僕の本当の幸福は③


 その日の仕事の帰り道、国庫管理の長であるポルコ様と同僚たちに貰ったばかりの給金を奪われてしまった。



 大人数人がかりでは防ぎようもなく、それを誰に訴えたところで身分のない僕の言い分など誰にも聞いてもらえないだろう。



 けれど悔しかった。



 あれでエステレラに似合う髪飾りを買ってあげるって約束したのに。



 捕まれた時にできた顔の擦り傷を撫で、引っ張られてよれたシャツを直しながら僕は重たい足を西棟に向かわせた。



 「あの娘ならいないわよ。今日も陛下のお召があったみたいだから。」



 「…え…?」


 

 西棟に戻ると、エステレラの部屋の前でドアをノックしようか迷っていた僕に、通りかかった複数の女使用人たちが話しかけてくる。


 

 「…これで何度目かしら?

 何でもあの娘は陛下のお気に入りみたいだからね。

 …あの娘いくつだっけ?まだ少女でしょうによくやるわよね。」



 「汚い貧民ですもの。陛下をあらゆる手管で籠絡なさっているんでしょうよ…」



 得意気に話す使用人を思わず僕は睨みつけていた。



 「な、何よ…!みんな噂していることなのよ!

 陛下があのエステレラとか言う下賎な娘に誑かされているって!

 …み、見てなさい、そのうちあなたはあの娘に捨てられるわ!」



 馬鹿みたい、と怒りながら使用人たちはそこを去っていった。



 また皇帝に…?



 こんなに頻繁にエステレラを呼ぶなんて皇帝は一体何が狙いなんだろうか?



 本人は皇帝に何もされてないと言うけれど。

 二人がそばにいると思うだけで胸がチリチリと焼けつく。

 エステレラが僕を見捨てるなんてあり得ないけど。

 それでもこのどうしようもない気持ちを…



 ———ようやく皇帝の元から帰ってきたエステレラは、僕の汚れた服や顔の切り傷を見て悲しそうな目をした。

 誰にやられたのかと聞かれたが僕は応えなかった。


 明らかに皇帝との間に何かあるのに、エステレラはそれを話そうとしない。

 話してくれないから余計に分からなかった。



 使用人たちに言われたことを真に受けるわけじゃないけど、皇帝がエステレラに興味を持つ理由が分からないのだ。それ以外は。



 どれだけ信じていても皇帝が、エステレラがまさか身分も歳の差も超えて、互いに恋でもしたんじゃないかと馬鹿なことを考えて、嫉妬でおかしくなりそうになる。



 そうしている内にこのケガが皇女にやられたのかと疑ったエステレラに、僕はついムキになって返事をしていた。



 「ちがうよ。…皇女様は…助けようとしてくれているんだ。

 あの方は本当はお優しいのかもしれない。」



 「…え…?」

 


 こう言えば君も少しは嫉妬してくれるんじゃないだろうか。



 驚いて呆然とするエステレラの顔を見て、僕は泣きたくなった。



 本当に僕は情けない。



 「…ローアル?皇女様と何が…」



 「何でもないよ…何もない。疲れたからもう先に寝るね。おやすみ。エステレラ…」



 こんな子供じみたことでしか君に対する想いを表現できないなんて。

 心配させないよう笑った顔でさえ、わざとらしかったかもしれない。




 ◇◇◇



 それからエステレラが西棟の入り口で血を流して倒れていた、という噂を耳にした。



 その後ケガをした彼女が皇帝に連れて行かれたとも。

 確かにエステレラはずっと部屋にも戻らなくなった。


 心配で、どんなに僕がエステレラに会いたいと必死に使用人の長に掛け合っても、今は会えないと言われた。



 それから暫くすると、皇宮ではエステレラが皇帝の娘となり、トルメンタ帝国の第二皇女になるという噂が流れた。



 そのままエステレラは西棟には戻らず、皇女として、東の離宮に移り住んだと聞かされた。



 「ほら見なさいよ…!あんた…捨てられたのよ!」



 あの時エステレラを侮辱し、僕が睨みつけた使用人の女が勝ち誇ったように言う。



 それから皇宮ではエステレラを『皇帝を下賎な体で誘惑した姫』だと誰もが口にした。



 のちにそれを流したのは皇女だと知る。



 だがその時点では何一つ事情が分からなかった。

 本人に会えない辛さで、僕は気が狂ってしまいそうだった。



 ———エステレラに会えないまま、僕はなぜか身に覚えのない働きで準貴族の爵位を授与され…

 その後すぐに皇帝が弑逆されたことを聞かされた。



 弑逆したのは何とフォンセ副団長で、気が狂った副団長は獄中で面会に来た皇女までも弑逆しようとし、その場で処刑されたのだそうだ。



 副団長は大罪人としてその首を城壁に晒されて、残りの遺体は野晒しにされたのだと言う。

 帝国でも屈指の伯爵家だった副団長の実家は取り潰しになり、一族も次々に処分された。



 さらに皇帝弑逆に加担した疑いでメルフラフ宰相をはじめ、ポルコ長など数多くの皇家の忠臣や貴族たちが処刑された。



 聞いた話だと、帝都の中心部にある処刑広場には、連日洗い流しても落ちないほどの血が流れ出たのだそうだ。



 その後…エスピーナ皇女が皇帝に即位して、本当の独裁国家が始まった。

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