終わりと音と

紫乃 煙

終わりと音と

灰色の空が重く垂れこめていた。街には噂が流れていた。明日、この世界が終わるらしいと。


「本当かな?」


僕が聞くと、君はただ肩をすくめた。僕たちはこの話題についてもう何度目かわからないくらい話してきた。それでも、何かが僕たちを押し流すように、ずるずると同じ場所に留まっていた。


「もし、明日世界が終わるなら、どうする?」


君が言った。

けだるそうな声が、空気を切り裂いて響く。君は窓の外を眺めながら、煙草の煙を細く吐き出した。


「明日世界が終わるなら僕は鍵盤を弾くから君は歌声を響かせて。」


僕の返事は、まるで用意されていたかのように自然に出た。それは嘘ではない。いつだってそうだったから。けれど、心の奥底では、何かもっと違うことを言いたかった。


君は眉を寄せ、笑いもせずに僕を見た。僕の言葉が面白くも、感動的でもないことが分かっていたからだろう。いつも通りだ。僕たちの間には、何も変わらない「日常」が横たわっている。それは一種の安定感と引き換えに、静かな絶望を内包していた。


「本気で言ってる?」


「うん、本気さ」


君はため息をつき、窓の外に視線を戻した。その横顔はどこか投げやりで、けれど何かを求めているようでもあった。僕もその気持ちは理解できた。もし本当に世界が終わるなら、もっと激しい感情に浸りたい。泣き叫んだり、誰かを殴ったり、何かを壊したり。でも、現実はそう簡単にはいかない。僕たちはただ音楽を奏でる。それが僕たちの唯一の逃避手段だった。


部屋の片隅に置かれた古びたピアノの前に座り、僕は指を鍵盤に置いた。指が震えたのは緊張のせいか、それとも世界の終わりを間近に感じているせいなのかはわからなかった。最初の音が、部屋に広がった瞬間、君は微かに口元を動かした。それが笑みなのか、失望の表れなのかすらも、僕にはわからなかった。


君はいつも通り歌った。けれど、その声にはいつもの艶やかな響きがなかった。音程もわずかに狂っていた。でも、それがなんだというのか。明日、世界が終わるというのに、完璧な歌声なんて必要だろうか? それでも僕たちは、終わりの音楽を続ける。まるで何かに追い詰められるかのように。


「ねぇ、本当に明日終わるのかな?」


君が歌い終わった後、低い声でつぶやいた。

僕は答えずに、鍵盤の上に手を乗せたまま考えていた。本当に終わるかどうかなんて、誰にもわからない。もしかしたら、また同じ一日が繰り返されるだけかもしれない。でも、それがどうしたっていうんだ。僕たちはもうずっと、同じ場所をぐるぐると回っているじゃないか。


「君は、本当にそれでいいの?」


君が立ち上がり、僕の前に立った。

僕はその顔を見上げる。君の目は怒りとも悲しみとも取れない、深い感情で満たされていた。


「これが僕たちの最後の瞬間だって、本当にそう思ってるの?」


僕は言葉を探そうとしたが、見つからなかった。ピアノの音も、君の声も、どこか空虚な響きに思えた。このまま音楽を続けることが、何かを解決するわけでもないのだ。僕たちはただ、何かを待ち続けている。そして、その何かは決して訪れない。


「もし本当に終わるなら、もっと何かしようよ。壊れてもいいから、燃え尽きるような何かを」


君はそう言って、僕の手を強く握った。その力強さに、僕の心は揺れ動いた。君の言う通りだ。音楽はもう、僕たちにとっては逃げ場でしかなかった。本当に世界が終わるなら、もっと違うやり方があるはずだ。


僕たちは、お互いに何も言わず、部屋を出た。廊下を歩きながら、君が言った言葉が頭の中でぐるぐると回る。燃え尽きるような何か——それが何なのか、僕たちはまだ知らない。それでも、明日がどうなるかはもうどうでもよかった。僕たちは、ただ壊れるまで奏で続けるしかなかった。

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終わりと音と 紫乃 煙 @shinokemuri

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