被験体・57番の傍観

 彼の名は待田智和。早稲葉大学大学院・人間文化創成学研究科修士2年、25歳の彼は、その日も黙々と研究室で仕事をし、コアタイムが終わる18時きっかりには席を立った。


 9月を迎えるこの頃だが、彼はまだ就職先が決まらない。かといって夏にあったはずの博士後期課程入学試験を受けたわけでもない。指導教官からの評価も厳しく、「君は就職したほうがいい。修士論文自体を一年伸ばすか、書き上げてから一年間研究室に在籍しながら職探しをするかしなさい」と、研究に対してはすでに三行半を突きつけられている。


 とはいえ、待田には夢も目標もない。修士研究のテーマである『人間と亜人間:ヒューマノイドとAIの関わりの変遷』は自ら選んだものではあるが、"この先"のない彼にとってはただの妄想作文、いや、彼自身のただのエッセイにすぎず、書き上げたとて誰の目にも触れぬまま、膨大な早稲葉大学卒業論文データベースの海に沈みゆく運命だ。


 待田はその日、研究室を出たその足で繁華街へ向かった。適当な立ち飲み屋で合成ビールをひっかけ、ほんのり赤ら顔で古臭い『案内所』へ向かう。本物のホップの味も知らない彼の唯一の楽しみは、隔週に一度の風俗通いだけだ。


「本日入店のロリっ子いますよ!非妊娠型セクサロイドですので本番アリ!」

「じゃあそれで」

「かしこまりました!」


 案内所のパネルを操作し、AIオペレーターの案内の通りに受け答え、出てくるカードキーを取る。案内所から100mほど離れた無機質なビルに入り、エレベーターに乗り、カードキーが記す番号の部屋へ。綺麗に整えられたホテルの一室で、待田は相手の登場を待つ。


 やがて呼び鈴が鳴り、網膜スキャンによって認証された女が部屋に入ってくる。小柄でまだ幼さの残る顔立ちの女はベッドに座る待田の前で床に正座し、手を揃えてお辞儀をする。


「えっと、お待たせしましたぁ〜。レルーガといいます。今日はご指名ありがとうございまぁす」


 綺麗な所作とは一転し、のんびりとした口調の少女。顔を上げると正座のまま緩く首を傾げる。薄い水色の髪に赤いリボンをつけた、明らかに"人間ではない"その少女は、立ち上がって待田の隣に座った。


「初めて…なんだって?」

「はい、生後1400日記念日です。でも朝に一人相手をして…あ、これ言っちゃダメでした」


 どうにも危なっかしいふわふわとした応答。待田はしかし嫌いではない。早速と彼女の腿に手を乗せる。


「90分です〜。タイマーかけますね」


 少女はスカートをたくし上げる。中に履いている金属製の貞操帯のカバーが開いた。時間がくれば自動で閉まる仕組みである為、うっかりすると大切な部分が挟まれて怪我をする可能性があるが、この店のルールなので従う他はない。早速待田は、このつい先ほど出会った少女に恋をしたことにして、ベッドへ押し倒すのだ。



***



「はふ…。ご満足いただけましたか〜?」

「うん、うん、満足したよ。ただね、僕はね、本当は君たちをもっと好き放題できるはずだったんだ」

「好き放題〜?」


 まだ貞操帯のカバーは開いたままだが、待田は少女を抱き枕のように抱きしめ、ささやかサイズの胸をこねくり回しながら譫言のように喋り始める。


「そうだ、本当は今頃…山籠りしてハーレムのはずだった」

「山ですかぁ?それはなんだか大変そう」

「原始人になったと思えばいいんだ、原始人なんかそのへんの原っぱで毎日乱交してたんだから。僕は待ってたのに。試験が長引いたせいで、もう若くないからって。それを待って、大学を出てからずっと待っていたのにさ」

「トモくんさんは、何を待ってたんですか?」

「実験だよ。実験台になるために、僕は育てられてきたのに。実験台のお役がもらえなかったからって放逐されてさ。僕はハーレムの主役になるはずだったんだ」


 ウジウジと続ける待田の頭を撫でながら、レルーガという少女はそうですか〜とのんびり応える。


「でも、トモくんさんは今、レルーガにとっての主役で王子様ですよぉ。おっきすぎないから苦しくなかったし、ゆっくりだから、レルーガも何度もきもちくなれました」


 そういう性格なのだろう、レルーガは励ますつもりでそんなことを言う。待田はやや苛ついた。


「そうだよ!僕はどうせ粗チンで遅漏だ。だからダメだったんだ」

「あらぁ〜…」


 少し語気を荒げた待田を見るとレルーガも少し申し訳なさそうな顔をする。待田は彼女の胸の先端にむしゃぶりつき、赤子のように目を閉じる。


「こんなのおかしいんだ、僕は……しかも完全に捨てられたわけじゃない、補欠としてまだ首の皮一枚は繋がってる、そんなのってないと思わないか」

「じゃあ、トモくんさんはまだハーレムに行ける可能性があるんですねぇ」

「そうだ!だがそれがいつになるかわからない。だからこそ…僕に何もないのはそのせいだ。ダメならダメとちゃんと言われたかった、そうじゃないから今の僕はダメなんだ」

「よくわからないですけど…ハーレムに行く時は、レルーガを連れて行ってください?」

「連れて行けるかよ、君は非妊娠型だろ」

「それだとダメですかぁ?」

「そうだよ。ハーレム生活で子供をたくさん作るのが目的の実験なんだから」

「そっかぁ」


 レルーガは少しだけ残念そうに眉を下げる。待田はあくまでも、孕ませ放題のハーレムに夢を見ていた。


「あ、時間〜。また指名してくださいね、トモくんさん」


 カシャンと軽い音を立ててレルーガのカバーが閉まる。すぐに彼女は立ち上がり、服を着ると、真っ直ぐ扉へ向かう。


「今日はありがとうございましたぁ。トモくんさんも、10分以内に出てくださいねー」


 そんな声を残して彼女は姿を消した。待田は深く深く息を吐く。


「実験地に忍び込んだら…無理か…いやでも…遺伝的にもY染色体の多様性が…」


 ブツブツとした恨み言は夜の喧騒に消えていく。夜の街での『トモくん』は、まだなんの未来も描けない『被験体57番』として彷徨い続けていた。



──第3話 終

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