刹那の憎悪(4)

「久賀くんの好きなものの話。家族のこと、仲の良い友人のこと。幼なじみの野崎くんのこと……。沢山教えて貰ったわ。でも彼は、あなたの話なんか一度もしなかった。彼の中に、あなたの存在そのものがなかったのよ。なのに今頃出て来て何なの?図々しいのよっ」


唯花は夏樹の制服の襟元をギッと握り掴むと、後ろの壁へとその身体を力任せに押し付けた。


「……っ……」


女性のわりに意外にも強い力で押され、夏樹はコンクリートの壁に軽く背を打ち付けてしまった。



明らかな『嫉妬』。


本来なら、こんな仕打ちを受けるいわれは自分にはない筈だ。


(……だけど……)


夏樹は唯花の行動に驚きはするものの、怒り等の感情は浮かんでこなかった。


雅耶のことが好きだという気持ち。

そこから生まれる嫉妬心。


それを隠すことなく表せる、そんな彼女をうらやましくさえ思う。


こんな気持ちは、彼女からしてみれば「馬鹿にしている」と取られてしまうかも知れない。

けれど、自分はそんな風に素直に想いのままに行動することが出来ないから……。



「何なの?その取り澄ました顔。この状況でまだ余裕ぶってるつもり?……ホントにムカつく女ね」


そう言うと、唯花は何処からか小さなカミソリの刃を取り出した。


「その綺麗な顔に傷を付けてあげましょうか?二度と久賀くんの前に出て行けないくらい……」


唯花は、それを人差し指と中指の間に挟み込むと夏樹の首元へと近付けようとする。

だが、夏樹はその腕を咄嗟とっさに掴んでそれを制した。


「なっ…!!」


思いのほか強い力で握られ、唯花は動揺を見せる。


「何よあんたッ。気やすく触るんじゃないわよっ!離しなさいよっ!」


ぐいぐい腕を引こうとするが、びくともしない。

表情を変えない夏樹の瞳が、唯花を静かに見つめている。


「こ……のっ、馬鹿力っ!」


焦りだした唯花に、夏樹は静かに口を開いた。


「駄目だよ。唯花ちゃん…」


「なっ…?」

「そんなもの、使っちゃ駄目だ」


夏樹は掴んでいない方の手で、そっと唯花の持っているカミソリの刃を奪うと遠くへ放り投げた。


カシャーーン……という、音が室内に響き渡る。


「あんた……何で、私の名前……」



唯花は呆然とした。

自分は目の前のこの女に名前を名乗ってはいない筈だ。


それに、この声には聞き覚えがあった。

見た目の可憐かれんな少女には若干似つかわしくない、その中性的な低めの透る声。

そして自分を静かに見つめる涼し気な、まっすぐな瞳。


それは、彼の大切な幼なじみだという少年のそれに似すぎていた。

前に自分が数人の男たちにからまれた時、助けて貰った彼のものに。


あの時も、自分に対して振り上げられた男の腕を彼はこうして掴んで、静かにさとすような瞳をしていて……。


双子だから似ているのか……とも思ったが、違うと。


心のどこかで自分の勘がそう告げていた。



「あ……あなた……っ……」


動揺を隠しきれず、知らず震えてしまう声。

それを全てみ取るように、目の前の人物は僅かに眉を下げた。


「ごめんね、唯花ちゃん……」

「あなた……やっぱり、野崎くん……なの……?」


有り得ないと、そう思いながらも。


どこか寂し気な表情を浮かべたまま、こちらを見つめているその真っ直ぐな瞳は、まさしく彼のものであり、無言で自分の言葉を肯定しているのだと理解した。


「何……で……?」


こんなことって、あるのだろうか?


先程までは、何処から見ても同年代の少女にしか見えなかったというのに。


目の前にいる人物は、以前の彼の面影を隠すことなく静かに口を開いた。


「唯花ちゃんが雅耶のことを本当に好きなんだってことは、近くで見ていたから知ってるよ。でも、こんなことをしたって何の解決にもならない」

「あっ……」


ずっと掴まれたままだった腕を、そっと外される。


「唯花ちゃんが後々、辛い思いをするだけだ」



唯花の性格上、本来ならば同性にそんなことを指摘されようものなら反感から逆上しているところだ。


だが、以前出会った少年の面影が、それらの言葉を飲み込ませた。

何より嫌味のない真っ直ぐな彼の言葉が、心にストン……と落ちてくる。



「唯花ちゃんと雅耶の間に何があったのか、オレには分からないけど……。キミと別れるなんて雅耶は女の子を見る目がないなって……。ずっと、そう思っていたよ」

「……っ……」


あの時の少年の瞳でそう語る目の前の人物は、それ以上は語らず寂し気に微笑むと、呆然とたたずんでいる唯花の横を通り抜け、ゆっくり出口へと歩きだした。


「あっ……待っ……」



何故『冬樹』が現在、少女の姿をしているのか。


唯花がどんなに考えても答えが出てくることはなかったけれど。

去ってゆく、その寂し気な背中に唯花はそれ以上声を掛けることが出来なかった。





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