第5話 来訪者

 ティムとアルマはミェーザの村の民家にいた。死んだトマの友達の両親に遺品を渡すために村を訪れたのだった。血で汚れた靴を見せられた母親は人目も憚らず大声で泣き始めた。

「ごめんよ。ごめんなさい、おばさん」

 トマは目に涙を浮かべて必死に赦しを請う。しかし、悲しみにうちひしがれた母は怒りの矛先をトマに向けた。


「あんたよ。全部あんたのせいよ!ジェイクが死んだのは!」

 今にも飛びかからんばかりの剣幕で捲し立てる母を夫が必死に抑えつける。しかし夫の顔にもやり場のない悲しみと怒りが浮かんでいるのが見えた。「返してよ!私のジェイクを!ああああああっ!」

 母の慟哭は民家の外にまでこだました。


「そいつは違うよ、奥さん」

 黙って聞いていたティムがぽつりと言った。え、と驚いた表情で母はティムを見る。

「生き死にに関することや人生に関する重大な決断はすべからく本人の責任だ。他の人間が背負えるもんじゃない」

「そんなこと言ったって、現にこの子がジェイクをーー」


 ティムは首を振った。「同じことだよ、奥さん。最初に誰が誘ったとしても、最終的に洞窟に行くと決めたのは本人だ。普段から洞窟や森は危ないってことは教えてたんだろ?なら、それをわかってて行った本人にすべての責任がある。そこは大人だろうと子供だろうと変わらない」

 母は一瞬放心したような表情を見せると、再び顔を両手で覆いながら泣き始めた。


「けど、けど。私、悲しくてーー」

 泣き続ける母の元に近づくと、ティムは彼女の肩に手を置いた。

「そのために俺達、神官や修道士がいる。死んだ者を生き返すことはできないし、他にもできないことは多い。けど、あんたみたいな傷ついた人に寄り添うことぐらいは何とかできる」


 ティムは立ち上がった。「悲しくて悲しくてどうしようもない日があれば修道院に来なよ。あんたの悲しみや憂い、迷いをみんなが分かち合ってくれる。傷が完全に癒える日はこないかもしれないけど、あんたが再び前へ歩き出す支えぐらいにはなれるはずだぜ」


 三人は民家を出た。正午過ぎの太陽は何事もなかったかのように世界を眩しく照らしつけている。世界は無慈悲にも平等だった。悲嘆し嘆く者にも、喜び喝采を上げる者にも同様に日の光は降り注ぐ。トマが先程からくすん、くすんと泣き続けている。ティムは少年の頭を撫でると優しい声で囁いた。


「そんなにいつまでもへこみ続けてるなよ。起きちまったことは仕方ねぇ。ーーけど、もし俺から一つお前に頼むとすれば……そうだな、これからはもう少しだけ他人に優しくなってみてくれ」


 トマはその言葉の真意が掴みきれない様子でティムを見上げていたが、やがて何かを理解したのか、うん、としっかりとした面持ちで頷いた。

 そのとき、道の向こうから一人の女性が急いで走ってくる姿が見えた。驚いた顔をしている三人の前で女性は足を止めると、女性はティムの手を力一杯握りしめた。


「ありがとう!本当にありがとう!」

 女性は鼻水を流しながら顔一杯で泣いていた。その影から女性の子供らしき少年が顔を覗かせる。溜まりに隠れて生き延びることができた男の子だった。無力感を感じていたアルマだったが、こういう光景を目にすれば、一応自分のしたことにも意味はあったのかな、と思うのだった。


♢♢♢


「ティム!……あら、ごめんなさい」

 アルマが屋根裏部屋のドアを開けると、綿のパンツ一枚姿のティムがベッドに腰かけて櫛で髪をといていた。しかし黒々とした癖っ毛のティムの毛髪はいくらすいても一向に変化は見られない。それでも本人には髪型にこだわりがあるようだ。


「またお前かよ。いつも言ってるだろ、ノックぐらいしろって」

「ごめん」

 さほど反省した様子もなくドアを閉めるとアルマはずかずかと部屋の中に入ってきた。

「いったい何の用だよ」


「それがさ。さっき凄く立派な鎧を着た人が裏の馬屋にいたの。きっと相当位が上の人だと思う。裏口から神父の部屋に向かったみたいだけど」

「それで?」

「……いや、だから、ね?」


 ティムはため息をついた。アルマはティムの私生活にやたらと干渉してくるくせに、都合のいいときに限ってティムを利用しようとしてくる。要するに、自分の野次馬根性を満たすためにティムを共犯者に仕立て上げようとしているのだ。

「まあいいや。とりあえずどんな奴だったかもっと詳しく教えろよ」


「えーっと、そうね。体格はすごく立派で、銀色の鎧に紫のマントをつけてた。顔はちょっといかつい感じかな。髪の毛は真っ白い長髪で……そうそう、鎧の胸のところに金色の獅子の紋章があったわ」

 金獅子の紋章ーー!ティムは突然立ち上がると急いで身支度を整え、アルマを促した。

「おい、行くぞ」

「え、いきなりどうしたの?ちょっと待ってよーー」


 二人は食堂へ向かうとおばちゃんに頼んで貯蔵庫の扉を開けてもらう。「見つかっても知らないからね」と釘を刺すおばちゃんを尻目に二人は暗い貯蔵庫の中に入っていった。埃っぽい匂いと乾燥したにんにくやタマネギの香ばしい匂いが鼻をつく。米袋に手をついてさらさらという音を立てたアルマに、ティムは人差し指を立てて静かにするよう注意した。


 壁にかかっている虫除けのルーンの札を横にずらすと一筋のか細い光が貯蔵庫の内部に射し込んだ。ティムは壁の隙間に目を凝らす。そこには神父の私室の光景が広がっていた。神父の性格を表すように、本棚と机とベッドぐらいしかない簡素な部屋だったが、来客をもてなすための敷物の絨毯やテーブル、ソファーに関してはしっかりしたものをあつらえている。


 神父と来客はソファーに腰かけて談笑している様子だった。こちらに背を向けている神父の真向かいに鎮座する来客の顔を見てティムは驚いた。

「……将軍じゃねぇか」

「将軍って、まさか」


「ああ。この国の軍部の最高責任者。ローガン=ヴォルフガングその人だ」

「ええっ。何でそんな偉い人がこんな片田舎の修道院に」

「知らん。けど話し振りから見るに、どうやら将軍と神父は長い知り合いみたいだな」

 ティムは覗き穴から目を離すと今度は右耳を壁に押しつける。それを見たアルマも同じ体勢をとった。


「……これだけ頼んでも無理なのか」

「ええ。あなたの仰ることにはリスクが大きすぎる。その命を受けた者はおそらく一生を棒に振ることになる」

「しかしまがりなりにも国王からの勅命だ。これほど名誉なことはなかろう」


 神父はうつ向いていた顔を上げる。「いえ。やはりお受けできません。ここで暮らす者達は皆、私の子や孫のような者。そのような危険にさらすわけには参りません。ましてや、ソレミア国教会に弓引くような行為に荷担するなど」

 驚きの余り、ティムは思わず体勢を崩してしまう。わずかに音が立ち、慌てて二人は息を潜める。


「もう。何やってんのよ」

 ティムは息を殺しながら先程の神父の言葉を反芻する。ソレミア国教会といえばその名の通り、この国ソレミアの宗教であるニア教を管轄している総本山だ。もちろん、この修道院もその下部組織となる。


 ティムは恐る恐る覗き穴を再び覗き込んだ。大丈夫、将軍はさっきの物音には気がつかなかったようだ。ティムは体勢を立て直すと再び耳を澄ました。

「候補者は何人かいると先日言ったばかりではないか」


「ええ、確かに能力的には思い当たるものが数名。しかしやはり私には我が子を千尋の谷に落とすような真似はできない。せっかくこの修道院で穏やかな一生を送れる権利があるというのに」

「それはどうかな?」

「え?」


「デクスターよ。君のその高潔な精神は友人としてかねてから尊敬している。しかし、高潔さだけでは世の中を渡ってはいけないことも知っているだろう?」

「……何が言いたいのです」

「とある筋からこの修道院の経営状況が苦しいことは私の耳にも入ってきている。しかし、もし協力するというのならそのくらいの額、こちらで便宜を図ることも可能だ」


「脅し、というわけですか」

「どうとってもらっても構わない。しかし、君の助けになりたい、というのも私の心からの気持ちだ。しかし、この場合助けるにも公的な根拠が必要となる」

 そう言うとローガン将軍は腰を上げた。


「それでは考えておいてくれ。また来る」

 ローガンは神父を残したまま入口の方へ向かう。そしてドアを開けて退出しようとしたそのとき、将軍と一瞬目が合ったような気がしてティムは急いで覗き穴から顔を離した。心臓が早鐘を打つ中、再び覗き込んだときにはローガンの姿は既になかった。


 ティムは深い息をつくと壁を背にしてその場にへたり込んだ。

「ねぇ、ティム。いったいどういうこと?まさか、この修道院が無くなってしまうの?」

 服の袖を引っ張り、必死に問い詰めてくるアルマの声が耳に届かないほど、ティムは暗闇の中で呆然とし続けるのだった。



 

 




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