第10話 「思惑」
「また、刑務所に逆戻りか…」
ハッカーP氏の脱獄計画は、間抜けな形で失敗し、再び刑務所暮らしになった。大捕り物となった事件の一部終始は、ネットニュースで世界に拡散され、笑いものになっている。しかし、X社とY社の不正な情報操作は明らかにも関わらず、ニュースでは触れられず、P氏は強い不満を持っていた。
そこに、製薬会社ZのCEOが面会にやってきた。家族のいないPにとって、おもしろ、おかしく記事を書きたい報道陣や記者を除けば、初めての面会といえる。しかも、Z社といえば、若返り薬を作ったことで、世界が注目する会社だ。そのCEOが刑務所に来るなんて、ドッキリとしか思えなかった。
CEO「こんにちはPさん はじめまして」
P「どうして、私に面会を?お会いしたこと無いですよね?」
CEO「そうですね。あなたにとても興味がありまして…単刀直入に…私のところで仕事をしませんか?」
P「私は、有名な犯罪者ですよ。企業からは恐れられ、世間からは笑いものになっています。」
CEO「知っています。いろいろ調べました。今までの事はX社にもY社にも私の方から話し、水に流してもらいます。その代わり、私の会社で働てほしいのです」
P「ホントに水に流してもらえるのですか?でも顔がみんなに知れ渡って…外を歩けません…」
CEO「うちの会社が何を作っているか知っていますか?顔や肌が若くなれば誰も気が付かれませんよ いい条件でしょ?」
P「でも…そうか…ここから出られるなら…お願いします。」
X社、Y社の不正を不問にしろ!という無言のプレッシャーがCEOの目から伝わってくる。Pにもプライドがあった…それでも刑務所から出ることを優先したのは、まだ一歩も入ったことのない、完成した新居。そして、寝室に現れるだろうAI(あい)さん。プライドよりもAIとの生活を優先した。
扉が無く、家に入れなかったことは、ここでは語らない…様々あったが、P氏はZ社の仕事を始めた。VRゴーグルをかけ、Z社の会議に出席する。巨大製薬会社Z社の会議というので、さぞかし大人数なのかとおもいきや、CEOとP氏 そして女性研究員のO氏だった。
CEO「うちの研究員のOだ。彼女は自分の不愛想な顔を変える為に“笑い”を研究している。そして、この度、笑いの“沸点を下げる薬”と“もとに戻す薬”を開発した」
O「ふふふ、社長…面白いんだから… Pさん…初めまして…くくく…」
何が面白かったのか…ノースリーブの体にフィットする服を着た、若く見える女性は小刻みに震え、笑いを抑えている。実は、P氏はY社のマッチングアプリ内で、O氏と仮想デートをしているし、Y社をハッキングした際に本当に年齢を知っていた…でも内緒でいこう…女性の年齢だからな…
P「はじめまして、Oさん。よろしくお願いします」
CEO「笑いの“沸点を下げる薬”って、凄い発明なんだ。今、開発者のOさんに飲んでもらっている。効果は抜群だろ。でも、このままではとても売れるとは思えないんだ…鉛筆が転がるだけでも笑ってしまう女子高生の研究から派生した薬なんだけど…成分も簡単なのが凄いところなんだ…」
CEOの顔はいたって真剣だ。お腹を抱えるO氏を横目にCEOは続ける。
CEO「ここからが、本題だ。君のハッキング技術で、世界中の他社の製薬工場に入り込み、製造ラインに笑いの“沸点を下げる薬”を組み込んでほしい」
P「せっかくの薬を無料で配ってしまうのですか?」
CEO「そうだ。でも、考えてみたまえ、まじめな会話をしているのに笑ってしまうなんて、仕事にならないだろ」
横目でO氏を2人で確認した。小刻みに震え、笑いに耐えながら、涙を流している…
P「なるほど、そこで“沸点をもとに戻す薬”が登場ですね」
CEO「そうだ。さすが話が早い。それぞれの薬の特許は既に取ってあるんだ。世界中がわが社に発注してくるだろう。」
O「こ…こちらが…ふふふ…主要な製薬工場です…くくく…苦しい…ふふふ」
P氏は早速世界中の製薬工場のプログラムにハッキングを仕掛ける。研究開発施設はさすがのP氏もなかなか入り込むのは難しいが、風邪薬やビタミン剤、痛み止め、かゆみ止めなどを製造している工場には難なく入り込めた。最近は、多くの工場で自動化されており、成分を操作するなど簡単だった。
ほどなく、世界中で、笑いの“沸点が低い“症状が蔓延し始める。
食事中、仕事中、会議中、さらには寝ている時、夢の会話に対しても笑い始めてしまうほど強力なものだ。一度笑うと1時間は続いてしまう…
CEO「これでうちの株価は急上昇だ!世界中から発注が殺到し、我々は莫大な利益を手に入れることになる!」
笑いが止まらない患者は、日常生活にも支障が出てしまい、その治療法を唯一持つのがZ社だけ、という構図を作り上げ、これによって、世界中からの発注がZ社に殺到する…はずだった。
しかし、事態はCEOの思惑通りには進まなかった。Z社が期待していた発注は予想外の方向に展開していく。
世界中の患者が笑い続けているにもかかわらず、人々は薬を求めるどころか、意外にもその状態を楽しみ始めたのだ。ビジネスマンたちは会議中に笑いが止まらないが、「このストレス社会で、こんなに笑ったのは久しぶりだよ!」と好意的に捉える人も多く、さらには家庭でも「家族全員で笑いっぱなし」という状況に満足する声が続出した。
戦争状態の国々では、上官の命令につい笑ってしまい、収集がつかなくなる。その状態に、上官も笑ってしまうのだ。戦争を辞めたい部下たちは、上官の食事に薬を混ぜたり、敵の戦意を下げる為に、薬を送ることもあった。双方が“沸点を下げる薬”を求めあい、送りあうものだから戦争は休戦。販売している企業は大儲けしているという。
内戦をしている国々には、より多くの薬が届けられた。世界中からの善意の御届け物もあったし、ミサイルや銃弾に代わり、ビタミン剤や風邪薬などが双方から飛び交ったことで、治療も進み、栄養状態も良くなっていく。
何より、全世界の人が笑顔になることで、人々の精神的健康を向上させ、ストレス軽減や鬱病予防に役立っているとまで報道される始末だ。世界のいくつかの製薬会社は、この薬のおかげで株価はうなぎのぼりとなっている…
ほどなく、P氏はZ社内の会議に呼ばれなくなった。同じ部署のO氏と共に新薬の研究をする部署に異動になったが、創薬の知識があるわけでもなく、2人でたわいもない会話をするのが仕事になった。落ち込むP氏を気にしてか、O氏は薬を服用していた。その結果、何でも笑ってしまうので、楽しく、精神衛生上とてもいい職場だった…
そんなある日、真新しい扉のついたP氏の自宅前に警察官と報道陣が大勢やってきた
P「あ~とうとうハッキングがばれたのかな…Z社の利益を出せなかったし…また、刑務所か…」
観念して、両腕を警察に差し出すP氏
何故か、警察官の後ろにはOさんが腹を抱えてしゃがみこんでいた…
警察官「Pさん平和賞の受賞おめでとうございます。PさんとOさんを受賞会場まで我々が、万全の警護させていただきます!」
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