第五章 決戦は月曜日
第23話
三橋さんに着いて東京に行く、と決めたものの、いくら個人事業主でも仕事を放り出してその日のうちに……なんてのは無理なわけで。
次回、三橋さんが東京へ戻るときに一緒に行くことになった。
「かーさーん。
じいちゃんが作ってくれた訪問着、どこだっけー?」
実家の和箪笥をごそごそと漁る。
成人のお祝いに、コーラルピンクの地に四季の花を描いた訪問着を祖父が作ってくれた。
若いときはもちろん、こういう色は年取っても顔に映えていいんだ、なんて照れながら渡してくれたそれをいま、着るときだ。
「鹿乃子、なに探してるんだ?」
通りかかった祖父が、部屋の中を覗く。
「じーちゃんが作ってくれた訪問着」
「なんだ、結婚式にでも出席するのか」
その反応は正しい。
訪問着を着ていくところなんて最近は、それくらいしかない。
「違うよー。
三橋さんのご両親とたぶん会うことになるからー」
和箪笥の中はカオスだった。
だいたい、祖父も父もなにかと記念日やなんかに着物を作ってはプレゼントしてくる。
成人式はもちろん、祖父の作った振り袖だったし、大学の卒業式は父の作ってくれた小振り袖だった。
……ん?
ちょっと待って。
なら、結婚するとなったらまた、作るんだろうか。
「なんで漸の親に会うのに、訪問着がいるんだ?」
――漸。
あんなに三橋さんを威嚇していた祖父だが、最近では彼を〝漸〟と呼ぶ。
きっと、なんだかんだいいながら気に入っているんだと思う。
父も、母も、祖母だって三橋さんを名前で呼ぶから、彼をいまだに三橋さんと呼んでいるのは私だけだ。
私が広げた着物を、祖父は一枚一枚、確認しはじめた。
もしかしたらそういう事情なので懐かしんでいるのかもしれない。
「ほら、結婚相手の親に会うんだから、それなりの格好をしないといけないし。
あ、でもまだ、私は三橋さんと結婚する気はないんだけど」
口では否定しながらも、この頃はこのまま三橋さんとの生活も悪くない、なんて思っている自分がいる。
もしかしたらこの東京行きが、決定打になるのかもしれない。
「別にあれじゃなくてもいいだろうが。
これも悪くないぞ」
祖父が開けたたとう紙の中には水色の着物が入っていた。
父が母へ、結婚十周年の記念に贈ったそれは確かに悪くないが、でも私はあれがいいのだ。
「んー、相手が、三橋さんの両親でしょ?
三橋さんの親の悪口は言いたくないけど、なんか印象悪いし……。
でもじいちゃんが作ってくれた着物着ていったら、じいちゃんが守ってくれるみたいで心強いから」
ここは父が……とかいうところなんだろうけれど、祖父の方が安心感がある。
うちは祖父がこの通り、爺バカで異常なほど私に愛情を注いだおかげで、父は醒めてしまった。
とはいえ、全く愛情がないわけじゃなく、ちゃんとそれなりに大事にされてきたので、不満はない。
「鹿乃子!」
「えっ、は?
じいちゃん」
いきなり、祖父から手を握られた。
しかも涙で目を潤ませて、うん、うん、なんて頷いている。
「俺が、俺が絶対、鹿乃子を守ってやるからな!」
「あー、うん。
ありがとう……」
気持ちは嬉しいが、若干、引いた。
その後の捜索の結果、無事に着物は見つかった。
帯や小物もあるものの中からあいそうなのを選ぶ。
「じゃあ、帰るねー。
今日は三橋さん、帰ってくるから」
「おう。
漸によろしく」
祖父に見送られ、車を駅へ向ける。
今日も改札の前で三橋さんを待った。
「鹿乃子さん!」
いつものように三橋さんが、私に抱きついてくる。
「おかえりなさい」
「はい、ただいま。
ただいま。
……ただいま」
三橋さんの声が、少しずつ鼻づまりになっていく。
「三橋さん?」
「いけませんね、ひさしぶりに可愛い鹿乃子さんに会えたから嬉しくて」
なんて彼は笑っていたが、気になった。
帰ってから普段どおり三橋さんはにこにこ笑っているように見えるが、なんだかそれが演技にみえてならない。
「月曜の朝の新幹線に乗るんですよね?」
今日は金曜で、土日は仕事もせずにゆっくりして月曜早朝に東京へ行く予定になっていた。
「すみません、鹿乃子さん」
飲んでいたコーヒーカップを、三橋さんがテーブルの上に置く。
「明日の午後、大事なお客様の予定が入ってしまいまして。
朝のうちに東京へ行きます」
彼はとても申し訳なさそうだけれど。
「え?
なら、無理に帰ってこなくてよかったのに」
そんな、ほぼ寝るだけのために二時間半もかけて金沢まで来る必要なんてない。
「どうしても可愛い鹿乃子さんの顔が見たかったんです。
気にしないでください」
私を抱き寄せ、ちゅっ、と額に口付けを落とす。
つい、その首に自分から腕を回し、抱きついていた。
「なにか、あったんですか」
「そうですね。
……少々、疲れてしまいました」
ふっ、と僅かに笑った三橋さんは、泣きだしそうだった。
「両親に拘束されて、もう一週間も鹿乃子さんに触れられませんでしたから」
まるで存在を確かめるかのように、ぎゅっと彼の腕に力が入る。
「呼んでくれたらよかったのに。
そうしたらすぐに、行ったのに」
ずっと、心配だった。
毎朝、モニター越しにあわせる顔が、少しずつ暗くなっていっているのが。
「……そう、ですね。
でも今度は可愛い鹿乃子さんも一緒なので、大丈夫です」
無言で彼の顔を見上げる。
なにがあったんだろう。
いつも東京から帰ってくるたびに傷ついた顔をしているが、今日は特に酷い。
「私が三橋さんを守ってあげますから」
「それは心強いですね」
ふふっ、と小さく、おかしそうに笑われ、ぼっ!と頬が熱くなった。
一回りも年上の男性に、私ごときが守ってあげるなんて何様だ。
「明日は朝が早いです。
今日はもう、休みましょう」
「そうですね」
交代で入浴を済ませ、ベッドに入った。
「私の可愛い鹿乃子さん、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
私の額に三橋さんが口付けし、灯りが消される。
けれど今日は、いつもならすぐに聞こえてくる寝息がいつまでたっても聞こえない。
「……鹿乃子さん」
ぼそっと、あたまの上に三橋さんの声が降ってくる。
「東京へ行くの、やめませんか」
私の背中で、ぎゅっと彼の手に力が入った。
「東京での私を知れば、貴方はきっと私を嫌いになる。
私はそれが、――怖い」
僅かな間接照明が床を照らすだけの薄暗い室内、なにも言えずにただ、彼の胸に額をつけてその声を聞いていた。
「私は鹿乃子さんも、有坂のご家族も好きです。
居心地がよくて、何度、本当の家族だったらよかったのにと願ったことか。
それを、失いたくない」
僅かに震える、彼の声。
こんなにも彼は、怖がっている。
「東京の私を、知られたくない。
鹿乃子さんに、有坂のご家族に、金沢の私だけを見ていてほしい。
それは、勝手な願いですか」
「……三橋、さん」
そっとその顔に触れると、彼の身体がびくりと大きく震えた。
「私は傷ついて帰ってくる、三橋さんを見ているのがつらいんです。
だから、その理由を知りたい。
理由を知って、もう傷つかないようにしてあげたい。
だから、東京へ連れていってください」
「鹿乃子さん……」
彼の顔はぼんやりとしか見えない。
でも、顔に触れる指先が濡れていた。
「それに絶対、嫌いになるなんてないって約束します。
……好きになれるかはわかりませんが」
「それで十分です」
苦しいほど私を抱き締めた彼は、縋るようだった。
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