第3話

結局、うちと三橋呉服店手の取り引きの話はまた今度、ということで若旦那たちは帰っていった。


「……鹿乃子かのこ

結婚、するのか」


あれのどこでそうなるのかわからないが、父はがっくりと肩を落としている。

祖父と祖母は今日、協会の旅行でいなくてよかった。

いまだに孫が可愛くて仕方ない祖父などあの場にいたら、若旦那を恫喝しかねない。


「まだしないよ。

だって仕事、はじめたばかりだし」


「でもな……」


父としてはもしかしたら、仕事を辞めさせるいい機会だと思っているのかもしれない。

私が工房を立ち上げたとき、反対されたから。




大学卒業後は一般企業に就職しろと父に強く勧められた。

絶対に跡を継ごうなどと考えるな、と。

呉服業界が先細りなのはわかっていたし、私も趣味程度に染めを教えてもらうくらいで本格的にする気もなかった。

就職してからもこのままの調子で続けて、ハンドメイドサイトで売ればいい。

そんな感じで父の勧めどおりに地元の一般企業へ就職した。


私が就職した頃、それまでいた職人さんが辞めた。

曾祖父の代から働いていた職人さんだったから、寄る年波には勝てなかったらしい。

それと同時に父は、父の代で工房は畳むと発表。

職人さんの引退も、父の発表も、私が就職して一段落したからだった。

それに対して私がなにか思ったかといえば、まあ、時代だから仕方ない、くらい。

けれど。


「ただいま……」


いつもなら遅くまで作業をしているのにその日、仕事から帰ってきたら工房の灯りが消えていた。


「え……」


真っ暗な工房が、ずしんと肩にのしかかってくる。

私が跡を継がなければここは、こんなしん、と静まりかえった淋しい場所になってしまう。


幼いあの日、工房の隅で父たちの真似をして絵を描く私を、将来有望な跡取りだと祖父は喜んでくれた。

祖父から手取り足取り、初めてハンカチを染めたときの感動はいまでも忘れられない。

初恋が実らずに落ち込む私へ、簡単な型染めを手伝わせて無心に作業をさせた父は、もしかしたら励ましてくれたのかもしれない。

灯りのない工房はまるでブラックホールのようで、そんな温かい思い出すら全部吸い取って無くなってしまうんじゃないかと思った。


「おうっ、帰ったの……どうした?」


声をかけられ振り返った私を、父は怪訝そうに見ている。


「……継ぐ」


「は?」


「工房、私が継ぐから!」


「はぁーっ⁉︎」


私の宣言で父は、喜んでいいやら怒るべきなのか複雑な顔をしていた。


そこからはもう、本当に揉めに揉めた。

親としては私に苦労させたくないのはわかる。

けれどこれで、私の思い出が、それまで続いてきたこの家の歴史が終わってしまうようで、嫌だった。


「お前が一人前になる頃には、着物を着る人なんていなくなってるわ!」


父の主張はわかる。

でもそれならば。


「もっと着物が普及するように頑張る!

それに私には祖父ちゃんのようなセンスも、父さんのような高い技術も無理だって知ってる。

それでも、どんな形でもいいから、有坂染色を残したい」


祖父は私の絵を見て将来有望な跡取りなんて喜んでいたが、美術の成績はいつも地を這っていた。

手先だってお世辞にも器用ではない。

でも家庭科、特に裁縫が壊滅的だった友人は、下手は下手なりになんとかなると、そんな成績が嘘のようなコスプレ衣装を作っている。

なら、私だって頑張ればなんとかなるはず。


「……わかった」


ずっと黙って私たちの言いあいを見ていた祖父が唐突に口を開き、ふたりとも祖父の顔を見ていた。


「鹿乃子の好きにさせてやれ。

鹿乃子ひとりの食い扶持くらい、俺が稼いでやる」


「親父!」


父が抗議の声を上げる。

けれど祖父はよっこいしょと腰を上げ、これで話は終わりだとばかりに邪険に手を振って茶の間を出ていった。


「……はぁーっ」


父は口から重いため息を落とし、上げかけた腰を下ろした。


「じぃさんがああ言うから認めてやる」


「やった!」


これで、手放しで喜んでいいわけじゃないのはわかっている。

それでも許可が下りて上機嫌になった。


「でも、俺の跡は継がせない」


しかし父は、すぐに私の気持ちをへし折ってくる。


「なんで」


「こんな借金だらけの工房、継いだところでしょうがないだろうが」


「……」


売り上げは右肩下がりで、経営が苦しいのは知っていた。

だから後継者として若い職人を雇えないのも。


「お前はお前のやりたいことをやれ。

そして経営者の苦しみを味わえ」


しっしっしっ、なんて意地悪く笑っている父は、それが本音……だとは思いたくない。


それから約二年。

会社勤めをしながら準備を整え、この春に私は自分の工房を開いた。

だから相手が誰であろうと結婚なんてまだまだ先の話だし、それにここを離れるわけにはいかない。

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