松川無情――八重と頼朝
鬼伯 (kihaku)
第1話 父と娘
松川無情
道手門 奈礼(どうてもん/なれい)
(鬼伯;kihaku)
註;この作品は昭和52年(1977)、静岡県伊東市の「文芸伊東」にお
いて教育委員会賞を受賞したものである。無駄事が多いのでそれ
らを削り全体を整えた。
*(一) 父と娘
桜の花は、八分の咲きが美しい。六、七分ではものたりない。熟(う)れるを知らないそれはまた、憂うることを知らない。九分満開は、先に散ることばかりが残り、花びらの間に涙が見える。きれいだのに心が迷う。
やはり、桜は八分、もうひとつぐいと精をだせば極めつき、それが美しさを広げて見せる。咲けば散る、短かい命を知りながら。
憂いと希望を織りまぜて生きる、世の人のさまを凝縮したような、桜がちょうどそういう八分の季節。伊豆伊東の領袖/伊東祐親(すけちか)は邸内の庭で宴を張っていた。宴といっても、客一人がいるわけではない。妻の和子と三女八重がかたわらで話し相手になっているだけだ。昼飯どきになって、桜木の方を指さしながら、「あの下がよい」と祐親が突然言いだした、いわば気まぐれごとであった。
根が几帳面なわりに、そういう出し抜けなところが祐親にはあった。明け方、小用で起きたついでに、狩りに行くといって馬番をあわてさせり、何を思ったか、自分で料理すると腕まくりなどした。日々の生活が規則正しかっただけに、それはよけい目立った。たいがいのことは周囲も、「豪快な人」と笑ってすごしたが、料理をすると言いだしたときは誰もが困惑し、「そのようなことだけは」と和子が強くいさめた。
だが祐親は一向に頓着せず我を通した。男のすることも女のすることもあるものかというのが祐親の言い分だった。貴族支配を打破した大らかな武士の姿といえたかも知れない。その武士集団がのち江戸時代になると、元の木阿弥、貴族的地位に安住することを考えると、祐親のその態度はもののふの初心といえるものかも知れなかった。(註;「もののふ」に傍点が付いている)
ゆえに、祐親はおのれの振る舞いを気まぐれだとは思っていない。気まぐれという経験をしたことがないとさえ考えている。この一人酒宴もそう。桜の花のいちばんよい時期にあの下で酒をくもうと、蕾の頃より心にとめていたのだ。その好機が今だと知ったからで、「無謀とは異なる」そう言って祐親は、そばにいる二人の女を笑わせた。
大いに笑うと、和子は屋内に何かを想い出したと見えて、笑いを引きずりながら席をたった。その後ろ姿をちらりと見やって祐親はといたずらな視線を娘の八重に向けた。
「外に出るか」
「母上様は」
「あいつがいるとうるさい。それにな」
と言いかけたところで祐親はすでに立ちあがっていた。
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