第20話 ジャイアン

 このエピソードは、2話と3話の間の出来事です。

 タイミングを見て、順番を変更しようと考えています。

 ———————



「ギィイイイイイイヤァアアアアアア!!!」


 ジャイアンの群れに取り囲まれる。


「キィィイイイイイイ——」


 巨大な蟻の魔物だ。

 ジャイアントアント、だからジャイアンなんだろうけど、略称でも通称でもなく、それが正式名称らしい。

 誰がそんなふざけた名前をつけたのか。


「——ィイイイイイッモォオオオッ!!!」


 ちなみにこの声は、ジャイアンの鳴き声ではなく、私の悲鳴だ。


「落ち着け、紗香さやか


 健吾けんごさんが私の肩に手を置いた。


「ジャイアンはそこまで強い魔物じゃない。落ち着いて対処すれば大丈夫だから」

「ち、ち、ち、違います! わ、わ、私っ、む、虫がっ! 虫がダメなんです!」

「だったら目をつむってなさい。その間に、私たちで片付けるから」


 優子ゆうこさんが私をかばうように一歩前に進み出た。


「行くわよ、健吾! 亮輔りょうすけは紗香ちゃんの護衛!」

「おう!」

「っ!」


 優子さんの掛け声に、健吾さんと亮輔さんが瞬時に応じる。

 私を目を固くつむった。

 戦闘音に紛れて、ぐしゅっと湿り気を帯びた音がする。


 虫の潰れる音——。 


 それだけで、めまいがした。

 肩をツンツンとされる感触に、私は薄目を開ける。


「……座って。耳、塞いでて」


 亮輔さんに小声で言われ、私はすぐにその言葉に従った。


 五分くらい経っただろうか。


「終わったわよ、紗香ちゃん」


 優子さんの穏やかな声がする。


「あ、でもまだ目を開けちゃダメよ。ちょっと見るに耐えない惨状だから。ほら、手を貸して。引っ張って行ってあげる」

「す、すみません……足に力が入らなくて……」

「あらら。亮輔」

「……ごめんよ」

「わっ!」


 私は亮輔さんに抱き上げられる。

 そのままお姫様のように運ばれた。


「この辺りまで来れば十分ね」


 優子さんの言葉を受け、亮輔さんが私をそっと地面に下ろす。

 人生初のお姫様抱っこ、という別ベクトルの衝撃が加わったせいか、ジャイアンの衝撃は薄れていた。

 まだ力は抜けたままだけれど、ちゃんと自分の足で立つことができた。


「ほら、もう目を開けてもいいわよ」


 私は恐る恐る目を開ける。

 ジャイアンの姿はどこにもない。

 私はようやく、安堵あんどの息をつく。


「本当にすみません……私……」

「気にすることはねえよ。まだ初心者なんだ、そういうこともあるさ。なぁ、亮輔」


 健吾さんに話を振られ、亮輔さんもコクコクと頷く。


「……気にしなくていい」

「ありがとうございます……」


 二人の気遣いは嬉しかったけれど、やっぱり気持ちは晴れなかった。

 まぶたの裏には、あの凶悪なジャイアンの顔がまだ張り付いている。


「……私、冒険者に向いてないんですかね……? ギリギリEランクに滑り込めただけだし……」

「そんなことないって。機転も効くし、体力もある。ちょっと力は弱いけど、戦闘能力が全てじゃないからな」

「パーティは助け合うものだから……サポート役も大事……」

「そうそう! 亮輔の言う通り!」


 優子さんが私の顔を覗き込んでくる。


「でも、本当に虫がダメなのね。面接の時に聞いていたけれど、まさかあれほどなんて」

「すみません……小学生のころに、ちょっとトラウマがあって……」

「どんな?」

「男子に上履うわばきの中にカブトムシのサナギを入れられたんです……私はそれに気づかず、そのまま足を……」


 三人の顔が引きつった。


「それは、なかなかね……」

「中学生になって、その男子に告白されて……実は小学生のころから好きだったって……」

「ああ、好きな人に意地悪したくなるみたいな?」

「マジぶっ殺してやろうかと思いましたよ」

「わー、今からでも実行しそうな顔」


 本当にトラウマなのだ。


「でもカブトムシのサナギだろ? ちょっとその男子の気持ちもわかるな」

「……レア」

「な。自慢したかったんじゃね?」

「…………」

「ちょっと男子ー。紗香ちゃんの殺意がそっちに向いちゃってるわよー?」


 健吾さんと亮輔さんが、あわあわと謝罪してくる。


「それにしても、アリでもダメなのね。私も虫が平気ってわけじゃないけど、見慣れてるからか、ジャイアンは大丈夫なのよね」

「俺の知り合いの虫嫌いは、魔物なら平気って言ってたな。馬鹿でかいから、もう虫として認識できないって」

「ああ、そういう面もあるかも」

「その……私はなんというか、虫という概念がいねんがもうダメで……だから大きければ大きいほど、むしろ拒絶反応が……」

「それは重症ね……とにかく紗香ちゃんは、初期のダンジョンは絶対にNGね」

「初期のダンジョン、ですか?」


 健吾さんが説明してくれる。


「ゲートが出現した時期で、大雑把に初期中期後期って分けられてるんだよ。で、初期のころのダンジョンには、虫型の魔物がうじゃうじゃいてさ」


 想像しただけで卒倒そっとうしそうになる。


「でもこの東池袋は、中期のダンジョンだから、虫型の魔物が比較的少ないんだよ」

「後期ならジャイアンも見かけないって話だしね」


 優子さんの補足に、私はすぐさま飛びついた。


「後期! 私、後期がいいです!」

「そうね。もう少し実戦を積んだら、遠征してみましょうか」

「……今すぐじゃダメなんですか?」


 健吾さんが声をあげて笑う。


「本当に嫌なんだな」

「……すみません」


 恥ずかしくて消えたくなる。


「謝らなくてもいい。誰にだって苦手なものはあるからな。ただ、攻略が進んでるダンジョンの方が新人研修には向いてるんだよ。特にこの東池袋は、S級認定されてるけど、大都会だけあって潜る人も多くて、上層階はかなり安全だから」

「なるほど……」


 いきなりS級ダンジョンに潜ると言われた時は焦ったけれど、ちゃんと考えられていたんだ。


「都会のダンジョンは癖も少ない。情報も豊富。だからうちでは、ここを研修の場所にしてるんだよ」


 その説明を聞いて、私は改めて、アイスガーデンに入ってよかったと思う。


(本当に、みんな優しい……)


 健吾さんはAランクで、優子さんと亮輔さんはBランクだ。

 そんなギルドの主力たちが、私のような初心者の研修を担当してくれるのだ。


 研修を終えれば、私は別の人たちとパーティを組むことになる。

 少し不安で、寂しいけれど、彼らが主軸のギルドなのだ。

 他の人たちとも、きっとうまくやれると思う。


(虫嫌いなんて克服こくふくしなきゃ……みんなの役に立つために……)


 私は固く決意する。

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