皇帝と養女②

 その後のことはあんまりよく覚えていない。


 ディー様が私に向かって一生懸命何かを叫んでいるようだったが、生まれて初めて味わう痛みに視界がぼやけ、意識が朦朧とした。



 「…ス…レラ…君を西棟…の宿舎…運んで…あとは…安静…に…」



 ……痛い。



 痛いけれど、これでようやくローアルに恩返しができる。



 喜んでくれるだろうか?



 私の大好きなロー………アル………

 



 ◇◇◇



 ———気がつくと私は、宿舎ではなく見慣れない上品な寝室に寝かされていた。


 

 見事な刺繍が施されたレース付きのカーテンに、天蓋付きの広いベッド。

 薬草の匂い。

 痛みの走る左手の小指には、丁寧に包帯が巻かれていた。



 側には皇帝付きの医者と使用人が控えていた。

 魔術で左の小指を失った私は出血がひどく、気を失っていたらしい。

 宿舎の入り口のところで倒れていたのを発見した使用人が騒いで、それがアウトリタ皇帝陛下の耳に入ったのだ。



 目を覚ますとベッドの傍らにいた皇帝が立ち上がり、私の顔を覗き込んだ。

 よく見ると皇帝の手は震えていた。



 「エステレラ。その指は…一体誰がお前にそのような事をしたのだ…?」



 「…その…陛下…お答えすることはできません。申し訳ありません。」



 まだ意識がはっきりしないでいるが、このことはディー様と秘密だと約束した。

 もしバレればこの帝国での禁忌を犯したディー様までも、罰せられてしまう。



 私がどんなに働いても「身分」を買うことができないなら、ディー様と取り引きしてこの体の一部を売るしかない。

 そのためにも、この秘密は死ぬまで守らなければ。



 最後まで分からないと通す以外にない。

 口を噤んだ私を見て、皇帝は何かを察したのか、眉をひそめた。



 「…そなたの体に傷をつけることは許されない。どんな者であろうと。わたし以外は。」



 そう呟いた皇帝の低い声は、めずらしく怒りを纏っているようだった。

 この城に来てから、皇帝がここまで怒る姿を見たことがあっただろうか。

 この皇帝は、今まさに私のために怒ってくれていた。



 そう思うと心苦しくなり、その目を見つめ返すことができなかった。



 老齢の医者が私の左手をすくいあげて、解いた包帯を巻き直したあと、皇帝に深く頭を下げた。



 「しばらく安静になさるようにして下さい。

 当面の水仕事などは控えるのがよろしいでしょう。

 また熱に浮かされる場合もございます。

 塗り薬は日に三度塗るようにし、一週間の服薬も忘れずに。」



 下がって良いと言われた彼は、その場にいた数人の使用人と共に部屋を去っていった。



 ———————————



 静まり返った寝室には、私と皇帝の吐く息の音だけが聞こえていた。



 「エステレラ。…一体何を隠している?」



 静かにベッドの端に腰を下ろした皇帝は、私の額に纏まりついた前髪をそっと払い、こちらを切ない表情をして覗き込んだ。



 勘の鋭い皇帝は全てを見抜いているように思えた。



 「失った指の断面は魔術によるものだな。

 禁忌を犯したその者は、魔力の跡を追えないようにしている。

 そんなことができるのは帝国にわずかしかいない…」



 皇帝はその先の言葉を飲み込んだ。

 しかし最後に「すべてわたしの責任だ。」と加えると、やはり切ない表情で言った。



 「できればこの方法は取りたくなかったが…

 もう、これ以外に方法がない。」



 どこか切羽詰まったような声を出し、ベッドの脇から立ち上がると、皇帝は黒マントを翻して足早に部屋を出て行った。

 いつも余裕のある皇帝のあんな様子は初めて見た。



 方法…?一体なんの…



 皇帝が去ったあとで、まだ完全には回復していなかったのか、私は気を失うように再び眠りについてしまった。

 


 後日、あの時に言った皇帝の言葉の意味を知ることになる。

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