Episode 8 【コスモス】

【コスモス】

 これは瑠璃がレッド エンジェルとの接触をはかった日と同じ日の事。絵梨の話だ。


****


━━━━【〝ERIエリ〟Point of vi視点ew 】━━━━


 ──季節は秋。もう新学期が始まった。


 お姉ちゃんの家から学校へ通う事には、まだ慣れていない。早起きにも慣れていない。


 学校は別に好きじゃない。嫌いでもない。退屈な時間が流れるだけ。


 学業に打ち込めない。私には、学生の義務を果たしている余裕など、ないから。他の不安が頭の大半を占めている。つまり、勉強なんて頭に入らない。


 憂鬱と不安を感じながら、今日も学校にいる。


 人間関係に深入りなどはしない。それが一番、楽なの。──そう、学校で、必要以上に人と関わったりはしない。



 ──白清東ハクセイヒガシ高校。略して白東ハクトウ。私の通う私立高校の名前。


 どうでもいい時間を、今日も、自分の中だけで適当に過ごした。

 午後の六時限目、終わりのチャイムはそろそろ鳴る筈。この退屈な時間もそろそろ終わる。

 少しすると、チャイムが鳴り響いた。

 私は、一気に教科書を閉じた。


 ──ガラガラ……!


 その時、いきなり教室の扉が開いた。

 私を含め、クラスメイト全員の視線が開いた扉に集まった。

 開いた扉の方を見てから、私は自分の机に突っ伏して、寝ているふりをする。


「絵梨ちゃん! 遊びに来たよ!」


 聞き覚えのある声……


 教室がざわざわと騒がしくなる。

 少しだけ顔を上げて、教師を見てみた。驚き顔で止まっている。追い返してよ……


「絵梨ちゃん? 寝てる?」


「…………―――」


 “寝たふり”。……というか、私の机の前から声がした。顔隠してるのに、どこにいるのかがバレたらしい。

 すぐにバレた原因は分かっている。この長いブロンドの髪だ……


 ──サラ……


 髪、触られたっ?! ……


「触んないで! ……」


 とっさに顔を上げた。


「あれ? 起きてたの?」


「「…………」」


 顔を上げたら、やはり、正面に知り合いがいる……

 この男は、他校の不良少年、5分の1。赤のような、茶のような髪色をしている、

 その髪色は、嫌いじゃない。むしろ好き……

 というか、……私の前の席のの椅子を、奪って座っている。……内気な前の席の男子が困っている。(名前は忘れた)


「絵梨ちゃん、今度あそぼって言っただろ? 迎えに来た」


「…………?! …………」


「用事あったりするの?」


「………………まっまだ、ガッコ終わってないし! ……その前に光は?? 学校は?」


「絵梨ちゃんに会いに行くから、午前だけで切り上げて来たんだよ」


「………………」


 ニコニコとそう話す光。学校を抜け出したわけね? ヤンキーだ。

 普通に言うから、普通に愛想いい笑顔だから、さらっと聞き流してしまいそうになるが……勝手に午前だけで切り上げてくるとは……〝ヤンキーだ〞。


 クラスメイトが、ざわざわと騒がしい。それに少しだけ、耳をすましてみる……


―「あの制服……黒須クロス学院だ……」


―「えー怖~い……黒須も落ち着いてきたって言ってたけど、やっぱりヤンキー校だよね……」


 光たちの学校の名前。黒須学院。私立。

 ここら辺では一番のヤンキー校と言われている。

 光たちの学校は、つまり、雪哉たちが通っていた学校。やはり、雪哉たちがいた時代が、黒須学院の歴史の中で、一番大荒れの時期だったらしい。

 ブラック オーシャンの四天王が、同じ学校だったなんて……治安が悪かったというのにも、納得出来る。


「ね? 行こう?」


「学校終わってないし……」


「六時限目まで終わったじゃん? もう終わったも同然だよ」


「ダメでしょ?!」


「絵梨ちゃんはお利口だね」


 にっこりと笑っている光……


「とにかく! せめて廊下にいて!」


 光の背中を押しながら、教室の外へと押し出す……


「じゃあ、廊下で待ってるから」


「…………うん」


「「…………」」


 返事しただけなのに、光は私を見て、驚いた表情を作っていた。


「“廊下で待ってて”って事は、待ってれば来てくれるの?」


「……え? ……うん」


 連れて行く気満々だったくせに、本当は、自信がなかったのか、光は驚いているみたい……


「良かった……誘拐するくらい強引じゃないと、絵梨ちゃんは来てくれないかと思ってた」


「誘拐?!」


 真面目な顔で、“誘拐”とか言われた……


 ──とりあえず、光を廊下へと追い出した。自分の席へ向かおうと、クラスの方を向く……

 クラス中の視線が、私に向いている……見たくなる気持ちも分かるけど、うっとうしい。


「ねぇねぇ、さっきの人、柴山さんの彼氏?」


「違いますけど……」


 普段話もしないクラスメイトが、ニヤニヤとしながら好奇心で聞いてくる。


「柴山って黒須学院に友達いるんだな! やっぱり柴山ってヤンキーなの? 金髪だし!」


「うるさい」


 お調子者の男子が、楽しそうに話しかけてくる。目障り。


「青春って良いわねぇー? なんだかワクワクしちゃって、注意し忘れちゃったわ」


「…………」


 呑気な女教師……注意して下さいよ。


 ドイツもコイツも、面倒な連中。


 光の奴、とんでもない登場の仕方をしてくれたものだ……


****


 学校が終わって光の元へ行くと、光はまた驚いた表情をした。


「本当に来てくれた……」


「疑ってたの?」


「そういう訳じゃないよ。ごめんね……」


 思わぬ展開で、光と放課後デートをする事になってしまった……

 断れば良かったかも……とか思ったりもするけど、断らなかったのは、どうしてだろう? ……もしかしたら、自分が前向きになろうと思っているから? でも、なんだか少し、胸がチクチクする……前向きになるために、光を使ってる……これは、光への罪悪感? それとも、雪哉を思う自分を、自分が裏切っている……そんな罪悪感? 変なモヤモヤがある……


「絵梨ちゃん、乗って?」


「ん? ……」


 これが、高校生の青春デート? チャリンコだ。

 クラスメイトは光の事を『ヤンキー』とか言っていたけど、それほどでもない。〝チャリンコ〞だし。無免許でバイクを乗り回したりは、しないらしい。


 ──なんだか新鮮。雪哉といた頃、バイクの後ろに乗せてもらったりはしたけど……チャリンコとか、新鮮だ。


 雪哉にもチャリンコの時代があったのかな? ……とか思うと、なんだか面白すぎる。 けど雪哉は高校の頃はすでに、バイクを乗り回してただろうな……


 光に促されるまま、チャリンコの後ろに座ってみた。


「絵梨ちゃん落ちるよ? 俺の腹に腕回して?」


「え? ……」


 “落ちないように、腕を回す”……当たり前だ。けど男嫌いな私には、なんだか難しい。


「「…………」」


 変な間を作ってしまった。私って失礼だ。そう感じて、ソロソロと光のお腹に腕を回した。


「じゃあ、行くか。怖かったら言ってね?」


「うん」


 自転車の後ろに乗るの、初めてだった。


 変な感覚。……けど、悪くない。


 慣れてくると、心地好かった。


 穏やかに移り変わる、秋の風景……


 柔らかく通り抜ける、風……


 自分が自転車をこいでいる時は、風景なんて、そうは見れない。今は、鮮明に景色が見えてくる。


 景色を見て、あらためて気がつく。“秋”なんだ、って……──いつの間にか、秋になっていたよ。


 不安が渦巻いて、悲しみや寂しさに支配されて、必死に生きて、……思えば、まだ秋の風景を、しっかりと見ていなかった気がした。

 季節の移り変わりを、身体で感じ取る事を、忘れていた。


 肩が、少しだけ軽くなった気がする……──


 スッと、瞳をとじてみた……──


 こうすると、見えない何かを、感じ取ることが出来る。


 瞳をひらく……


 風になびく、私の金色の髪……


 見えるのは背中──


 風を受ける、アナタの、赤い髪……


 私はそっと、その背中に、頬を寄せた。


****


 自転車が止まった。

 目の前に広がるのは、一面の、コスモス畑。


「きれい……」


 自然と笑顔が溢れた。

 私の反応を見て、光も嬉しそうに笑った。


「絵梨ちゃんに見せたかったんだ」


「ありがとう」


 きっと今、私は満面の笑み……


「俺、絵梨ちゃんの笑顔好き」


「…………」


 いきなりそんなこと言うから、なんだか止まってしまった。


「絵梨ちゃん、止まらなくてもよくない?」


「……止まる」


「絵梨ちゃんらしいね」


 二人でコスモス畑の中を歩きながら、いろいろな話をした。


「絵梨ちゃんには、淡いピンクのコスモスが似合う」


「ホント?」


「うん。嘘言わないよ」


「なら信じる」


 コスモスの写真を撮りたかった。どれを撮るか迷ったけど、光が言った、淡いピンクのコスモスの写真を撮った。


 一面のコスモス……──


 宇宙のことを、“コスモス”とも言うらしい。


 まるで、宇宙の星がそのまま地面に落ちたみたい。


 コスモス畑。……広がる宇宙……──壮大なイメージが浮かぶ。


 壮大なイメージが、私の心を、少しだけ軽くする……──


 ──この気持ちをくれたのは、確かに光だった。


****


 ──それからその後二人で、ファミレスに行った。


 光は私が思っていたより、ずっと良い奴だった。隼人と一緒にファミレスに行った時も、それは感じたけど。

 光や隼人たちと関わるようになって、自分の男嫌いが、マシになった気がする。


 今日は金曜日だった。明日は学校が休み。だから、私たちはファミレスでゆっくりと過ごした。

 このファミレスは、24時間営業している。


 お互いの学校での事とか、そんな話で盛り上がった。


 そして、ダラダラと過ごした結果、二人ともファミレスで眠り始めた……迷惑な客だと思う。……


「あっ……! ……寝てた……」


 起きたのは、23時過ぎ。


「俺も寝てた……」


「寝癖ついてるよ」


「絵梨ちゃんもついてる」


「……えっ?! ……」


 私たちは、ようやく帰宅する事にした。

 帰りは当然、光が送ってくれた。

 深夜に自転車の二人乗りは危ない気がしたから、自転車を押しながら歩いて帰宅する。

 ようやく私の家が見えてきた。時刻は深夜0時過ぎ。


「絵梨ちゃん、遅くなっちゃってごめんね」


「ううん。大丈夫だよ。……ありがと……」


「良かった……」


 顔を見合わせて、お互い微笑んだ。

 今日は、久しぶりに楽しかった。



 ──家のすぐ近く。私は、足を止めた。私の家の前で、タバコの煙が上がっている。

 タバコを吸っている人物が、私の存在に気がつく。するとその人はタバコの火を、靴で踏みつけて消した。


 ……雪哉……―――


 そこにいたのは、正真正銘、雪哉だった。

 どうして、私の家の前に雪哉がいるの? 私に用? 私のこと、待ってたの?


 変に緊張して、心臓が可笑しい……

 雪哉を見たまま、私は止まっていた。

 雪哉も冷静な表情のまま、私を見ていた……

 光も驚いたみたい。止まってる。

 “雪哉は光の憧れ”って、隼人が言っていた。けど光は、緊迫した表情をしていた。雪哉と会えて、嬉しくないのかな?


 雪哉は私に何かの用があるのかもしれないけど、雪哉が最初に声をかけたのは、私じゃなくて、光だった。


「光……久しぶりだな。思ってもない光景だ。お前ら二人、仲いいの? それとも……――――」


「……絵梨ちゃんは、友達です。……すみませんでした」


 光がどうして謝っているのか、分からなかった。


「なに謝ってるんだ?」


「え? ……本当は、付き合ってるのかなって……」


「誰の話だ?」


「雪哉さんと、絵梨ちゃん……」


 また、雪哉と私の視線が交わった。


 答えは分かっているのに、どうしてほんの少しだけ、私は期待するのだろう?


「付き合ってねぇよ」


 当たり前の答え。……──なのに、落ち込む。

 “俺の女”って言って、強引に奪って欲しかったの……


「本当に付き合ってないんですか? ……」


 雪哉は光を見て、頷いた。


「……変なこと聞いて、すみませんでした」


「謝りすぎだ。久しぶりに会ったんだから、そんな顔するな」


 雪哉がそう言うと、光は少し安心したみたい。

 “ホントは付き合ってる”って思ったから、光はあんなに引きつった顔をしていたんだ。


「なら良かったです。……──そう言えば、……レッド エンジェルとの噂は聞いています。俺も隼人も亮も、岬も千晴も……みんな雪哉さんたちのこと、心配しているんです……大丈夫なんですよね?」


「お前らにまで心配されるとはな。俺ら四人は、そんなに腑抜けて見えるか?」


 雪哉は、余裕の表情をした。その表情が真実なのかは、分からないけど……なんだか説得力があるのは、確かだ。


「そんなっ腑抜けてなんてないですよ! 当たり前じゃないですか!」


「なら心配するな」


「……はい」


「久しぶりに会えて良かったと思ってる。ありがとな、光──」


 光はようやく、嬉しそうに笑った。光も、雪哉のことが大好きなんだ。


「久しぶりに雪哉さんに会えて、すっげぇ嬉しいです。……──雪哉さん、絵梨ちゃんに用ですよね? 俺はもう、帰りますんで……」


 気をきかせてか、光は一足先に帰って行った。


 ──光が帰り、私と雪哉、二人になっちゃった……。私に何の用だろう? ……


「……光と仲いいんだな」


「……ちょっとした知り合い」


「ちょっとした知り合いと、こんなに遅くまで一緒にいたのか?」


「……悪い?」


「……悪くねぇーけど……ホントに、ちょっとした知り合いってだけなのか?」


「そうよ。どうしてそんなこと聞くの?」


「別に……」


「…………」


「別に。……──光、いい奴だろ?」


「……そうだね」


「光は優しいし……お前と歳も近いしな? 悪くないんじゃねーの? ……」


「え? ……」


「だから……光とお似合いだって言ってんだよ」


「……そう、思ってればいいよ。……雪哉こそ、お似合いだね」


「は?」


「綺麗な彼女さんがいるじゃない? お似合いだよ……」


「違げぇよ……」


「何が違うの? “彼女”ではないって話? 一番のお気に入りってところ?」


「違う……」


 ──……だから、何が“違う”のか? ──


 この人はいつだって、何も教えてくれない。


「何が違うのか、分からない」


 ──やっぱり、ムカつく奴……


「違うとしか言いようがない」


「言えばいいじゃん」


「お前には、絶対教えねぇよ……」


「…………」


「お前だけには、死んでも言わねぇ……」


「…………」


 ──どうしてそんな、意地悪を言うの。


 この人は私との、心の触れ合いを拒む。


 それでも側にいたのは、無言で意思の疎通を感じていたから。


「…………絵梨? ……」


「…………」


「………おい? ……」


「…………」


 気が付いた時、私はうつ向いて、ただ泣いていた。

 頭の中が真っ白になってる……けど、自分の嗚咽が止まらない。体が心が、勝手に泣いている。


「なぁ、絵梨…………」


 何も答えられずに、泣く……

 泣いてなかったとしても、答える事などないけれど……


「絵梨……しっかりしろよ……――――」


 雪哉が今、どんな顔してるのかも、知らない。ただ、雪哉の声は焦ってる……──


「絵梨……絵梨? ……――」


 雪哉が私の名前を、何度も呼んでる……


「しっかりしろよ……! ……」


 雪哉が私の両肩を掴んだ。

 私はようやく、顔を上げる。

 雪哉は困ったように、辛そうな……よく分からない表情をしている。けれど、なんだか雪哉も必死そうに見えた……


「絵梨……どうしてそんなに泣くんだよ……」


「……かな……しぃから……だってユキが……――」


 泣いていて、上手く話せない……

 悲しいんだよ……悲しかったんだよ。

 雪哉が何も言ってくれないのが嫌なんだよ。

 雪哉に彼女がいるのが嫌なんだよ。

 側に居てくれないから嫌なんだよ……


 ──ねぇ……抱きしめて……――――


「絵梨……どうしてだよ……? また『大嫌い』って言って、突き飛ばせばいいじゃねぇーかよ……どうしてそんなに泣くんだよ……」


「違うッ……! 嘘だもん……大好きなのっ……」


 もう何がなんだか分からなくて、泣きながら、雪哉にすがった。


「やだよ……もう一人にしないで ! ……側にいてよ……抱きしめて……“愛してる”って言ってよ……」


「絵梨……――」


「愛してるって……――“愛してた”って言って……」


「“愛してた”……」


 『愛してた』って言った。 言ってくれた。言わせた……嘘かもしれないけれど……──その言葉は、私を救う言葉。


 “愛されていた”・“愛しあっていた”……──そう、言い聞かせるの。


 “この人と過ごした日々は、嘘なんかじゃなかったんだよ”って、自分に言い聞かせるの。


 思い出に変える……第一歩。


 “愛されていた”から、自分の過去を悔やまなくていい……──


 “愛されていた”から、“一緒に過ごした日々は、何だったんだろう? ”って、苦しまないでいい……


 “愛されていた”から、“あの頃は楽しかった”……──って、思い出に変えられる……


 私と過ごした日々は嘘だったんだ……どうでも良かったんだ……そう思っていた。あの時間は一体、なんだったのだろう? ……そう思っていた。全て嘘だったのなら、あの時間の私は、死んでいたも同然……──そう思っていた。──けれど貴方が、愛してくれていたなら……私の生きた過去の時間は、嘘なんかじゃない……──


 ─―グスン……グスン……


 嗚咽がまだ止まらない。


「……ぅう……」


「ごめん、絵梨……――」


「…………」


「……落ち着いたか? ……」


「……――――ごめんね……ユキヤ……」


「……謝られる覚えはない……」


「……いっぱい……困らせた……」


「困ってねぇよ……」


「……──そう言えば、私に用があるんじゃないの? ……」


「…………言える空気じゃなくなった。また、出直す……」


「………言ってよ」


「今日は言えない。……今日はもう、俺が限界……」


「なにそれ? ……」


「これ言ったらお前、また泣くかもしれないから……」


「え?」


「……また目の前で泣かれたら、限界だから……」


「……また会いに来られたりしたら、私が限界なの……お願いだから……言って……」


「「…………」」


「なら……言う」


「…………」


 そう言うと雪哉は、私を家の玄関の扉の前に立たせた。


「家の鍵、開けろ……」


 意図はよく分からないけど、私は言われた通り、家の鍵を開ける。

 雪哉は鍵のあいた扉を開いて、私に家の中を見る方向に向かせた。


「そのまま、家の中見てろ……」


「………うん」


 ──私がまた、泣くかもしれない話……一体、どんな話なのだろう? ……


「よく聞けよ? ──絵梨の姉貴、しばらく、帰って来ねぇから……──」


 私は家の中を見つめたまま、固まった……──


 この現状で、お姉ちゃんが帰ってこない理由と言えば……──おそらく、レッド エンジェル絡み……


「じゃあ、またな……――」


 そう言って雪哉は、私の背中をそっと家の中へと押した……──


 雪哉の足音が、私から遠ざかって行く……──


 また頭の中が真っ白になった。呆然としたまま、とりあえず、家の中へ……──お姉ちゃんは、いない。


 帰って来ないって、なに? ……どうして帰って来ないの? ……その理由を、雪哉は知っているの? ……私、どうすればいいの? ……


 テーブルの上には、通帳とカードが置いてあった。その隣に、裏向きになった紙が一枚……──

 私はすぐに、その紙を手に持った。お姉ちゃんからの、置き手紙だと、そう思ったから。


「…………」


 けれどそれは、置き手紙なんかではなかった……

 紙に書いてあったのは、四桁の数字。これはおそらく、この通帳、お姉ちゃんの通帳の、暗証番号……

 持っていた紙を、スッと落とした……──

 私は座り込む……──

 この通帳は、〝お姉ちゃんが帰って来ない事〟、それを証明している。学生の私に、収入はない。 だからお姉ちゃんは、通帳と、暗証番号のメモを残した……だってお姉ちゃんは、から……──


****


──────────────

────────


 絵梨と別れひるがえした雪哉は、アパートの外階段付近へと差し掛かる。するとそこに……──


「あ! ……マズイ……。見つかっちまった」


「『見つかっちまった』じゃねーよ! ……! お前いつからいた?!」


「内緒。……それにしても雪哉、泣かせすぎだろ?」


「聖に言われたくねぇーよ! ……つまり、その頃からいた訳か?」


「悪かった……」


 ──そう、アパートの外階段の影の辺りに、なぜか聖がおり、バッタリと出くわしたのだ。

 さておきとりあえず、雪哉と聖は二人で帰る事になる。


「聖は何しに来たんだ?」


「あ? 雪哉遅ぇから……そこら辺で、リンチにされてんじゃねぇーかなぁ……って、思った」


「軽く言うな……」


「軽くねぇ! 多分……」


「多分とか言うな……」


「つまり……雪哉がやられてたら、俺がそいつらブッ潰さねぇーといけねぇし……雪哉がブッ倒れてたら、俺が助けねぇといけねぇし……」


「……サンキュ……」


「……──本気で頼れる存在なんて、“今は”結局、俺らお互い四人だけだろ……」


「確かにな……」


「……なぁ雪哉、絵梨のこと、どうするつもりだ?」


「早めに……すぐにでも、絵梨を守る奴を雇う……」


「そのつもりがあるなら安心した。絵梨が狙われる可能性だってあるからな……」


「分かってる……」


 聖は頷きながら話していたが、そこで何か、ハッとしたようだった。


「あれ? そう言えば……雪哉は今日、レッド エンジェルのキャットに会いに行ったんじゃなかったのか? ……──どうして絵梨といたんだ?」


「会ってた。ネコが寝たのを見計らったんだ。多忙でよ、深夜に絵梨に会いに行った……」


「忙しい奴……」


 ──雪哉と聖はそんな会話をしながら、二人で帰って行った。


 ──結局この二人、喧嘩をしても何をしても、切っても切れない縁なのだろう……──


 ──道に咲いたコスモスの花が、夜風に揺れていた……──


──────────────

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