていたのだ。


「だったら、ギンはなにも悪くないじゃない……」

「オレが二人を拠点に招いたりしなかったら、こんなことにはならなかった」

「そんなとこに責任感じないでよ……」


 余計に私が惨めになる。


 でもじゃあ、私はどうすればよかったのだろう。

 あのUDが、お兄さんに接近するのを、指を咥えて見ていればよかったのだろうか。


 結果だけを見れば、それが最善だったのかもしれない。

 でも到底無理だ。

 UDの目的もわからないのに、ただ傍観しているだけなんて……。


 私はアンリのように強くない。

 お兄さんのためにできることは、情報を集めることくらいだった。

 たとえ犯罪だったとしても、お兄さんのためならと……。


 その結果がこれだ。

 大勢の人に迷惑をかけて、話をややこしくして、それを笑い話として片付けてもらった。

 なのにそんな相手に嫌味を言ったり、被害者ヅラして話しかけたり、癇癪かんしゃくを起こして脅すようなことを言ったり……。


(あ、死にたい……)


 イジメられた時も、そんなふうには思わなかったのに……。


「ん」


 ギンが両手を広げる。

 私はその中に倒れ込んだ。


 痛いくらい、強く抱きしめられた。

 そこに、ふとお兄さんの面影を見る。


 彼女もそうやって、泣いている時に強く抱きしめてもらった経験があるんじゃないか——


「気にすんな。全部、丸く収まったんだから」

「……うん」

「約束だからな、春奈。オレから聞いた話は忘れろ」

「……うん」



 ———————



 話が大袈裟になってしまいました。

 私の当初のイメージでは、「クラックした春奈が悪い」というのが大前提としてあって、「いやでもだからって、拉致してくすぐり地獄はやりすぎじゃない? そりゃまあ、悪いのは春奈なんだけど……」といった印象になるように書いているつもりでした。

 でも想定していた以上にUDへのヘイトが強く、「実は保護だった」とか「傷つけずに機密情報を持ち出していないと証明するには、くすぐるしかなかった」とか今更言ったところで、焼け石に水だなと。

 なので「春奈のせいで危うく戦争になっていた」と話を盛ったのですが、そうすると今度は春奈が浅慮なアホになってしまって、それはそれで不本意……って感じで、バランスが難しいなぁ、と。


 裏側を知りながら書いている私と読者様では印象が違って当然です。

 少し考えればわかるはずなのに、その視点がすっぽりと抜け落ちておりました。

 アホは春奈ではなく作者なので、彼女を責めないでいただけるとありがたいです。


 あと私は「悪役っぽいやつが実はいいやつだった」って展開が大好きなのですが、ネット小説にはざまぁ文化があるからなのか、悪役っぽく登場させてしまうと、その時点でいかに制裁するかを期待させてしまうのだなと、今回のことから学びました。

 ネット連載をするのはこれが初めてで……リサーチが甘かったと反省しております。

 大変申し訳ありません。


 長々と失礼しました。

 要するに「失敗したなぁ……もっとやりようがあったなぁ……」とめちゃくちゃ後悔しています。

 この後悔を今後の創作活動に活かせればと思いますので、これからも温かい目で読んでいただけたら幸いです。

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