第20話 堕落者

 衛兵は剣を両手で握って真っ直ぐ引くと、地面を蹴ってティムに向かって突進してきた。

 ーーあとはこいつをどうやって無力化して捕らえるか、だな。

 依頼では「生死を問わない」とあったが、事件の全貌解明などを考えれば生け捕りにするにこしたことはない。ティムは向かってくる相手への迎撃体勢に入った。


 ーーえっ?

 気がつけばティムは衛兵の射程距離内に既に捉えられていた。衛兵はティムの喉元に狙いを定めて鋭い突きを放ってくる。間一髪のところでかわすが、衛兵は身を翻してティムの肩口に斬撃を浴びせてくる。反射的にメイスで攻撃を受け止めたが、一撃の重さに思わず体がよろける。


 こいつ……何て速さだ!

 次々と浴びせてくる衛兵の連撃をティムは必死の形相で防いでいく。技量は中の中といったところだが一撃一撃が速く、そして重い。衛兵は人間離れした素早い身のこなしで矢継ぎ早に攻撃を放ってきた。剣先がティムの左腕や頬を掠めて赤い飛沫が飛ぶ。エリーは恐怖で腰を抜かしたのか、地面にへたり込んだまま二人の戦いを震えて見つめている。


 鍔迫り合いのような状態から押し出され、たまらずティムは後方へ飛びのいて距離を取った。ーーおかしい。明らかに人間の出せる出力を超えてる。ティムは顎先から流れ落ちる汗を手の甲で拭ったが、その息は早くも上がり始めていた。衛兵の発する圧力はまるで魔物のように強烈なものだった。


 そのとき、ティムははっとする。戦闘の経過によって位置取りが乱れ、エリーのすぐそばに衛兵が立っている。それに気がついた衛兵はエリーを見下ろすとその手を伸ばしていく。

「いやあああっ!」

 絹を裂くようなエリーの悲鳴が無人の路地にこだました。


「危ないっ!」

 ティムが片手をかざすとエリーの体が浮き上がり、まるで磁力のようにティムのいる方角へと勢いよく引き寄せられていった。飛んできたエリーの体をティムは抱き抱えるようにして受け止める。お互いの息がかかりそうなほどの至近距離で顔を突き合わせると、ティムは

エリーに、大丈夫か、と訊ねた。


「……………………」

 エリーは恥ずかしさと緊張の余り動けないでいた。何しろ、これほど異性と接近したのは生まれて初めてのことだった。男性の匂いや肌の感触に心臓が早鐘のように打ち鳴らしている。

 ティムはエリーを下ろすと軽い治癒魔法をかけた。「これで動けるはずだ。もう少し下がってろ」


 エリーは何度も頷くと足早にその場を離れた。こんな状況にも関わらず、胸の動悸はずっと収まる様子を見せようとしない。私、いったいどうしちゃったんだろう、とエリーは頭の中で一人呟くのだった。


 衛兵は標的を捕まえ損なった自分の左手をじっと見つめていた。顔は兜に覆われ、その表情を読み取ることはできない。悔しさを感じているのか、それとも怒りがこみ上げているのか。


 すると、衛兵はおもむろにティムの方へと左手を向けた。ティムの顔が訝る表情に変わると、次の瞬間、衛兵の手から魔力の弾が高速で射出された。意表を突かれたティムは魔力弾を直撃で受け、六メートル余りの後方へと吹き飛ばされていった。


「な……に…………?」

 ティムは上半身を持ち上げるが思ったよりダメージは大きく、咄嗟に起き上がることができない。魔力弾は無属性のマジックミサイルとも少し違う、邪悪な魔力を孕んだ一撃だった。激突の衝撃というより、その邪気がティムの体を蝕んでいる。


 倒れたままのティムに衛兵が襲いかかってきた。ティムが起き上がるより早く、衛兵はティムの体に馬乗りになると、鎧と会わせて百キロ近くありそうな重量が全身にのしかかってくる。ティムは身をよじって逃れようとするがしっかりホールドされているようでまったく身動きが取れない。


 衛兵は剣を自らの頭上に振りかぶった。ティムの顔が凍りついていく。遠くでエリーの悲鳴が聞こえたような気がした。衛兵は勢いをつけて剣を一気に振り下ろす。

「……ウインドブレッシング!」

 

 ティムの全身を緑色のオーラが包み込み、眼前に迫る刃を驚異的な反応速度で首だけ傾けてかわした。剣が地面に突き刺さると石畳の上にひび割れが広がる。衛兵は素早く剣を引き抜くと、再びティム目がけて振り下ろした。ティムは再び頭の移動だけでそれをかわす。衛兵は諦めずに何度もティムの顔面を狙って突いてきた。ティムは目をしっかり開き、迫り来る刃の恐怖に耐えながら、それらを次々にかわしていった。


 らちが明かないと感じたのか、衛兵は狙いを頭からティムの心臓へと切り替えようとした。その一瞬の空白を狙い、ティムは風魔法で衛兵を上へと吹き飛ばす。衛兵はこちらを見つめながら中空へと舞い上がっていった。

 

 ティムは衛兵を追いかけて上昇した。接近してきたティムに対し、衛兵は空中で剣を構え直す。すると、自由に身動きの取れないような体勢のまま、衛兵は鋭い一撃を放ってきた。


「ぐっ!!」

 ティムは瞬時に身を捩ったが、衛兵の剣はティムの体を斬り裂き、深い傷を負わされてしまう。夥しい出血が始まるが、それに構っている余裕はなかった。


 ティムは魔法を唱えた。下に向けた状態のメイスが激しい光を放ち、ティム自身の体を軸にして回転を始めた。メイスは高い回転速度を保ったまま、かち上げるような形で衛兵の鎧の胴体部分に勢いよく命中する。


「………………!」

 鉄の鎧がひしゃげ、衛兵が兜の中でくぐもった声を漏らす。それでも衛兵は再び剣を構えようとしている。ティムは今度は逆向きの回転を始めると、もう一度強烈な一撃を今度は衛兵の左肩の辺りに叩き込んだ。骨の砕ける嫌な感触が手を伝わってくる。


 突然、衛兵が嗤い出した。それは本当に厭な嗤い声だった。まるで死を迎える間際の病人を嘲笑するようなーーそんな人間への冒涜を強く感じる嗤い声だった。激しい嫌悪感と、衛兵から放たれる刺すような殺気を感じたティムは、もう一度魔法を詠唱した。さらにもう一度逆回転を始めると、ティムは衛兵の頭部にとどめの一撃を命中させた。


 衛兵は糸が切れたかのように全身の力を失うとそのまま地面に落下していった。ぐしゃり、という地面に叩きつけられる音がした後に、ティムも続いて着地した。

 ティムは傷口を押さえながら慎重に衛兵に近寄った。衛兵の鎧と兜は砕かれ、その首はあらぬ方向へと曲がっている。明らかにもう生きてはいない。

 

 手加減できなかった。ティムは激しく息を切らしながら衛兵の死体を見下ろしていた。せっかく生きたまま確保しようとしていたのに、反射的に体が動いてしまった。ティムはごくりと唾を飲む。しかし、あのとき殺さなければ、きっと代わりに自分が殺されていただろう。そんな予感を強く覚えて思わず寒気を覚えた。


 そのとき、背後から足音が聞こえてティムは振り向いた。見るとエリーが震えながら黙ってこちらを見つめている。

 ーー無理もないか、あんなシーンを見せられちまったら。そうティムは思ったが、ティムが大怪我を負っていることに気がつくと、エリーは急いでこちらに駆け寄ってきた。


「だ、大丈夫ですか!?」

 エリーの顔が悲痛な表情に歪む。その顔はさっき自分が襲われかけていたことなど忘れているかのようだった。きっと彼女は自分の痛みよりも他人の痛みに敏感なのだろう。


「ああ、大丈夫だ」

 そう言うとティムは傷の治療を始めた。傷口が淡い光に包まれていくさまをエリーは心配そうな、不思議そうな表情で見つめている。もしかすると傷跡が残るかもしれないが、そのことは彼女には伏せておこう。


「あのーーさっきは助けてくれて、ありがとうございました」

 いったい何のことかと一瞬思ったティムだったが、少し考えてエリーが衛兵に捕まりそうになっていたときのことを思い出す。律儀な子だな。そもそも自分が危険な目に合った原因はこの俺にあるのにーー。

 

 そう思いながらティムはエリーを見つめた。エリーは涙で潤んだ瞳でこちらを見つめてくる。朝に嗅いだエリーの匂いや露出した白い肌を思い出す。途端に心臓が大きく鼓動を始めた。この雰囲気は…………。


 しかし、そんな甘い空気も目の前のエリーの表情が凍りついたことで一変した。

 死んだはずの衛兵が立ち上がろうとしていた。衛兵の頭から兜の残骸が地面に落下すると、衛兵は首が折れたまま、鼻孔と口の端から血を流してこちらを見つめている。その目は怪しく赤色に光っていた。衛兵は口から血泡を吹きながら唸り声を上げている。

 

 馬鹿な。死んだはずだろ?ティムは目の前で起きている出来事が信じられなかった。聖職に仕えていたティムにとっても、死は世界を司る最も基本的な理の一つだった。神官や修道士でも一度死んでしまった者は二度と生き返らせることができない。だからこそ人生は尊く、懸命に生きるべき価値のある場所でもあった。その大いなる原則を今、目の前の人物はいとも簡単に覆そうとしている。


 衛兵は剣を拾うと二人ににじり寄ってきた。どうやら傷の回復は間に合いそうにない。ティムはメイスを構える。エリーはティムに身を寄せて小刻みに震えていた。くそっ、こうなったら起きてこなくなるまでぶちのめしてやるーー。


「そこまでだな」

 気がつくと左側の建物の軒下にマルクの姿があった。あいつ、いつの間にーー。マルクは無造作にティム達の方へと歩いてくる。視界を横切ったマルクに、衛兵は動物的な反応を見せて飛びかかる。二人が交錯したその瞬間だった。


 衛兵はふらりと足元が揺らぐとその場に倒れた。マルクは逆手に持った短剣を一振りすると鞘にしまう。

 ーーは、速ぇ。ティムは驚愕する。無駄が極限まで省かれたような見事な静技だった。音すら立てずに相手を制圧してしまった。


「し、死んだの?」ティムの袖を掴んだままおそるおそるエリーが訊ねる。

「人聞きの悪いことを言うなよ。ただ神経毒で無力化しただけだ」

「マルクは生物毒、自然毒含めた三百種類以上の毒を扱うスペシャリストよ。こんなのわけないわ」


 背後からメディナが現れてエリーが身をびくつかせる。まったく、こいつらは普通に出てこれないのかよ。

「一体こいつは何なんだ?」


 ティムが訊ねるとマルクは静かに答えた。「魔に堕ちし者。通称『堕落者フォールン』と呼ばれている」

「心の奥底に潜む歪んだ欲望につけこまれて人であることをやめてしまった人間。堕落者となった人間は身体能力が著しく大きく向上し、高い生命力と邪悪な力を持つようになる」


「あんたら、こいつが堕落者だって知ってたのか」

「まあ、十中八九、といったところかな。まさかお前が殺しそうになるとは思わなかったが」

「ぼんくらかと思いきや、意外な掘り出し物なのかもね」


 ティムは二人の態度に腹を立て始めていた。何だよ、こいつら。人を手の上で転がすような態度を取りやがって。いい加減頭に来たぞ。

「おい、あんたらーー」

「それよりお前、さっさとこいつの手当てをしてやれよ。いくら堕落者が強靭な生命力を持ってるからって放っておいたら死んじまうぞ」


 先手を打たれた形になってティムはしぶしぶ衛兵の手当てを始めた。エリーは状況が飲み込めずに三人の顔をきょろきょろと見比べている。

「ーー試験は合格なんだろうな?」


 そう訊ねるとマルクは飄々と答えた。「そりゃお前次第だ。早く治して、人が来る前にとっとと衛舎に運ぶぞ」









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