イタチごっこが始まる 1
@nakagawayousuke
第1話
兵庫県公館の道は暗かった。人っ子一人いない。職業柄犯罪はこういうところで起こるのだろうと思っていた。木の下でホームレスが寝ていた。地雷系女子のばか長いまつげが視界に入ったときは背筋が凍った。目的地の兵庫県庁に着いたのは午後十時だった。
「すいません、埼玉公安委員会の浜辺という者なんですけど……」
「ん? あぁ浜辺さんね、そこの前のソファで待ってて」
入り口にいた警備員は近所のおじさんのようなノリだった。
病院の待ち時間のように退屈な時間だった。とっくに人の姿はなく電気もところどころ消えていた。入り口に鍵がかけられた時、一人の男が隣に座った。グレーのスリーピース、ウイルソンの革靴、やや頬骨の見えた強面の男だ。
「お待たせしてすまない、浜辺さん。しかしながらこれは極秘だ」
「どういう意味ですか?」
「ついて来て」
早歩きでエレベーターへ入る。カフスボタンをいじったりネクタイを整えたりと落ち着きがなくなった。気持ち悪い人だな、と思った。
古臭い匂いのするドアが開くと地下駐車場に出た。
「あの」
「なんだね」
「これは一体どういうことなんですか。私は異動でここに来たのに手続きもないままこんなところへ連れてこられて」
「それは後々説明する。我々も困っているからな」
「なにに?」
「君のようなせっかちな若者にだよ」
南へ向かってさっきのエレベーターの前で止まった。
「さっきここから出て来たのに、いつのまに一周したんだろ」
「一周してなどいない。この駐車場は歩いている人間を錯覚させるんだ。おいおい覚えると良い」
すぐドアが開く。ポケットから妙な形の鍵を出し鍵穴に挿した。右に一回、左に二回回して三階と四階を同時に押す。するとゆっくり下降しだす。
「たった今から君は消えてもらう」
「え?」
「君は公的記録から抹消される。前の職場の記録からも戸籍からも、現存する全てのアナログ、デジタル的記録から消えてもらう」
「…………」
「君はこの組織の一員だ。後ろを見たまえ」いつのまにか武装した男が二人立っていた。
男が手を払うと左右にはけた。隠れていた壁には十人の指名手配ポスターが貼られていた。白黒写真と文字だけのシンプルな作りだった。目を引いたのは左から二番目。浜辺聡一、国家反逆罪。結社団最重要指名手配犯No°2
隣にも目が行った。
枯柴朋邦、国家反逆罪結社団最重要指名手配犯No°1
「結社団最重要指名手配犯……?」
「結社団が君の職場だ」
ドアが開くと女が立っていた。男に一礼すると封筒を渡しながら
「これからよろしく。浜辺代理人。これを」
偽の生い立ちなどが分厚く綴られたコピー用紙が入っていた。軽く目を通したが最後のページに昨日の日付で「焼死」とあった。
わけが分からない。
「こちらへ」
「あなたにはこの国を守るために諜報的な活動を行なってもらいます。埼玉公安局での働きぶりは素晴らしかったそうね」
「公務員として当然の仕事をしたまでです」
奥のブースには殺風景な事務机がたくさん並んでいた。
「彼女に必要なものを」女がいった。
「お名前は?」
「浜辺みさき」
事務員は奥の引き出しから大きな箱を持ってきた。
「職員共通の銃で、グロック17ジェネレーション5、懐中電灯、マイクロプロサイト。カシューナッツアレルギーがある場合はこの書類にサインしてください」
「急いで。予定よりもおしてますから」
女が急かす。
「それは持って帰ってもらいますから詳しくはご自宅の方で。仕事内容などは明日、出勤した時に本部長が説明します。私から伝えられるのは所属部署だけ。『最重要指名手配犯担当班』あなたのような年齢で配属されるのは大変名誉なことですよ」
「ありがとうございます……」
「まだ気持ちの整理がつかないようね。少し頭の体操をしましょうか。県庁の入り口の警備員の特徴をいって」
「えっと、中肉中背、五十歳前後、右手で耳たぶを触ろうとして止める癖があります」
「……公館の道にいた男性と女性の特徴を同じように教えて」
男性というのはあのホームレスで合っているのだろうか。
「ブルーシートの上で吐きながら寝ていました。ニットにボロボロのコート。女はピンクの髪に長いまつげ、緑のカラコン。二十歳後半だと思われます」
女は眉毛を上げてエレベーターのボタンを押した。
「封筒の中に本部までの道のりを詳しく記した書類が入っています。明日私に渡してください。機密書類なので」
エレベーターが来た。
「ちょっと待ってもらっていいですか」
「何?」
「私は、スパイなんですか?」
浜辺が訊くとため息をついて話し出した。
「諜報員です。あなたはこの国のために、ないしはこの世界の平和のために犯罪者を抹殺及び逮捕してもらいます。我々と警察が協力して作っている指名手配リストの悪人たちを追うんです。枯柴朋邦をご存じで?」
「えぇ、国家反逆罪で起訴されてる」
「あのような恐ろしい男と対峙するのもあなたの任務ですからね」
完全に怖気付いた浜辺の肩を叩く。
「結社団へようこそ浜辺代理人」
「考え直してくれ。今までこれだけ苦労してきたのにそれが水疱に帰すことも十二分にあり得る」
「でも準備してくれたのだろう? 卓郎」
「……そうだけど賛成はできない」
「昔は我々も単純で? 未熟だったからあのようなミスを犯した」
電車が通りすぎる。雑音がひどかったが何とか聞き取れた。
「…………となって彼女に近づいたが失敗した」
「僕らは大いに揉めた。だけど結局は前を向いた」卓郎はコートの中からクリアファイルを出した。
「この公園から出れば、もう後戻りはできない。だけど君が死ぬときは僕らも一緒だ」
「……恩に切るよ。稲園専科のプリントを送ってもらったときよりもね」
卓郎が苦笑する。
彼が立つ。
卓郎は彼の背中を見送った。
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