第6話 7歳
転生したら異世界で公爵令嬢だったというめちゃくちゃ当たりのSSRを引いたはずなのに、私の人生は年々平穏から遠ざかっている気がする。
父親が魔王の息子で暇つぶしにこの国、レインデール王国にやって来たというだけでも非現実的な話だ。父を連れ戻そうとやってきた異母兄レイナートまですっかり人間界に溶け込んでいる。そして彼に確認したところ、この国に魔術師はいないそうだ。しかも魔法という概念はおとぎ話の中だけで、不可思議な術を使えば魔女の烙印が押されるらしい。
隣国ではつい百年前まで魔女狩り裁判が盛んだったと聞いたとき、私は震えあがった。
魔女狩りがこの世界にもあるなんて恐ろしすぎるし、百年前をついこの間と言えてしまう悪魔の価値観もなんかヤバい。
父が瀕死の公爵令息にトドメをさして相手と入れ替わり、挙句の果てにお母様という癒し系美女と結婚まで漕ぎつけたのはどう考えても罪深すぎる。観光目的で人間界に居座るなら、無関係な人間を巻き込んじゃダメだろう。それなのに私という子供まで作るなんて一体どういうつもり……と呆れるが、ただの好奇心でしかないのが厄介だ。
あの男は絶対に、悪魔と人間のハーフってどんな感じに混ざり合うのかを身近で観察したかっただけだ。今でこそ頭と背中の身体チェックはなくなったものの、人間らしからぬ力に目覚めていないかと不意打ちにチェックされて鬱陶しい。
だが幸運にも(?)、父が期待するような悪魔の要素はまったくなく、私は普通の人間と同じ成長過程を歩んでいた。
気になる点といえば、ちょっと身体が丈夫だったり風邪をひくこともないな? と思うくらい。子供の死亡率が高い時代に健康なのはいいことだ。
でも怪我をしたら一日で治るような驚異的な治癒力はないし、突出した能力も今のところわからない。他に思い当たるところといえば言葉に不自由しない点だけだろうか……。
きっと父の誤算は私が単なる悪魔と人間のハーフではなくて、転生者だったというのもありそう。明かすことはしないけど。
「さあて、これからどうしたらいいのかな……」
本日めでたく七歳の誕生日を迎えた。七歳といえばまだ小学一年生だというのに、私は早くも人生を見据えた将来設計図を作成し始めていた。
だって悲観ばかりしていたって仕方がないし、もう純恋の身体に戻れるとも思えない。この世界で生き抜くためには、早め早めの対策が必要だ。
五歳のときに書き始めた将来設計のノートをめくる。
二年前、初恋相手が異母兄だと知り、世の中の無常を呪ってから数日後。私は今後について早くもノートに書きだすことにしたのだ。こんなことで嘆くよりも、自分が幸せになれる道を探さねばと。
まあ正直なところ、初恋が実らないなんて前世の世界だけでよくない? と神様を恨みそうになったけど。今思えば、ちょっと優しくされて褒められて舞い上がっていただけだった。きっとあれは恋心ではなかったと思う。
まったく、前世でも恋愛に免疫がないとこれだから……! 顔がいい男に優しくされて騙されて貢ぐ人生なんてごめんだ。
今世での私の望みはひとつ……波乱万丈とは無縁で、平和な人生を送ること!
せっかく貴族令嬢に転生したんだし、イケメン貴公子とハーレムを築きたいとか王子様に愛されたいなんて高望みはしない。
純恋のときと比べるとマルルーシェは十分可愛らしい美少女だと思っているが、両親の遺伝子を継承している割には……あと一声足りないと言わざるを得ない容姿だとわかっている。この世界にいるのかはわからないけど、タヌキ顔だなと。(ちなみに純恋はキツネ顔だった。)
そしてマルルーシェの人生で一番重要なミッションは、いかに父あくまに振り回されず平穏に暮らせるかどうかだ。
屋敷で教育を受けるに連れて、私は自分の立場がなかなかに危ういことに気付いた。
このレインデール王国は、女神を崇める宗教国家である。豊穣と愛を司る女神が国を平和に導き、王家はその血を脈々と受け継いでいると言われている。
多くの国民は信仰心が篤く、女神の加護を信じているそうだ。国内でも各地に祈りをささげる教会があり、宗教的な祭りも開催される。
それを聞いて、何故わざわざ悪魔がこんな国を選んだのかと問いかけると、教育係のレイナートは「悪魔に魅入られることがないと自負している国民を欺いてほくそ笑みたかったのでしょうね……」と答えた。
つまり煽っているんじゃないか! 「お前たちが崇めている女神、大した力ないぞ?」とでも心の中で冷笑するとか、ほんと性格が悪いな!
悪魔が人格者なわけがないので、もう諦めるしかないだろう。より楽しいこと、退屈しのぎができることを選んでいるに違いない。
けれど、その性格のせいで私とお母様が窮地に陥ったら大問題だ。
悪魔の花嫁となってしまったお母様は完全に被害者だし、悪魔の娘を生んでしまったら魔女裁判にかけられるかも……。
そしてその火種は、娘である私にも飛び火すること間違いなし。
ただの人間だと証明できなければ、火あぶりの刑にされる可能性が……。
「ラブ&ピースの精神ってどうやって教えたらいいの……」
この世界にもそういうことを謳っている名曲があればいいのに。前世の音楽が今世では聞けないことが悔やまれる。あと楽しみにしていた漫画の続きも! もう連載が読めないなんて、死ぬ前に完結してほしい名作漫画がいくつもあったよ……。
「何としてでもラブ&ピースを教えないと……愛は尊いって気づけば暇つぶしにもめ事も起こさないだろうし」
父が私を観察しているように、私も父を監視している。今のところ問題ごとを起こしてはいないけど。今後派手にやらかしたら父を捨てて母と二人で逃げるつもりだ。
そのためにはお金が必要! 私でもできそうな事業を起こして、隠し財産を築こう。(※ちゃんと納税もします。)
平和に生きることを目標にするために、私は自ら敵ちちに会いに行くことにした。例年であれば今日もどこかで悪魔のカミングアウトが始まる。いつ急に呼び出しがあるのかヒヤヒヤするより、自分から会いに行ってしまった方がいい。
屋敷が忙しくしている中、私はレイナートに父の居場所を尋ねた。
「今年は私から会いに行こうと思っているの」
「成長されましたね、お嬢様」
彼の表情は孫を見つめる祖父のようだ。800歳差の異母兄との接し方なんて正直わからないけど、今では普通に信頼関係が築けていると思う。
父の執務室に向かい、レイナートが扉をノックしてくれた。入室許可を得て二人で入ると、父は朝日を浴びて鬱陶しそうにしていた。
「なんだ、二人して」
「開口一番がそれですか。まずは朝の挨拶と、お嬢様に向けてなにかあるでしょう」
気怠そうな表情でソファに座っている。
変化を解いた紫黒の髪も相まって、なんだか夜の化身のようだ。退廃的でフェロモンがまき散らされていて……子供には目の毒に見えるんですが。
「マルル」
「はい、お父様」
「今日はお前の誕生日か」
「ええ、そうです。覚えていてくださってうれしい……」
クン……と鼻が反応する。父から漂う香水の匂いは、母のものではない。
そしてどう考えても女性ものの匂いで……香水の移り香を纏わせている父へ、胡乱な視線を向けてしまった。
「……お父様、昨夜どちらへ? いつ屋敷にお戻りに?」
「夜明け前には戻ったが、それまでは……」
レイナートの手で両耳をふさがれた。
父がなにかを言っているのに、読唇術を身に着けていないため肝心なところがわからない! ろくでなしな発言をしていることは伝わってくるけど!
「……お前は少しマルルに過保護すぎるんじゃないか」
「父上こそ、人の子の教育に無頓着すぎると思いますが。幼少期の体験がいかに人格形成に影響するかをわかっていない」
ようやく耳を放してもらえた。幼少期の体験云々は、ほんとその通りだよ! と頷きたい。(ちょっともう手遅れだと思うが。)
「いいですか、お嬢様。やましいところがあるから隠すというのは常識的な人間の考えです。そもそもやましさなど持ち合わせていない悪魔には、そのような感情は一切ありません」
笑顔で諭されるけど、ヤバいなとしか思えない。
残念ながらお母様への裏切り行為をしていることは確実だろう。でもそれをお母様に明かしたら、屋敷の使用人全員で抗議してやる。
「お母様にお会いになる前にきちんと湯浴みを済ませてくださいね」
七歳の子供らしからぬ言動だけど、致し方ない。前世でパワハラ上司が女子社員を恋人にして、別れ際に一悶着起こしホテルに置き去りにした事件の尻ぬぐいに比べればこんなこと……あ、なんか今すごく気持ちが荒んできた。
「それで、今日は私の誕生日ですからお父様のことが知りたくて。悪魔の特性について教えてください」
気を取り直して笑いかけると、夜の帝王のような男は何かを考えだした。
「これと言ったものはないが、悪魔の得意分野を知っているか」
「……いいえ」
「破壊と享楽だ」
なんとなくわかっていたけれど、本物の悪魔から言われると心理的ダメージが大きい
今はそんな気分じゃないから破壊させないだけで、気が向いたらいつでも公爵家もこの国も破壊できるよと言っているのかな……。
「悪魔は創造力を持たぬ。なにかを生み出すのは神の仕事だ。我らは無から有を作り出すことはできぬし、人のように器用でもない」
「悪魔はなにかを生み出せない……」
つまり、私がクリエイティブなことをやり出したら、私が人間であるという証明になるのでは?
「それは新種の生き物の話とかではなくて、たとえば芸術もですか?」
「そうだな」
「料理や発明とか?」
「ああ」
きっと今の私は、とてもいい笑顔になっていただろう。
今日から私は平和に生き抜くために、ありとあらゆる分野に手を出してみよう!
悪魔が退屈しすぎてこの平穏な時間を壊さないために。そして私がただの人間だと納得させるために。
「お嬢様?」
「用事を思い出したので失礼します!」
私は一目散に自室へ戻ったのだった。
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