第90話
それから数週間が経過した。
オリジナル抗生剤の第1陣は、3つの菌がスクリーニングを通過した。それらの菌を大量培養しつつ、第2陣の純培養も始めているところだ。
兵器開発の方も、おおむね順調と言っていいだろう。
ブラストマイセスでは手に入る化学物質が限られている。そのため、触媒や原料になる鉱石を取り寄せたり、反応装置を鍛冶職人に発注したりしているところだ。合成経路はもう決まっているため、ハード面が整い次第生産に取り掛かる予定だ。
「あ~、今日も一日疲れたっ。アラサーになると体力が落ちるのかしら?」
ぼふんっとベッドに倒れ込む。
羽毛をたっぷり使った高級布団に、心地よく体が沈んでいく。両手両足を思い切り伸ばすと気持ちがいい。
「くく、死なない身体でも疲れは感じるのだな?」
「もう、デル様ってば!」
笑いながらデル様が歩み寄り、サイドテーブルに置かれたピンクの蝋燭に火を灯す。
私がプレゼントしたシベットのアロマキャンドルである。何秒もしないうちに、甘いムスクのような香りが部屋を包み込む。
(癒されるわぁ……)
落ち着く香りと、ふかふかのベッド。身体が蕩けてしまいそうだ。
隣に腰かけるデル様を見上げると、優しい目と視線が交わり、気を抜きまくっている自分が急に恥ずかしくなった。
「よい。無防備なセーナも可愛いからな。他の男の前ではしてはいけないぞ?」
「だらしがなくてすみません。もちろんデル様の前以外ではしません。というか、できないです」
普通は、好きな人の前でこそしない態度かもしれない。でも、彼といると、自然とこうなってしまうのである。連日疲れている私を、こうやって彼は温かく見守ってくれている。
抗生剤作りに、兵器開発。限られた人員で研究を進めるには、効率的に作業することが不可欠だ。定時で帰るマイルールは継続中につき、実験をぎゅうぎゅうに詰め込んでいる。
ちなみに今は、夕食と湯あみを済ませ、寝るまでのゴロゴロタイムだ。
くつろぎながら他愛もない話をする、幸せな時間。
「デル様が予算と人手をつけてくれたおかげで、疲れてはいますが研究はすこぶる順調ですよ。……そういえばデル様、容疑者ってどういう人物なんですか? 返り討ちにすることばかり考えていて、ひととなりについて気にしていませんでした」
ごろんと寝返りを打って仰向けになり、デル様の麗しいお顔を見上げる。
「ああ、特筆すべきことがないから、私もセーナに言っていなかったな。……まず、性別は女だ。名前はヴージェキア・ゲイン。役場に登録がないから、偽名の線が強いがな。で、魔族ではなく人間だ。ロシナアムの報告によればほとんど潜伏先から出ないそうで、誰かと接触する動きもない。今分かっている情報はそれだけだ」
――背筋が凍りついた。
私はその名前を知っている。
図書館で読んだ門の使用記録に記載されていた。
『ヴージェキア・ゲイン』備考『騎士。剣術の教示のため』
ぶわりと、鳥肌が全身に広がる。
昔から私は、人より記憶力が良い。
門の使用記録、私の前のページには、確かにそう書いてあったはずだ。
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