第42話

「じゃあ、いってきます。

待ち合わせの時間はまた、連絡しますね」


「はい、いってらっしゃい」


私がようやく落ち着いた頃、軽く口付けをして漸はマンションを出ていった。


「さてと」


携帯を手に取り、祖父の番号を呼びだす。

タップして、耳に当てる。


ワンコールもしないうちに、相手が出た。


『おう、鹿乃子。

そっちはどうだ?』


平静を装っているが若干、祖父の声はうわずっている。

たぶん、電話がかかってくるのをずっと、待っていたんだろうなー。


「うん。

昨日、漸のご家族に会って、ご挨拶してきた」


『そうか。

どうだった?』


祖父の声が心配そうになる。

あれだけ不安になるような内容を漸から聞かされていたのだ。

心配するな、っていうほうが無理だろう。


「あー、うん。

ちゃんと漸と金沢に帰るから大丈夫。

詳しくはそのとき話す。

でね?

漸のお父さんにたかが染屋ごときの娘って言われた」


『……なんだとぅー?』


祖父の声がぐっと低くなる。

もし、そんな親がいる男に鹿乃子はやれん、とか言われたらどうしよう。


『染屋ごとき?

その染屋ごときのおかげで商売ができているのは誰だってぇんだ』


「……だね」


『職人が我が子のように丹精込めて作ったもんを、そんな奴のところへ預けられるかってぇんだ。

他の奴にも教えてやる、三橋の店主はそういう奴だって』


予想どおりの答えが返ってきた。

昨日、私が言ったのに間違いはない。


『漸はいるのか?』


「今日は仕事で出てる」


漸の話題になって身がまえる。


『そうか。

もし、親がそんな奴で俺たちに対して引け目に思ってるなら、気にすることはねぇって伝えてくれ。

親と違ってあいつは、俺たち職人を敬ってくれるからな』


「じいちゃん……」


祖父の声は照れくさそうだ。

あんなに、漸に食ってかかっていた祖父とは思えない。


「ちゃんと漸に伝えるね」


『おう。

帰ってくるときはまた、連絡くれ』


「わかった。

じゃあ」


電話を切ってほっと息をつく。

祖父に漸まで嫌われたらどうしよう、って少しだけ怖かった。

でも、ちゃんとわかってくれた。

いままで漸が祖父や父と、真摯に向きあってきた結果だ。


「漸は凄いな」


私なんて漸ほど苦労しているわけじゃない。

それどころか祖父に食い扶持を稼いでもらって、甘やかされている。

もっと、ちゃんとひとりでやっていけるようになりたい。


「よし」


今度は携帯の画面に指を滑らせる。

今日は少し、冷凍保存のできるお惣菜を作りたい。

小さいけれど冷凍室付きのちゃんとした冷蔵庫はあるので、今後のためにおかずを用意しておこうと思う。


「まずはスーパーの場所を調べないとねー」


漸には訊いたけれど、「スーパー、……ですか?」なんて首を捻られた。

まあ、こんな生活をしていたら仕方ない。

ベッドの配送は午後からの予定なので、午前中にできることをやってしまおう。


徒歩十分ほどのスーパーで買い物を済ませてくる。


「重かった……」


調味料も一式買ったので、さすがに重い。

ついでに、鍋やタッパも買ったから荷物は大きいし。


「さてと」


IHヒーターがひとつだけの狭いキッチンでの調理は大変そうだが、これも漸の生活向上のためだ。

頑張ろう。


――ピンポーン。


「はーい」


カレーの煮込みに入ったところで、インターフォンが鳴る。

出たら、ベッドの配達だった。

好きな場所に、と言われていたがそこしか置く場所がないので窓際に設置してもらう。


「ベッドがあるだけで人間が生活するところ、って感じがするよね」


窓にはカーテンがかかり、来たときの「本当にここで生活できるの?」感はなくなった。

これで少し安心かな?

あとはできあがったカレーを小分けにして冷凍すれば、冷凍室もパンパンになるし。


「よし、ミッションクリア!」


次からは漸を、安心して東京へ送り出せそうだ。

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