第28話 内と外の戦いー①
「さぁ、どっちが先に切り刻まれたい?」
ケリチュットに抱えられたままの首が不適に笑みを浮かべた。
マルクが構えると、おまえか、とウォルターがじりじりとにじり寄ってくる。
「ーー先にこいつを片付けてからここへ戻る。それまで奴を足止めできるか?」
マルクがメディナに囁くと、メディナは汗を垂らしながら答える。
「やってみるわ。けど、相手の力量がまだ読めない。できるだけ早く戻ってきて」
「了解」
マルクは素早く西の廊下に飛び出した。獣のように反応したウォルターがそれを追っていく。
「逃げても無駄だ!お前ら全員を八つ裂きにしてくれる!」
ウォルターの首を残したまま、二人は激しくぶつかり合う音を立てながら廊下の奥へと消えていった。
「さて、と」
マルク達を見送ったケリチュットはメディナの方へ視線を戻した。「それではこちらも始めようか」
「貴様などがケリチュット様に勝てるなどとはとんだ思い上がりだぞ、小娘」
メディナはウォルターの声を無視して魔法の詠唱を始めた。聖属性のマナが集まって杖先に白い光球を作り出す。
「ーー『
射出された魔力の球が、螺旋を描くような軌道でケリチュット目掛けて猛スピードで襲いかかっていった。球から放出したまばゆい光がケリチュットの顔を照らしつける。
ケリチュットは光球を左手で払った。まるで虫を追い払うような無造作な動きだったが、それだけで光球はいとも簡単に弾かれると、左後方の壁に激突して爆発を起こした。
「先に言っておくぞ。私達、新世代の悪魔には生半可な聖魔法は通用しない。そんなわかりやすい弱点はとうの昔に克服している」
まぁ、そんな甘い相手じゃないか、とメディナは思わず笑みを浮かべる。こんなことなら苦手だなんて言わずに聖魔法もきっちり修練しておくべきだったわね、と彼女は今更ながら後悔していた。
「さぁ、現代の魔術師のレベルが一体どのようなものなのかじっくりと拝ませてもらおう」
そう言うとケリチュットは床を強く蹴り、今度は自らメディナに攻撃を仕掛けてきた。
「エリス!」
メディナの指示が飛ぶと、人形はケリチュットの前へ躍り出る。
ケリチュットはウォルターの首を抱えたままもう片方の腕をメディナの方へと伸ばしてくる。鋭い爪がメディナの顔先まで伸びてくるが、エリスが剣の腹でケリチュットの攻撃を
「くっ!」
メディナは詠唱に必要な距離を取ろうと大きくバックステップするが、ケリチュットは易々とその動きに追随してくる。そして再び幾度もメディナへ手を伸ばす。エリスも必死でガードしているがあまりの攻撃速度にこちらから攻撃に転じる隙がない。
そのときだった。メディナに手を伸ばす振りをしてケリチュットはエリスの襟を掴まえた。「邪魔なガラクタだ」
ケリチュットはエリスを床に思い切り叩きつけた。床にひびが入り、木で出来たエリスの体が軋みをあげる。
そしてケリチュットはエリスの体を勢いよく蹴り上げた。強靭なケリチュットの脚力によって空中に飛んでいったエリスは天井に激突するとメディナの数メートル後方の廊下の上に落下した。
「エリス!」
エリスは起き上がろうとするが体を損傷してうまく動けずにいる。「ーーま、えを向いて。メディ、ナ」
人形の振り絞るような声によって後ろを振り向くと、魔物はすぐ近くまで迫っていた。
「だから言っただろう、思い上がるな、と」
ウォルターの首が勝ち誇ったかのような含み笑いをした。ケリチュットは、ふん、と鼻で笑うような声を発するとメディナに告げた。
「思ったより決着は早かったな。魔術師の質も落ちたものだ」
そしてメディナにとどめをさそうと手をこちらに向けたが、そのとき、ケリチュットはメディナの杖先に膨大な魔力が蓄積されていることに気がついた。
「……何だと?」
「詠唱は魔術師にとって要となるものよ。あまり私を侮らないで!」
メディナは杖先をケリチュットに向けると魔法を唱えた。
「『
炎が地獄の獣のように荒々しく巨大な姿で出現すると、一本の太い光線に凝縮されて魔物に向けて放たれた。
私の持ってる火属性魔法で最高レベルの魔法よ。ーー貫かれて灰になりなさい!
至近距離で放たれた魔法は既にケリチュットの眼前へと到達しようとしていた。
しかしケリチュットの顔には微塵も焦りや恐れの感情は浮かんではいなかった。左手を振りかぶると、魔力を帯びた手首から先が様々な色に変化していく。そして目の前に迫る炎と同じ色に変わったかと思うと、ケリチュットは腰を落として魔法の光線に向かってその手をかざした。
「『
ケリチュットは光線を真っ直ぐメディナに向かって弾き返した。メディナの魔力とまったく同じ性質の魔力をまとわせたケリチュットの左手によってはね返された光線は今度は術者自身に襲いかかっていく。目を見開いたメディナのローブの端がちりちりと燃え始めるのが見える。
メディナは咄嗟に地面に伏せると光線をすんでのところでかわした。鉄をも溶かすような熱気がメディナの頭上を通りすぎていく。小さく舌打ちしながらも余裕を見せていたケリチュットだったが、視界に映った光景を見てその顔色を変える。
メディナの後方で起き上がったエリスが剣の腹をこちらに向けて構えていた。メディナにはケリチュットのように高度な反射魔法は使えないが、エリスはメディナの魔法ならどんな魔法でもはね返すことができる。
エリスは『業火の獣』の光線を受け止めきるとそっくりそのままケリチュットの方へとはね返した。『同調反射』を行使した直後に生じた隙によって反応しきれなかったケリチュットは、メディナの魔法を正面からまともにもらってしまうことになった。
轟音を伴う大きな爆発が屋敷の中に巻き起こった。煌々とした強い光りと高熱が瞬時に辺りに広がっていく。窓ガラスは粉微塵に割れて、壁にかかった巨大な絵画が炎に包まれていった。
床の絨毯が焼かれ、漆喰の瓦礫の上を黒々とした煙と炎が覆っている。窓際のカーテンが燃え落ちていくさまを見ながらメディナは荒い息をついていた。よろよろと浮遊しながらエリスがメディナの傍に戻る。
「大丈夫、エリス?」
メディナが心配そうに訊ねると人形はところどころ穴の空いて汚れた顔をして答えた。「大丈夫、じゃないけど、やるし、かないわね」
すると、瓦礫の崩れる音と共にケリチュットが煙の間から再び姿を見せた。白い毛皮が煤けて薄汚れているがその体にはかすり傷一つついていないようだった。
「これでわかったか、小娘。お前とケリチュット様とではレベルが違うんだよ」
ウォルターは高らかに嘲笑した。しかし、ケリチュットの顔からは先ほどのような笑みは失せていた。ケリチュットは左手をかざすと
「すまなかったな、娘。どうやらお前を見くびりすぎていたようだ。今から敬意を持ってお前を殺してやろう」
メディナは杖を構えると笑みを浮かべる。しかしウィザードハットの下の顔は汗にまみれていて、ローブの襟は汗染みでぐっしょりと黒く濡れている。
ーーマルク、早く戻って。私、もう持たないかもしれない。
炎に煽られて揺れるケリチュットのシルエットがメディナにゆっくりと近づいてきていた。
♦♦♦
燃え尽きて炭化した民家の柱が倒れ、火花が飛び散った。炎は嘲笑する巨人のように勢いを増して家全体を飲み込もうとしている。隣の家に燃え移るのも最早時間の問題だろう。ティムとフパンという名の使用人の男は大混乱が巻き起こっている村の中を通り抜けて村の中央部へ向かおうとしていた。
「ティムさん!あれ!」
フパンが指差した方向を見ると、民家の軒先で大男が痩せ細った男の胸ぐらを掴んで持ち上げてその顔を殴り続けていた。
「いつもいつも俺をコケにしたような態度を取りやがって!死ね!死にやがれ!」
大男の顔は怒りで紅潮し、その目は堕落者特有の赤い輝きを放っていた。痩せた男の顔は血で真っ赤に染まり、既にぐったりして意識を失っているように見えた。それでも男は殴る手を止めようとはしない。
「やめろ!」
ティムは二人に駆け寄っていくと男を制止した。しかし、男は聞こえていないかのようにまだ殴り続けている。欠けた歯が地面に飛んで土の上に突き刺さった。
「やめろと言ってるんだ!」
すると男はようやく手を止めてティムをじろりと見た。完全に正気を失った男の目を見て思わず背筋がぞっとする。
「何だよてめぇ。お前まで俺のことを馬鹿にするのかよ。いいぜ、やってやらぁ」
男は意識を失った相手を放り出すと手の骨を鳴らした。よく見ると男の拳は骨が皮膚を突き破っていて、自分と相手の血でべったりと赤く濡れている。
「死にやがれ!」
猛然と襲いかかってきた男に対してティムは身構えた。フパンは後ずさりして情けない悲鳴を上げている。
放たれた拳をかわすと、ティムは男の腕を取って背負い投げを繰り出した。男の勢いは投げのスピードにすべて変換されると、見事に土の上に叩きつけられた。背中に衝撃をダイレクトに受けた男は泡を吹いて気を失った。
「……死んだんですか?」
ティムの後ろからフパンがおそるおそる男を覗き込んで様子を伺う。
「いや、気絶してるだけだ。堕落者はそう簡単には死なない」
そう言ってティムは痩せた男の方へ歩み寄った。治療を試みようとうつ伏せになって倒れている男をひっくり返してみたが、無惨な姿に変えられた男は既に息をしていなかった。
「ひどいーー」フパンが険しい顔をする。
そのとき、近くの家から女性のくぐもった声が聞こえてきた。玄関に駆け寄ると声に合わせて何かを忙しなく打ち付ける音が中から聞こえてくる。嫌な予感がしたティムは、直ちに家の扉を蹴破った。
「うっ!うっ!……うっ!」
家の土間では若い女性が髭を生やした男に後ろから犯されていた。女の顔には青痣があり、着衣ははだけて胸元が露になっている。男は舌なめずりをしながら一心不乱に腰を振っていた。
ティムは風の魔力で衝撃波を放った。壁に強く打ち付けられた男は、ぎゃっ、という叫び声を上げると倒れて動かなくなった。
「大丈夫かあんた!」
呆然としている女にフパンが駆け寄って自分の上着を肩から掛けてやる。
ティムが深く息を吐くと、フパンが女を立たせてやりながらこちらに歩み寄ってきた。
「村全体がこんな調子なんです……いったいこの村はどうなってしまったんでしょうか」
フパンの顔に沈痛な表情に浮かび、女は虚ろな表情をしたまま震えて続けている。
ーー人は、一度タガが外れてしまうとここまで狂暴な存在になってしまうものなのか?
一般人が堕落者と化した姿を目の当たりにしたティムは、ソレミアに忍び寄る破滅の臭いを嗅ぎとって恐怖を覚えるのだった。
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