第66話

「すみません、先ほどは私との結婚が漸の将来を潰すのでは?

なんて怖くなってしまいましたが、間違っていました。

漸なら政治家になりたいのなら勝手に自分でなりますし、それだけの実力があります。

誰かのお膳立てなんて無用です」


そうだ、そうだ。

実家のくびきから離れた漸なら、なんにだってなれる。

それこそ、税理士だって、政治家だって。

揺らいでしまった私が、莫迦みたい。


「でも、父が漸を、総理にしてやるって言ってるのよ!

それを断る人間なんているわけないじゃない!」


すっかり怯えていたのがなんだったのか、また彼女が喚き散らす。

というかどうも、普通に話していても喚くのがデフォルトのようだ。

漸のお父さんが机を叩くのと一緒で、それで威嚇しているのだろう。

なんだかちょっと、可哀想な人だ。


「してやる、って時点で間違っていますよ。

総理大臣になれるのは間接的とはいえ、国民のおかげです。

国民に総理大臣にしていただくんです。

それを一政治家ごとこの力でどうこうできると思っているなんて、勘違いも甚だしい」


だからこそ荒木田総理は独裁者なんて揶揄されて、戦後史上最低の支持率なんて叩きだしている。

この親にして子あり、って感じだな。


「なによ、なによ!

政治家には選ばれた人間しかなれないし、総理大臣はさらに選ばれた超エリートなのよ!

下々の人間はそれに従うべきじゃない!」


はぁーっ、と私の口からため息が落ちていく。

そういうところが間違っていると気づかないから、ダメだってわからないのかな。


「政治家って規定の年齢になって、選挙に勝てさえすればなれるんですよ?

だからまともに政治もできないのに、政治家なんて名乗っている人もいるわけで」


極論、ではある。

でも、政治家は選ばれた人間なんかじゃない。

それだけは断言できる。


「代々政治家の家系の父は、選ばれた人なの!

特別なの!

その特別な父の、娘である私も、特別な存在なの!」


駄々っ子のように特別、特別と繰り返され、はぁーっとまたため息が落ちた。

きっと彼女とは永遠にわかりあえない。

私は彼女と友人になりたいわけでもないのでかまわないが、漸は大迷惑だろう。


もうどうしていいのかわからなくなった状態で、インターフォンが鳴った。

頼んだ寿司が届いたようだ。


「どうぞ」


「こんなお寿司が私の口にあうわけないじゃない!

私は銀座の、三つ星のお店でしか食べないんだから!」


無茶を言い続ける彼女にはもう、苦笑いしかできない。

ボディーガードさんたちにも勧めたら、恐縮しつつ交代で食べると言ってくれた。

うん、少しくらい休憩してほしい。

ずっと志芳さんの後ろで微動だにせず控えているなんて、疲れちゃうよ。


「私は勝手に食べさせていただきます。

……いただきます」


東京からのお客様、と話したので、ノドグロにカニと、喜びそうなものを多めにしてくれている。


「うまっ!」


突然、ダイニングで声が上がり、視線が集中する。


「……あ、失礼いたしました」


恥ずかしそうに耳を赤く染め、声の主――若い方のボディーガードさんはまた黙々と食べだした。

きっと職務中はゆっくり味わってはいけないんだろうが、それでも思わず声が出るほど美味しいのだ、ここのは。


悔しそうにちらっと、志芳さんの視線が寿司へと向かう。


「別に無理に食べなくていいですよ。

あとで漸が食べますし」


多少、鮮度は落ちてしまうが、お気に入りの店の寿司だから漸は喜ぶだろう。


「……ここ、漸が気に入っている店なのよね?」


「はい、そうですが」


「じゃあ、食べてあげてもいいわ」


彼女が箸へ手を伸ばす。

あげてもいいってそんな上から目線で、食べてもらわなくてけっこうですが?

とか言いかけたけど飲み込んだ。

たぶんそう言わないとプライドが許さない性格みたいだし。


「で、ですよ」


寿司を食べ終わって新しいお茶を淹れ、話の続きを再開する。


「志芳さん自身は漸が好きなんですか」


総理にしてやるだとか、特別な自分と結婚するのは当たり前、みたいな話は散々聞いたが、彼女の口からはひと言もそういう気持ちは聞いていない。


「好きに決まってるじゃない!」


なにを莫迦なことを言っているのかと、間髪入れずに答えが返ってきた。


「どこが、ですか?」


「どこ……?」


さっきは即答だったのに、今度は盛んに首を捻っている。


「反対に貴方は、どこが好きなの?」


おお、質問が返ってきたぞ!


「そうですね、とことん私には甘いのに、ダメなことはちゃんとダメだと叱ってくれるところとか。

私はもちろん幸せにしてくれるんですが、家族も幸せにしたいとか考えてくれるところだったり。

諦めるって字が辞書にないんじゃないかってくらい自信満々なのに、私に嫌われるのが怖かったり。

嫌われるのが怖い癖に、自分の見せたくないところまで全部、私に晒してくれるところとかですかね。

あ、あと」


「もういいわ……」


行儀悪くテーブルに頬杖をついた彼女が、呆れるようにため息を吐く。


「なにそれ、のろけ?」


「そーなるんですかね……?」


うん、途中からそのときの漸を思いだして、だらしなく顔が崩れていた自信があるだけに、なにも言えない。


「私は……しいていえば、顔」


「しいていえば?」


とは、無理矢理絞り出したら、ってことですか?


「あなたは顔って即答しないのね?」


「あー、好きですよ、顔。

あの顔であの身長であのスタイルで、しかもあの長髪でしょう?

眼鏡で顔面偏差値爆上がりさせたうえでスーツはもう最高ですし、着物も最高ですね。

あ、いままで着流しスタイルでしか見たことないんですが、もしかして袴も最高なんじゃ……?

これはぜひ、今度……」


ヤバい、想像したら鼻息が荒くなってくる。

袴でオプション日本刀って最高じゃない?

いやいや、書生スタイルも捨てがたく……。


「もー、いいわ……」


はぁーっ、とため息の音が聞こえてきて、現実に戻った。


「……なんか、すみません」


ううっ、穴掘って埋まりたい。

きっと妄想、垂れ流していたし。


「なんだかあなたが羨ましいわ」


彼女の手が皿に盛られたままのお菓子に伸びる。


「私はお父様がこの人と結婚しなさない、と言えば、その人と結婚するしかないの。

その人がどんな人かだとか知る必要もないし、まあ、顔がよかったらいいかな、くらいで。

……これ、美味しいわ。

どこで売ってるの?」


サクサクといい音をさせてひとつ食べ、さらに手を伸ばす。


「お土産店ならどこでも。

金沢駅でも売っています。

あの。

ひとつ確認しますが、いまって……昭和も初期とかじゃないですよね?」


なら、わかる。

漸も言っていた、会ってその日に祝言なんて珍しくもない時代だ。

でもいまは、平成も終わって令和のはず。


「私たちの世界ではそれが当たり前なの。

庶民にはわからないだろうけど」


「あっ」


投げつけられた空袋が、私の顔に当たって落ちた。


「漸はそういう世界に生きている人間だし、家業が家業だから上の人間には逆らえない。

なのに私との婚約を破棄するなんて言いだしたから、お父様は激怒してる」


これってラスボスは荒木田総理で、クリアしないと漸は奪われるってことでしょうか……?


「……それは非常にマズいです」


「でしょ?

身を引いた方が、あなたのためでも漸のためでも……」


「私ごとき小娘に倒されたとなれば、荒木田総理の評価がいよいよ地に落ちます」


「……は?」


新しい袋を開けようとしていた彼女の手が止まった。


「あなた、お父様を倒す気なの?」


真円を描くほど大きく、彼女の目が見開かれる。


「当たり前じゃないですか、漸は私の男です。

絶対に誰にも奪わせたりしません。

たとえそれが、荒木田総理だとしても」


私はなにがあっても、漸を守ると決めたのだ。

なら、相手が誰であろうと戦う。

戦って漸を守る。

これだけは一生、揺るがない。


「私にもそれくらいの、気概があればいいのに」


ふっ、と笑った志芳さんは泣きだしそうだった。

ここに来たときの高飛車な態度はきっと、演技だ。

それに心の底から、私から漸を奪いたかったわけじゃないんじゃないかな。

もしかしたら父親から酷い目に遭わされないように、私たちを救いたかったのかも。

まあでも、あの選ばれたものの上から目線は本心だろうが。

しかしそれも、そうやって育てられてきたからかもしれない。

だとしたら……可哀想な人だ。

ううん、こうやって哀れむ私だって、何様だが。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る