第4話 3歳

 一年が経過し、この日で私は三歳になった。


 計画通りにイヤイヤ期を遂行し、大人たちをちょっと困らせてみることに罪悪感があったり、でも甘やかしてもらえてうれしかったりと、確実に子供らしく成長していたつもりである。


 でもイヤイヤ期はあまり長すぎても双方疲れるかなと思い、ちょっとだけで終わらせてみた。聞き分けのいい子供の方が忙しい彼らに好まれるだろうと思って。中身は二十九歳のアラサーなので、空気はちゃんと読みます。


 いくらマルルーシェの身体が成長しようとも、私の精神年齢は二十九でストップなんだよね……この身体がようやく三十歳を迎えてから、精神年齢も上がるのだろう。多分。


 さて、私の父親であるルードクロヴェリア公爵家の当主、ゼルフィノン・クロヴィス・ルードクロヴェリアに観察対象だと宣言されてからの一年間は、まったく情報をもらえないまま時間が過ぎていった。


 モヤモヤ悶々する日々もあったけれど、そもそも父と過ごす時間が少なすぎた。それに向こうは観察対象と言いつつも、あれからぱったりと私の頭と背中の確認はなくなっていた。


 突然の来訪がなくなったのはよかったものの、逆に私の方が気になりだした。


 毎朝自分で頭を触り変な突起がないか調べる日々を過ごしているが、このまま取り越し苦労になってほしい。鬼のような角が突然生えてきたらどうしろというのだ。マルルーシェの正体が一体なんなのか、そろそろ聞き出したいところである。


「ルーシェもすっかり大きくなったわね~私の天使がもう三歳! 元気に育ってくれて、お母様うれしいわ」

「ありがと、おかあしゃま」


 お母様こそ相変わらずの天使っぷりだよ。髪の毛なんて綺麗すぎて天使の輪が浮かんでいる。

 年々美しさに磨きがかかっているようで惚れ惚れしてしまう。このまま私の癒しでいてほしい。

 私との交流は最小限のくせに、父はちゃんと母との時間を作っているようだ。屋敷の中で不仲という話は聞いたことがない。


 というか……むしろ……。


 私はお母様の首筋に見え隠れしている赤い痣に視線を向けてしまう。あれは多分、いいえ間違いなくキスマークだ。


 髪の毛で隠しているようだけど、風が吹いたらチラチラと見えちゃうよ……二人の仲が睦まじいのは喜ばしいことだけど、なんだろうこの気恥ずかしさは。まだ齢三歳の幼女には刺激が強い。


 今年の誕生日パーティーも去年と同様、身内だけで開催された。でも特別ゲストが来てくださった。父の両親……つまり私の祖父母で、前ルードクロヴェリア公爵の夫妻だ。


「はじめまして、ルーシェ。あなたのおばあ様とおじい様よ。ぜひとも仲良くしてちょうだいね」

「ようやく孫娘に会えたな~私がおじい様だよ!」

「はじめまして、マルルーシェです」

「まああ……!」


 名前を名乗ってお辞儀をするだけで感激してくれるなんて照れるな……幼女のパワーがすごい。もしくは孫馬鹿というやつかもしれない。

 しかしまだ四十代だと思われるご夫妻が祖父母とは……! 結婚と出産が早ければ、四十代で孫がいてもおかしくないのだと気づいた。目からうろこが出そう。


 はじめて会う祖父母は気品と品格があり、とても優しそうだ。今は当主の座を父に譲り、のんびり国内旅行をしたり南方にある別荘で過ごしているらしい。優雅な余生を送っていらっしゃって羨ましい限りである。


 私を抱き上げてくれる手は優しくて、私はすぐに二人に懐いた。デレデレした目で見つめられるとくすぐったいが、実の娘を観察対象としてしか見ていない誰かさんとはまるで違う。


「なにかほしいものはないか」「食べたいものがあればいつでも持って来よう」「そうだ新しいドレスと靴を……」と私を甘やかそうとしてくれる人たちには全力で尻尾を振っておきたい。私は私に甘い人が好きだ!


 にこにこと笑顔を見せながら、はたと気づく。

 彼らは十分整った顔立ちをしているが、神々しいまでの美貌を持つ父と比べると普通に見える。むしろ父がどうかしちゃっているのだ。見た目も中身も。

 電波的な怪しい発言をしていた父と、普通の善良な人間に見える祖父母の二人……この人たちは本当に父と血縁関係があるんだろうか。


 ……あ、今すごく余計なこと考えたかもしれない!


 私はまだ三歳なのに、父が実は公爵家の養子かもしれないなんて考えるのは早すぎる。こういうのは思春期辺りで、もしかして? って不安になるところだ。


「今日は誕生日ですからね、好きなものを何でも食べていいのよ」

「ようやくこの日が来て感無量だなぁ~。子供は三歳を迎えるまでは、離れて暮らす身内も滅多に会えないから」


 え、そうなの?

 涙ぐみながら祖父が私を膝にのせて、頭を撫でてくれる。どうやらここは異世界なので、子供の死亡率が高いそうだ。風邪をひいて命を落とすことも珍しくないらしい。

 まあ、そうだよね……現代日本のように薬や医学が発達していなければ、ちょっとした感染症でも死んじゃう確率は上がるのか……。

 別宅で暮らしている人たちとの交流は、早くても三歳を過ぎてから。赤ちゃんの間は特にデリケートなので、人の目には触れさせないのだとか。


 祖父母に抱っこをされて甘やかされている間に、父が登場した。


 久しぶりに再会した二人は、実の息子に向けるような笑顔で挨拶をかわしている。ぎこちなさを感じさせず、父の幼少期の思い出話まで語りだしている姿を見ると、養子疑惑は考えすぎだったようだ。


「フィンの髪も、幼児の頃は少し青みがかっていたのよ。それからどんどん色素が抜けていって」

「そうだったなあ~マルルーシェの髪とそっくりだ。それに鼻と口も幼い頃のフィンと似ている」

「目元は母親似かしら。クリッとしていて可愛らしいわね」


 全力で褒めてくれると肯定感が上がるなぁ。私は先ほどからにやけっぱなしだ。

 今年の誕生日は、去年と違って平穏な一日になりそう。観察対象発言を聞いてからの一年はなんとも穏やかではなかったので……幼女にストレスをかけるのよくない、ダメ。


 だが油断したのがいけなかったのだろう。私は飲んでいたジュースをドレスに零してしまった。


「まあ、大変。急いでお着換えしなくちゃ」


 祖母の声を聞きつけた父が、サッと私を抱き上げた。


「私が着替えさせてくる。二人は気にせずゆっくり過ごしてほしい」

「え? ええ……じゃあ、そうしましょうか」

「あのフィンが、父親をやっているなんて……感慨深いなぁ」


 そんな眼差しを向けられるけど、ここはメイドさんの出番じゃないのか! いくら幼女でも父親が着替えの補助をするのはちょっと違うと思う! 

 お母様は生憎この場に居合わせず、私はいつかの再現のように父に捕獲された。

 長い沈黙の後、ようやく子供部屋の床に下ろされた。


「おとうしゃま……ごめんなしゃい」


 父の服にまでジュースのシミが滲んでいた。その生地高そうなんですが、シミ抜きは大丈夫だろうか……使用人の仕事が増えてしまうのは本意ではない。


「このくらい大したことじゃない」


 気前のいい発言を聞いた直後、父がサッと手を振り一瞬でシミが消えた。

 思いがけないマジックを目にして、私は思わず目を丸くする。


「あれえ……!?」


 子供らしいリアクションがわからず、ちょっとわざとらしかったけれど、父はそんな私をいつも以上に興味深く観察するように見つめてきた。

 蛇に睨まれた蛙ってこんな気持ちなのかな……ほんと、実の父娘という証拠がほしい。切実に怖いんですけど!


「お前もこのくらいできるんじゃないか」


 突然の煽り発言、いただきました。

 何故この場には家令のレイナートがいないのだろう。ツッコミを入れてくれる人がほしい。


「わたしにも、できりゅ?」


 とりあえず何も知らないピュアさを見せるために、期待を込めた眼差しを向けた。


 この世界に魔法があるなんて聞いたことはないし、誰も使っている様子はないのですが……。そんなファンタジー世界に転生していたら、もっとテンションは爆上がりになると思う。


「素質があればできるはずだ。なにせお前は、魔界の王子の娘なのだから。半分人間の血を引いているが、もう半分は悪魔わたしの血が流れている」

「……」


 あまりに淡々と言われたものだから、冗談だと聞き返すこともできなかった。

 羽と角の確認は、どうやらここに繋がるらしい。


「まかい……おうじしゃま?」


 魔界という概念はこの世界では一般的なのか……でもどこの世界でも悪魔というのは異端なはずだ。

 私は期待を込めて父を見上げる。冗談だと笑い飛ばしてほしい。魔界の王子だから人外のような美貌を持つのも納得とか思いたくない! というか王子=魔王の息子という方程式にも気づきたくなかった!


「信じられないか。そうだろうな。ならば、人間の価値観が刷り込まれる前に見せておくか」


 そう言った直後、父の髪色が一瞬で変化した。

 銀髪から紫黒に、サファイアブルーの目が金色に変わる。

 どんなトリックを使っても、これは理屈じゃ説明できないやつだ……私は絶句して、父を見つめてしまった。


「おとうしゃまは……あくま?」


 私の呟きに、第三者の声が割って入る。


「はい、ゼルフィノン様は魔王様の嫡男で次期後継者……次代の魔王陛下ですよ」


 家令のレイナートがにこやかな笑顔を向けながら、えげつない事実を突き付けてきた。

 この人今、窓から入ってきたんですけど。どうやって三階まで上がってきたの。


「年齢は軽く千を超えていますよね」

「数えるのが面倒で年齢など忘れた」


 あまりの情報量に私の脳みそはキャパオーバーを迎えた。

 一度に聞いていい話じゃない……と愚痴をこぼしながら、私はその場で気絶した。


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