研究員・田村の憂鬱
実験という名の三人の生活のために実働チームが組まれたのは去年の四月のことだ。
実験計画は国内におけるラビューナ実用化を目指す大型研究プロジェクトの一環で、具体的な実験内容とその実働チームは公募の形で募集され、プロジェクトメンバーの一人であった東京未来工科大学の北条教授が率いるチームがその資金を勝ち取り実験を主導することになった。
チームメンバーは未来工科大の北条研究室所属ポスドクの伊良と三人の大学院生、共同研究者として信州バイオテクノロジー専門大学の牧准教授のほか、山梨のラビューナ研究所から選ばれた数十名が参加する大きな組織だ。研究所のメンバーは実験参加者である倫太郎らとも直接交流しながらデータ取得をすることになるため、産婦人科医経験者やその他医師はもちろん、キの実の専門家や遺伝学者など錚々たるメンバーに加え、当然「実務」を任される「ヒラ研究員」も含まれる。
植物遺伝学で三月に博士号を取ったばかりの男、田村祐一もその一人だ。文部科学省の学術進展特別研究員の審査に落選した田村は、博士号取得後の進路に悩んでいたところ、過去の共同研究者からプロジェクトの話を聞かされ、キの実などの完全栄養植物の研究ということならと信州の牧准教授に話を聞きにいった。そこからあれよあれよという間にキの実からラビューナへ話が移り、牧准教授の推薦の元ラビューナ研究所の面接を受けて即日内定を貰い、そのまま四月から実働チームの所属という形で就職したのだった。
植物が専門である彼は当然、最初はそのチームに入ることに納得しなかった。もちろん先輩研究者や他のメンバーから実の研究も重要だとは言われているが、植物にまつわる基礎研究にしか興味のない彼は、すでに実用化された植物の経過観察なんて業務は面白くない。とはいえ同じチームの牧准教授への恩もあり断れず、ここは諦めてまずはよく知らないラビューナに関する知識から叩き込むことにした。
知れば知るほどその生き物は不思議でたまらない。人間と同じ姿形で生物学的な「亜種」になるかならないかという程度の遺伝的な差異、だがしかし成長速度は大幅に速く寿命も相応に短い。類人猿と呼ばれる中で最も大脳が発達し人間に近しいとされるチンパンジーも人間よりやや短い寿命と性成熟サイクルを有するがとはいえラビューナの比ではない。何よりも人間と同等の脳をもった生物を腹の中で作っていくのに時間がかかるのは当然であるが、それすらも人間の三倍の速度で行うことができる。しかも面白いことに、ラビューナの産む子供はラビューナとは限らず、人間の精子を使えば低い確率ではあるが人間そのものを産むこともある。こればかりはただのクローンであるという理解では足りず、特殊な遺伝子組み換えが重ねられた成果だということで、田村はその点に興味を持ちのめり込んでいった。
***
そうして一年と四ヶ月をかけて全メンバーが知識を重ね、予備実験をこなし、ついに実験開始の日になった。七月末の壮行会という名の飲み会による二日酔いから全員が回復した八月一日、チームは研究所の第二会議室に勢揃いしてスクリーンに注目していた。
スクリーンに映し出されるのは一人の青年と荒れ果てた山の各地の映像。巧妙に隠されたカメラとステルスドローンにより、彼の生活圏内になる予定である場所は全て網羅されて監視されていた。それから青年と会話する一人の研究員──田村だ。彼が最初に青年を実験地まで送り届けることになった理由は単純に、下っ端であることと、キの実についての説明役に適していたからだ。
というのも話は三日前に遡る。飲み会が設定されていたその日、研究員たちは午後も早々に仕事に飽きて時間が過ぎるのを待っていた。田村も当然そのつもりで、所内のデスクでいつでもやめられる論文の図表作成の作業をダラダラ行なっていたところ、先輩から声をかけられた。
「田村、ちょっと」
「あ、はい〜……。と、なんでしょうか」
廊下に連れ出され首を傾げるメガネの青年。黒髪を後ろで束ねた先輩研究員は実はさー、と話し始める。
「当日に被験者を山に送ってく係、君に頼みたいんだよね〜。いや私でもいいんだけどさ、せっかくこれから美少女ハーレム村に入れられるってのに私みたいな芋ババアに送られたら変な気分にならん?」
「ちょ、言い過ぎですけど……って、送る係!? それって結構重要じゃないですか」
「重要っちゃ重要だけど、サッと送って説明して帰るだけだからさ! 免許持ってたよね?」
「ま、まあ」
「それじゃ任せた! あ、上には伝わってるっていうか、伊良ちゃんから適任者探してって言われたんで正式通達ってコト〜。それじゃ」
先輩は飄々とそう言って手を振り自分の部屋へ消えていく。田村はため息をついたが、山道の運転は嫌いではないから送るだけなら、この時はそう思っていた。
「田村くんっています?」
その1時間後に別の人物が訪れる。なんでしょうと言いながら顔を上げて扉の方を見ると、よく知っているがほとんど話したことのない女性が立っていた。
「はい、田村ですが……」
「よかった。当日送る役を頼んだらしいのだけど」
「あ、はい、さっき」
「急で申し訳ないんだけど追加で頼みたいことがあって」
廊下ではなんだし、と近くのラウンジへ移動する二人。田村は妙に緊張した。その女性こそ、チームの主席研究員である北条教授の一番弟子の伊良だからだ。実質チームのナンバーツーである彼女はクールで仕事も早く、この一年以上若手の星としてもチームを牽引してきた。そんな彼女が自分になんの用だ、と田村はソワソワと窓の外に視線を送る。
「実はちょっと問題があってね。実験では被験者に定期的な面談を行うことになっているでしょ」
「十日に一回っていうやつですよね。確か宇都美さんが……」
「その宇都美くんが昨日転けちゃって。打ちどころが悪くて脚を折ったんですって」
「えぇ〜、知らなかったです」
「居室違うもんね」
宇都美というのは研究所の所員で田村の2歳上の男だ。医学部出身で真面目かつラビューナの研究が専門であるから、被験者の定期面談の担当に決まっていた。
「そこで代打が必要になるんだけど。我々の考えとして、被験者には可能な限り接触しない方針があるじゃない。だから接触する人もできるだけ絞りたいわけ」
「……つまり、僕に面談担当もやれと……」
「話が早くて助かる。君は被験者と年も近いし」
「でも直前ですよ、いいんですか僕なんかで」
「北条先生がそうしろって言うの」
それはイコール、撤回は許されないやつである。田村は不安な気持ちのまま頷いてしまった。その日の飲み会が楽しめなかったのは言うまでもない。
──第1話 終
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