第6話
何軒かの店をはしごし、彼はかなりの枚数の服と、それに合わせた靴やバッグを買ってくれた。
「……こんなに買っていただいても、持って帰れないんですが」
アイスコーヒーのストローを咥える私の傍らには、いくつも紙袋が置かれている。
「スーツケースに入らないのなら、送ればいい」
同じくアイスコーヒーのストローを咥え手和家さんはさらっと言ってくるが、日本国内の宅配便じゃないのだ、そんなに簡単にはいかない。
「心配しなくていい、僕が手配してやるから」
私の視線に気づいたのか、これで解決だと彼が頷く。
それになにを言ってももう無駄だって学習したので、私もなにも言わなかった。
これでもう終わりだろうと思ったのに和家さんはまだ買い足りないらしく、運転手に荷物を取りに来させてさらに私を引っ張り回す。
アクセサリーショップで、和家さんはまたいろいろ見ている。
「その指環」
「え?」
彼の視線が、私の左手薬指に嵌まるそれを指す。
「いや、いい」
しかし和家さんはそれだけ言い、またショーケースへと視線を戻した。
その隣に並びながら、じっと指環を見つめる。
これをもらったときは、とても幸せだった。
まだここに嵌まっているのは私の未練だ。
外すべきだとわかっている。
でも、今はまだできない。
「こういうのはどうだ?」
和家さんが指した先には、三日月にルビーをあしらったペンダントが飾ってあった。
「今、李依はあの三日月みたいに欠けているが、僕が満たして満月にしてやる」
じっとレンズの向こうから和家さんが私を見つめている。
きっと彼は私に同情してくれているんだと思う。
そうじゃなきゃ、こんな好意を向けるわけがない。
「……そうなったら素敵ですね」
ぽっかり空いてしまった私のこの心が、満たされるときなんてくるんだろうか。
ううん、今は考えない。
和家さんと束の間の非日常を楽しむだけだ。
夜は海が見える、素敵なレストランだった。
「それ、似合ってるな」
「……ありがとうございます」
褒められるのはなんだかくすぐったい。
帰ってきて、和家さんに買ってくれたドレスに着替えた。
濃紺の、背中が大胆に開いたドレスは恥ずかしいが、たまにはいいと思う。
「うん、そのペンダントもいい」
「……よかったです」
私の胸もとには三日月が揺れている。
和家さんの〝三日月みたいに欠けている〟というのが今の私にぴったりで、それで気に入って自分で買おうとしたが、現金どころかカードも和家さんの持つ、私のお財布の中。
押し問答の末、最終的に渋々彼に買ってもらった。
食事はフレンチだった。
「李依は今日、二十七になったんだっけ?
僕は三十六だから九つ下なのか」
ワイン片手に和家さんは楽しそうに話し続ける。
「あー……。
そうですね」
『李依の誕生日に挙式なんて素敵だろ?』
なんて言っていたあの人の顔がよぎって、胸の奥がずきんと痛んだが、感情を隠して笑顔を作った。
「……そんな顔をするな」
悲しそうに和家さんがぽつりと落とし、そこから微妙な沈黙がテーブルを支配する。
ハワイにいる間――和家さんと一緒にいる間は、暗くなりたくない。
「でも、今日は和家さんが付き合ってくれて、たくさんいろいろ買ってくださったので、そんなに悪い誕生日じゃないと思います」
きっと彼がいなければ、安いホテルの狭いベッドの上で、膝を抱えて丸くなって過ごしていただろう。
それが、綺麗なドレスを着せてもらい、こうやって素敵なレストランでフレンチを食べている。
それだけでも……って、普通でもこんなに豪華な誕生日はそうそうない。
「そう言ってもらえるならよかった」
眼鏡の奥で目尻を下げ、和家さんが眩しそうに笑う。
そういう顔は心臓が甘く鼓動して、勘違いしそうになった。
デザートになって私の元へ運ばれてきたのは……花火が弾けるケーキだった。
「あの、これって……?」
「今日が誕生日なんだろ?」
それで、わざわざ?
私のために?
「誕生日おめでとう、李依」
「……ありがとうございます」
思いがけないサプライズで胸が熱い。
涙がぽろりと落ちそうになったが、耐えた。
泣いて、崩れたくない。
「李依は本当に可愛いな」
和家さんの手が伸びてきて、私の目尻を撫でた。
「こんな李依と別れて別の女と結婚するだなんて、旦那になるはずだった男は見る目がないな。
おかげで僕にチャンスが回ってきたから、感謝しないといけないが」
「なんですか、それ」
冗談めかして彼が私にウィンクし、落ちかけた気持ちは浮上していた。
食事が終わり、和家さんが部屋まで送ってくれた。
「本当にこのまま、ここに泊まっていいんですか?」
こんな豪華な部屋にひとりで泊まるだなんて、気が引ける。
「いいんだ。
タダだから気にしなくていい」
「タダ……?」
思いがけぬ言葉が出てきて、聞き返していた。
「あー、ちょっとな」
なんて誤魔化してきたが、本当に怪しい。
「じゃあ、また明日」
お茶くらいと言ったが、さっさと和家さんは帰ろうとする。
「あの。
本当に帰るんですか?」
今日こそ抱かれるのだと思っていた。
そうじゃなきゃ、いくら同情しているからといって、あそこまでいろいろするわけがない。
「なんだ、泊まっていいのか?」
私を見下ろす和家さんは、真顔でなにを考えているのかわからない。
「泊まるってことは李依を抱くってことだが、いいのか?」
「え、いや、……よくない、です」
いくら覚悟のようなものが決まっていても、聞かれれば拒否してしまう。
「それは残念」
和家さんが小さくくすりと笑う。
……からかわれた。
そう気づいて頬が熱くなった。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
笑顔の彼を最後にドアが閉まる。
リビングまで戻ってソファーにバタンと寝転んだ。
「……わけわかんない人」
私のどこを気に入ったのかさっぱりわからない。
でも彼に甘やかされるのは、……嫌じゃ、ない。
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