Episode13【出会い ―Wolf―】
【出会い─Wolf─】
──それは、幼き頃の約束……
―『なぁリュウ、いつか二人で、こんな組織を、終わりにしよう……』
当時、ウルフ8歳。
リュウ、14歳。
─『……――あぁ、約束だ』
昔は、兄だけを信用していた。
だが、幼き頃のこんな約束など、簡単に、消え失せてゆく……──
─────────────────
────────────
──────
月日は経ち、あれから、約10年──
━━━━━【〝
この組織のことは、幼い頃から、好きじゃなかった。
組織も、
そんな組織の中で、リュウと俺は生まれたんだ。
俺とリュウは、こんな組織で生まれながら、腐った組織に犯されることなく、生きていたんだ。……けれどそんなのは、いつまでも続かない──
〝リュウは変わった〟。
物事の考え方も、何もかも、リュウは、フェニックスにそっくりになっていった。
昔は、兄だけを信用していた。……そう、そんなのは既に、“昔の話”だ。信用していた筈の兄は、もういない。まるで別人だ。
そして俺は今も、この組織が嫌いだ。だが、嫌いだからと言って此処に生まれた以上、どうしようもないんだ。
……そんな時だ、“ブラック オーシャンが、かつてはエンジェルに対抗するための、極秘部隊だった”ことを知ったのは……──そしてその真実を知るのは、一部の警察と、エンジェルの幹部以上のみ。
その時俺は初めて、オーシャンに興味を持った。
自分がオーシャンに加わることは、大嫌いな組織への、せめてもの反抗だった。 かつてエンジェルと敵対していたオーシャンに加われば、少しは憂鬱が薄れると思ったんだ。
……──そして俺は、本当にブラック オーシャンの仲間になり、四代目総長の座までも、手に入れた。
──そうしてブラック オーシャンとして、白麟、黄凰、紫王と争う日々が、一年ほど続いていた。そんな、ある春のこと……──
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
****
桜咲く、ある春のこと。
ここは、ある美術大学だ。そして学生たちは、こんな話しをしていた……──
―「ねぇねぇ、まただよ……また、巻き込まれた生徒が、怪我をしたって……」
―「うそ~怖~い……」
―「うん。ほら、大学の裏庭に、綺麗な桜の木があるでしょう? その桜をスケッチしていた男子生徒が、巻き込まれたんだって」
―「あぁーあの裏庭かぁ……あの裏庭の塀だけ、あまり高くないもんね……」
―「そうそう。ちょうど、塀の向こう側が、暴走族の溜まり場になっているから……」
―「塀を乗り越えてくるわけね……怖~い……」
―「あの裏庭には、近付かないようにしなきゃ……」
そして、話しをしていた生徒たちは、立ち去る。
だが、その部屋の机で、昼寝をしている生徒が一人……──
「……ん? ……あっ、もうこんな時間だ……」
目が覚めた彼女は、慌てたように部屋を出て行く。
「早く行かないと……――今日、裏庭の桜の木、描くんだから……――」
そう呟いて、彼女は走って裏庭へと向う……──
──彼女は裏庭へと急ぐ。
辿り着いた裏庭には、目当ての桜の木。
彼女は美しい桜を見て一度微笑むと、キャンバスに下書きをしてゆく……──
桜の木のすぐ近くには、ブロックでできた塀がある……
そして、その場所に来て、暫く経ったころ……
彼女は一度、ブロックの塀の方へと、視線を向けた。
「……なんだか、騒がしい気がする……」
少し気になりはしたものの、彼女は絵を描き続ける。
──そしてその頃、塀の向こう側では……
「コラ待て、栗原!! 今日こそ決着だ!!」
「柳、お前それ、毎回言ってねーか? そんなに焦るなって。日を改めようぜ?」
軽やかに逃げる栗原。
それを追う柳。
「日なんて改める必要はねぇ! いつでも、勝敗なんて変わらねぇ!」
「まぁな。いつでも、俺が勝って、柳が負ける」
「ハァ?! んだとッ! てめぇー?! 真逆だ!」
何気にケロッと、柳を挑発する栗原。
走りながらの、二人の口論……──
「いつでも同じなら、今日じゃなくてもいいだろう? ──今日はさっさと帰って、寝る!」
「テメーのそんな予定、知らねぇーよ?!」
栗原はため息をついて、一人、呟く……
「俺って毎回、追いかけ回されすぎだろう。“勘弁してくれ”って感じだ……」
そう実は、毎回のことであった。毎回、柳に追いかけ回される。
──そのまま二人は、塀に沿うように、追いかけっこ状態だ。
──走って走って、とにかく、走る二人。
その時、誰かが前から歩いてきた……──
「ん? ……――」
栗原は目を凝らして、その人物を見る。
「「……――」」
そして、バチっと、栗原と前から来た人物の目が合う。
「「……?!」」
ハッ! とする、栗原とその人物……
「丸島?!」
「栗原?!」
その人物とは、黄凰の丸島だ。
そして丸島は、ニヤリと笑みを作った……──
「ちょうどいいタイミングだ! 栗原ッ今日こそ覚悟しろ!!」
「無理無理無理ッ! 相手してらんねぇーよ!?」
丸島は、こちらに向かって走ってくる。
後ろからは、柳も迫ってくる──
「待てよ?! 丸島! ホラ! 柳もいるぞ? 柳とお前でやってろよ!」
説得を試みるが……
「まずはお前だ! 栗原!」
「だからどうして、俺先なんだよ?! 酷くね?!」
そう、毎回追いかけ回されるのだ。丸島にも。
こうしてこの場は、最悪な挟み撃ち状態に陥る。
そして、そんな状況なので、栗原は大学の塀へと飛び乗った。
柳「テメーの逃走ルートは、代わり映えがねぇ!」
実は毎回のことらしく、柳も塀へと飛び乗った。そして丸島も、塀へと飛び乗る。
こうして結局、塀の上で挟み撃ち状態だ。
柳と丸島が、ほぼ同じタイミングで、栗原に向かって走り出す。
栗「ハァ~……なぜ毎回、こうなる?」
またまた実は、このパターンも毎回のことらしい。
栗原は挟み撃ちにされる前に、塀から下りて、大学の敷地の中へ……──
そして柳と丸島は殴りかかった互いの拳を、片手で受け止めた状態で、止まっていた。
二人、互いが気に食わない、とでも言うような表情で、睨み合う。
──そして、大学の敷地へ飛び降りた栗原は……
塀を飛び越えた、その向こう側には、熱心に桜を描く、一人の女がいた。
彼女はかなり集中しているらしく、こちらには気が付いていない。
柳と丸島は、相変わらず睨み合いながら、塀の上で、何かを言い争っている……
栗原はそっと彼女の後ろ側に回り、熱心に描いている、そのキャンバスを覗き込んだ。
「へー……上手に描くんだな」
驚いた彼女が、振り返る。
柔らかな、優しい色のブラウンの髪に、可愛らしい顔立ちをした女だった。
「あなた誰?」
「ん? いや、別に? ただの、通りすがり」
彼女は不思議そうな顔をしながら、こちらを見てくる。
「てかさ、キミ、こんな所で何してるんだ?」
「見れば分かるでしょう? あの桜を、描いているの」
彼女の指差す方向には、美しく立派な、桜の木がある。
「それは知っている。そうじゃなくてさ? ……ココ、危ない」
「危ないって?」
呑気に首をかしげる女。
その様子に、栗原はため息をつく。
「呑気な女だな? ……さっさと帰った方がいい」
栗原は彼女に背を向け、歩いていく……
そしてやはり彼女は不思議そうに、栗原の後ろ姿を見ていた。
栗原は、柳と丸島の方を振り返ってみた。すると、言い合いを終えたらしい二人が、塀を下りて、大学の敷地の中へと下りてくるのが見える。
「ヤバッ……さっさと逃げるか……」
逃げようとしたのだけど……
「……――」
柳と丸島が自分の方ではなく、先程の女の方へと向かって行くのが見えた。
「ん? また知らない人だ。あなたたち、誰??」
栗原の時同様、その女は柳と丸島を、不思議そうに見ている。
丸「お前なにしてんだ?」
「へ? さっきの人にも、そう言われたんですけど? 見て分かりませんか?」
丸島は呆れたように、視線を反らす。
丸「そういう意味じゃねーよ……つーか、俺らのこと、怖くねぇのか? お前、間抜けだな。天然か?」
「間抜け?? 天然?? ……いいえ。天然なんかじゃないですよぉ」
呑気に笑う女。
言葉を失う、柳と丸島。
柳「……コレ、天然だな」
丸「あぁ。こんなバカな女、見たことねぇ」
呆れた様子の柳と丸島。
だが二人は、顔を見合わせて、ニヤリと笑った……─―
柳「お前、けっこう可愛い奴だな」
丸「なぁ、来いよ? 一緒に、出掛けようぜ?」
「お出かけですかぁ? 行きたいのは山々なのですが、今はこの絵を……」
にっこりと笑う女。
柳と丸島は驚いたように、顔を見合わせる。
丸「おい柳、この天然っぷり、ヤバいぞ……ナンパされてるの、気が付いてねぇ……」
柳「『行きたいのは山々』って……天然だ。天然じゃなかったら、丸島にそう言われて『行きたい』なんて、言う筈がねぇ……」
丸「……─―おい、なんて失礼な……」
柳「だが、こんなに天然なら、都合がいい……」
丸「その通りだ……」
そして二人が再び、女の方を向く……
柳「その絵、何時までやるんだ? 出掛けたいなら、その後でいい。連れて行ってやるよ」
「お出かけ? あら嬉しい! 最近ぜんぜん、出掛けていなかったから……」
女はテヘッと笑う。
丸「決まりだな?」
柳と丸島も、怪しい笑みで、顔を見合わせた。
そして二人、小声で会話……
柳「丸島、俺が先だからな?」
丸「は? 俺が先だろ?」
「「…………――」」
柳「なら、勝った方が先だ……」
丸「いいだろう。覚悟しろ……」
そうして始まったのは、喧嘩……──
柳「俺の運の良さを、ナメんなよ?」
丸「フン……俺は、10勝0負の功績を持っている男だ!」
──喧嘩、ではなく、〝ジャンケン〞。
そして二人の、あいこ合戦……──
そんな中……──
栗「おい、お前バカか?」
「あ! さっきの人!」
見かねた栗原が、女の元へと引き返してきた。
栗「バカだろう? それとも、本当は分かってるのか?」
「はい??」
呆れて、栗原は再度ため息をつく。
栗「悪かった……。“分かってないな”……さてはお前、本物の天然だな……」
「え??」
首を傾げる女。
栗「おい、逃げるぞ」
「逃げる??」
栗「ったく、鬱陶しい……いいから! 逃げるぞ!」
「わぁッ!」
女の理解の悪さに苛立ちつつ、栗原はその女をヒョイッと担いだ。そして、逃げる……
そして、丸島と柳は……
「「栗原ッ?!」」
栗原が女を連れ去ったことに、気が付いた。
丸「待て栗原!! その馬鹿女は俺のだ!」
柳「栗原テメー! その間抜け女は、俺らが予約済だ!」
二人もすぐさま追ってくる。
栗「うるせー黙れ! この天然女は本物の天然だ! 手ぇ出すな! さすがに可哀想だ!」
『馬鹿女』『間抜け女』『天然女』酷い言われようだが、なぜか大人気である。
大学の敷地内で、女をめぐって追いかけっこ状態だ。
栗「アイツらしつけぇーな……」
栗原は走りながら、呟いた。
その時……
「ッ?! ……」
誰かに思い切り、暗がりへ腕を引っ張られた。
その女を担いだまま、暗がりの中へ……
その暗がりとは、大学の倉庫だった。
「テメー何しやがる!!」
腕を引っ張った人物を、怒鳴りつける栗原。
その人物は、白銀の髪をした男……──
「ッて、……上柳?」
なぜかそこには、白麟の上柳。
すると上柳は、冷静に言う。
「静かにしろ。気が付かれるぞ?」
最もなことだったので、栗原は口をとじた。
そして、倉庫の外では……
―「栗原の奴! どこに行きやがった?!」
―「あの野郎……! 次こそは容赦しねぇ!」
柳と丸島は栗原を見失ったらしく、その場を立ち去る……
「…………」
「……行ったな」
そして改めて、上柳を見る。
「上柳……助かった。ありがとな……つーかお前、どうしてココにいるんだ?」
「……ソコの木の下の芝生、俺の昼寝スポット」
上柳は倉庫のすぐ近くの、木を指差しながら言った。
「お前もずいぶん、呑気なんだな? 俺、この大学で毎回、柳、丸島に追いかけられてる。 お前、どうして見つからねぇんだ?」
「さぁな」
上柳は首を傾げる。
「「…………」」
「……まぁどうでもいいや」
「「…………」」
栗原は改めて、上柳に視線を向ける。
「上柳、どうして、助けてくれたんだ?」
すると上柳は、フッと一瞬、口元を綻ばせた。
「さぁな。ただの、気まぐれだ」
「…………」
「……女担いで必死そうだったから。今回は、味方をした」
「あ? ……――あ! この女の存在、忘れてた! ……――おい、天然! 怪我はねぇか?」
担いでいるくせに忘れていたらしく、今頃、女の安否確認をする。
すると女は担がれたまま、顔を上げた。
「あっはい。元気です!」
上「なんだ、その返事?」
栗「上柳、コイツは本物の天然だ」
上「納得」
栗「だろ?」
そして上柳は少しして、何事もなかったように、倉庫を出ていく……──
「俺は昼寝の続きでもする。……――せいぜい、仲良くな?」
倉庫の中には、栗原と女だけが取り残される。
担いでいた女を下ろすと、栗原は気難しい表情で、女を見た。
「おいお前? ……子どもの時に、教わらなかったのか? 『知らない人に声をかけられても、ついて行かない!』ッてな!」
「へ? なんの話しですか?」
「なんのじゃねーよ! お前、柳と丸島に、ついて行こうとしたじゃねーか!」
「だってお出かけ、楽しそう……」
「馬鹿野郎! 柳と丸島になんてついて行ったら、お前なんて、簡単にペロッといかれるからな!」
「……ペロ??」
「ッたく……――なんでもねぇーよ!」
すると女は少しだけ、俯いた。
「……ごめんなさい」
「分かりゃいいけどよ……女だったら、もっと気をつけろよな?!」
「……ごめんなさい」
悲しげな表情をする女に、栗原はやりずらそうに、視線を反らした。
「もういいから……。強く言って、悪かったな」
そう言うと、女は顔を上げた。
「「…………」」
「お前……――名前は? ……」
「藍……――松村 藍」
「へー……─―ッて、こんなこと聞いても、意味ないけどな。──じゃあな。藍、もうあの裏庭には、来るなよ? ……」
栗原は藍を残して、倉庫を出て行こうとする。
「待って。あなたは? 名前……」
栗原は少し驚いたように、振り返る。
「……栗原 聡」
名を答えると、栗原は再び前を向き、倉庫を出て行った。
──これが、二人の出会いだった。
深く考えずに、なんとなく聞いた名前。だが、無意味に思えた。もう、会うことはないだろうから。
──だが、意外にあっさりと、二人は再会することになる……
──次の日。
「オラッ! 待てや! この野郎?! よくも昨日はッ!!」
今回も、柳に追いかけ回される。さらに昨日のこともあり、いつもよりも、凄い形相で追ってくる……
「マジ勘弁してくれよ~……」
栗原は困ったように逃げる。
そして……いつも通りの人物が、今日も前から歩いて来る。“待ってました! ”とでも言うように、その人物は目を血走らせながら、走ってくる……
「栗原ぁ~!! よくも昨日は、女横取りしやがったな?!」
その人物とは昨日同様、丸島だ。こちらも昨日のことがあり、相当不機嫌そうに走ってくる。
そして、昨日同様、塀に飛び乗り、大学の敷地内へ……──
続いて、柳、丸島も大学の中へ……──
そしてそこには、昨日同様、桜の絵を描く藍がいた。
鬼の形相で追ってくる、柳と丸島。
そして栗原も、イラッとする……
「藍?! テメー! ココ来るなって言っただろうがぁー?!」
藍はびくっと肩を揺らす……
「ふへっ?! ごっごめんなさ~い……」
あたふたとする藍……
その横を、全力疾走で駆け抜ける、栗原、柳、丸島……
三人が走り抜け、風が吹き抜ける……──
「…………??」
藍は首を傾げながら、全力で走り去った三人の背中を眺めていた。だが、ずっと眺めていると……
「?? ……!」
柳と丸島が、またまた全力で、こちらに引き返してきた。
そしてそして、そのあと栗原も、全力でこちらに引き返してくる……
先に引き返し始めた柳、丸島が、藍の前で足を止めた。
丸「よぉ、昨日は連れて行ってやれなくて、悪かったな? 今日こそ、出掛けような?」
「……でも昨日、『知らない人に、ついて行ってはいけない』って、言われまして」
柳「なに言ってんだ? 俺ら昨日、知り合った。“知らない人”じゃ、ないだろ?」
藍は少しの間、柳の言葉の意味を考える。そして……
「そっか! ……――」
──と、藍が答えた瞬間、遅れてきた栗原が、昨日同様、藍を担いで疾走する。
栗「『そっか!』じゃねぇーよ?! 馬鹿かてめぇ?! あ?! 小学校からやり直せや?! ボケナス女!!」
「え~…ごめんなさ~い……!」
そして当然、柳、丸島も追ってくる。
まんま、昨日と同じだ。
栗「あぁ~! ホント、なんてしつけぇ~奴らだぁ!」
叫びながら疾走中。
そして、昨日の倉庫の近くに差し掛かる……
昨日言っていた通り、木の下には、上柳が空を見上げながら、寝転んでいる……
栗「あっ! 上柳!」
上「ん?」
「「…………」」
そして上柳は静かに……──目をとじる。
栗「ッて!? お前今日は、助けてくれねぇーのかよ?!」
そのまま栗原は、上柳の前を駆け抜けた。
続いて、柳、丸島も、上柳の前を駆け抜けて行く……──
三人が走り抜け、風が駆け抜ける……──
上「……突風のようだ。……元気だな、アイツら」
関心するように、上柳は去った三人を眺めていた。
そして暫く経ち……──
栗原は暗がりに、腰を下ろした。どうにか、柳と丸島から逃げ切れた。
栗原は、乱れた呼吸を整える。
荒い呼吸の栗原を、藍はじっと見る。
「あの? 大丈夫ですか……?」
栗原は、藍をキッと睨み付ける。
「藍、あの場所には来るなって、言っただろうが!」
「うん。ごめんね? ……でも絵の続きが……」
藍はシュンと、肩を落とした。
だがその後に、藍は言った。
「けど、私の通ってる大学ですもの、私がどこにいたって、いいでしょう?」
確かに、その通りだとは思った。
「……けど、気をつけろよ」
「うん。ありがとう」
藍はにっこりと笑った……
****
そして次の日、栗原は柳と丸島に追いかけられても、決して、大学の敷地の中には入らなかった。藍が言ったことが、正しいと思ったから。
自分が大学の中へ行くと、藍が絵を描く妨げになってしまうから。さらには、柳と丸島に、藍が目を付けられてしまうから。
そうして大学へ足を踏み入れない日が、5日、続いていた。
そんなある日、栗原はふと、藍のことを思い出す……
「アイツ、今日もあの場所にいるのかな……」
そして栗原はその日、再び、大学の塀の外へ、足を運んだ。もちろん、柳や丸島に追いかけられていない時に。
「……――」
少し考えてから、栗原は大学の塀に飛び乗る。すると、桜の木の下で、体育座りをしながら座っている藍がいた。今日は、あのキャンバスはなかった。
「「…………――」」
桜の木の下で座る藍と、塀の上に立っている栗原。
その二人の視線が、重なった。
栗原を見ると、藍はふわりと、微笑んだ。
「今日は、絵はやらないのか?」
塀から下りた栗原は、藍の近くまで行き、問いかけた。
「うん……――」
どこか遠くを見ながら、藍は小さく頷いた。
「「…………」」
遠くを見ていた藍が、栗原に視線を向ける。そして、栗原を見上げながら言った。
「ねぇ、どうして、来てくれなかったの?」
「……あ? ……いや、俺が行ったら、お前に迷惑がかかるし……」
藍は、ブンブンと、首を横に振った。
「迷惑なんかじゃないよ」
「…………」
「“聡に、また会えるかも”って……そう思ったから、次の日も次の日も、あの場所で、絵を描いていたのに……」
「「…………」」
二人は少しの間、不思議な感覚を抱きながら、互いを見ていた。
その日から二人はだんだんと、仲良くなっていく。
栗原はまめに、大学へ遊びに行くようになった。
そんなある日のこと……──いつも通り、二人は桜の木の下で会っていた。
藍は熱心に、桜の木へカメラを向けていた。
「写真も好きなのか?」
「好きかも。風景とか、よく撮るよ」
カメラのシャッター音が響く……
「よし、撮れた!」
藍は満足したようで、撮ったばかりの写真を、デジカメの映像で見せてくる。
「綺麗に撮れたな」
「でしょう!」
藍は嬉しそうに笑いながら、デジカメを操作する。
栗原は、嬉しそうに笑う藍のことを、眺めていた……─―
「ホラ? 聡、この写真も見て!」
藍が栗原の方を見ながら、顔を上げる。
すると、驚く程の至近距離で、視線が絡んだ―─……絡んだのだが……──
「ね? 綺麗でしょう?」
“何ともならない”。
藍は、先程と全く同じ笑顔のまま、聞いてくる。
「…………」
「ん? 聡、どうかした?」
「……なんでもねぇーよ」
“俺と至近距離で視線が絡んで、恥ずかしそうに頬そめて”…――なぁんて、“男の想像する女の可愛いらしい瞬間”、なんてものは、訪れなかったらしい。
「これも天然のせいか……」
「聡?? 何いじけてるの??」
「イジけてなどない」
「じゃあ、なに??」
「いや、ただの期待ハズレ」
「……なんの??」
すると栗原は、すっごい目力で、藍を見る……
「オレに、言わせるつもりか?」
首を傾げる藍。
……だが、こんな藍を見ていると、自分が馬鹿みたいな気分になってくる。イジけていても、虚しくなるだけだ。
「……ホント何でもない。気にするな」
だから結局、こう言うしかない。
少し期待した自分を恥ずかしく感じたから、誤魔化すように、立ち上がった。
「少しだけ、散歩してくる」
「えー、私も行くよ!」
藍も続いて立ち上がり、栗原が振り返る。
その時……
暖かく、柔らかな、春の風が、ふわりと吹く……──その風はまるで、二人を優しく包むように……
同時に、桜の花弁が、青空を泳ぐ──
“桜吹雪”――……
そして桜の花弁は、まるで青空に吸い込まれるように……──空高く舞い上がった……
あまりの美しさに、二人は言葉を失った……─―
藍は桜吹雪が終わってからも、少しの間、青空から目を反らせずにいた。
そのまま、藍が呟く……
「決めた。私、次は、桜吹雪の絵を描く……――」
そして藍は、栗原に視線を向けて、優しく笑った。
「聡と一緒に見た、青空に舞う桜吹雪……――綺麗に、描いてみせるね」
美しすぎる桜吹雪に、心奪われた。
あの瞬間……何かが、変わった気がした。
きっと、心を奪っていったのは、あの桜吹雪だけじゃない……――
そして言っていた通り、二人は散歩をしていた。
藍はスケッチブックを抱いたまま、歩いている。
そして栗原は、藍の撮った写真を、デジカメで見ながら歩いていた。
散歩する二人は、大学の校門へと差し掛かる……
そこで栗原は、カメラを斜め上の位置に、掲げた。
「藍、来い。一緒に写真撮ろうぜ?」
そう言うと藍は、にこやかに近付いてくる。
栗原は藍のその肩を、そっと抱いた。
──そして、この日の春の日は、写真の中に留まって、永遠になった。
ある春の日の、出会いと、始まりだった。
──────────────
──────────
────
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます