第41話

朝食のあと、三橋さんは着替えたけれど。


「……今日はスーツなんですか?」


「はい。

店での接客予定はありませんし、副業の方で予定もありますから」


うっ、カフスボタンを留める仕草だけで、ごはんが三杯はいけそう……!

なのにさらにネクタイを締めベスト着て、ジャケットを羽織るんだよ……?

当たり前だが。


「……鹿乃子さん?」


「はぁはぁ。

ごちそうさまです……!」


シャラララ……と室内に連写音が響く。

角度を変え、何度も何度も写真を撮る私に、漸は困惑気味だ。


「えっと。

それって楽しいですか?」


「はい、もちろん!」


即答した。

当たり前だ、こんな逸材、そうそういない。

コスプレで盛って格好いい人間はいるが、素でこれだなんて。


「まあ、鹿乃子さんが楽しいのならいいですけど」


苦笑いすら絵になる。

漸があまりにも格好よすぎて、鼻血をたらたら垂らしていないか心配だ。


「気が済みましたか?」


「あー、まだまだ撮りたいんですが、もうメモリが……」


一昨日、撮った写真がメモリを圧迫していた。

なんで私は、クラウドに送ってメモリを空けておかなかったんだと叱責したい。


「んー」


少し考えたあと、ソファーに座った漸が手招きする。

隣をぽんぽんと叩かれ、そこへ腰を下ろした。


「……鹿乃子」


軽く握った漸の手が私の顎にかかり、上を向かせる。


「そんなに俺は格好いいか?」


スーツにあわせた銀縁眼鏡の奥から、漸が私を見下ろす。

僅かに愉悦を含んだ、艶やかな黒曜石のような瞳に見つめられ、心臓がドキドキと高鳴った。

それに〝俺〟っていつもの彼のキャラじゃない。


「あ、えっと。

……はい」


目を逸らしたいのに、絡まった視線は解けない。


……漸ってこんなに、格好よかったっけ?

いや、格好いいんだけれど。

いつもより三割……ううん、五割増しくらい、いい男に見える。


「惚れ直したか?」


少しだけ目尻を下げて目が細められる。

さっきから心臓は爆発しそうなくらい速く鼓動しているし、身体中が熱い。


「……は、い」


「じゃあ、……漸を愛してる、って言ってみろ」


吐息をかけるように耳もとで、甘い重低音で囁いて漸が離れる。


「え……」


「言えと言っている」


私を見つめる瞳は拒否を許さない。

その瞳に操られ、震える唇を開いた。


「……漸を、愛して、……る」


「……いい子だ」


漸の顔が近づいてくる。

目も閉じられないうちに唇が、触れて離れた。


「……」


無言で、漸の顔を見上げる。

ふっ、と漸が僅かに、唇を緩めた。

それが恐ろしく色っぽくて、胸が苦しい。


「……なーんて、ドキドキしましたか?」


唐突にいつもの漸に戻り、くすくすとおかしそうに笑いだす。


「鹿乃子さんはこういうのがお好みかと思ったんですが……鹿乃子さん」


「はふー……」


しかしながら容量いっぱいいっぱいになった私は、くたくたと漸の腕の中に崩れ落ちていた。


「すみません、少しからかいすぎました」


漸が蓋を緩め、水のペットボトルを渡してくれる。


「……あ、いえ。

あまりに理想過ぎて、パンクしちゃっただけなんでお気になさらずに」


冷たい水を飲めば上がりすぎた体温も下がり、落ち着いてくる。

……演技、だったんだ。

惜しいな、本当に格好よかったのに。

あ、でも、あんなに格好いい漸がいつも一緒とか耐えられないから、いつもどおりの方がいいか。


「へえ。

じゃあ、……また、やってやるな」


また色っぽい声で、耳もとで囁かれ、せっかく下がった体温はもとへ戻った。

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