第一章 挙式予定のハワイまできて式目前で彼と別れました

第2話

ぼーっと見ているビーチでは、楽しそうに男女や家族連れが遊んでいる。


……なんで、こんなことになっているんだっけ。


傍らにはでっかいスーツケース。

いかにも今、ハワイの地に降り立ちましたといった出で立ちだ。

事実、今日の昼に着いたばかり。

でもそのときはひとりじゃなかったのだ。


……これからどうしよ。


はぁーっと明るい空気のハワイには不釣り合いな、陰鬱なため息が漏れる。

日本を発ったときは、これからの未来に期待で胸を膨らませていた。

しかし着いた途端、不幸のどん底に突き落とされるだなんて誰が思う?


『俺、お前やめてこの人と結婚するから!

じゃあなー』


笑って手を振りながら去っていった元夫を思い出し、またため息が落ちた。

新婚旅行を兼ねたハワイでの挙式……のハズだった。

しかし飛行機の中で隣に座っていた彼女と意気投合し、私と別れて彼女と結婚することにしたそうだ。

それに私が反対したかといえば。


『あ、そう、なんだ。

お幸せに、ね……』


なんて曖昧に笑って送りだす始末。

そうしてホテルも追い出されて今、ビーチで途方に暮れて座り込んでいる。


「どう、しよ」


ため息ばかりが口から落ちていく。

そろそろ私がついたため息で雲ができ、局地的に雨でも降りだしそうだ。


もしかしたら彼が私から離れる予兆は、前からあったのかもしれない。

このひと月は仕事とこの準備で忙しく、それ以外でほとんど顔を合わせなかった。

その間に、いやもっと前から。

考えだすとドツボに嵌まっていく。

よかったのは、入籍と引っ越しは帰ってからの予定だったのくらいだ。


目の前では太陽がだんだんと海へ沈んでいく。

今晩の宿をどうにかしなければとは思うが、ちっとも身体は動かない。


「……はぁーっ」


「なにか困っているのか?」


もう何度目かのため息を落としたら、日本語で声をかけられた。

顔を上げると、日本人男性が立っている。


「どうかしたのか?

具合でも悪いのか?」


私よりも少し年上に見えるスーツ姿で眼鏡をかけた男性は私を心配してくれていた。


「あ、えっと。

なんでもない、です……」


それに対して私は、ただ笑うしかできなかった。


「なんでもないわけがないだろう。

もう暗くなったのに、こんな場所に女性ひとりで」


気づけば日はすっかり暮れ、辺りは暗くなっている。


「その、あの、えっと」


理由を聞かれたところで、知らない人間にハワイまできてここで挙式予定だった彼と別れましたなどと言えるわけがない。

口を濁していたら、彼の口からはぁーっとため息が落ちた。


「わかった。

今は聞かないでおいてやるからとりあえずこい。

ここにひとりにしておくわけにもいかない」


はっきり言わない私に何事か感じ取ったのか、彼はそれ以上なにも聞かず、私の手を取った。


「……はい」


半ば引っ張られるように立ち上がる。

彼に連れられて歩き、近くに止めてあったリムジンに乗せられた。


「あの……」


「あんな状況だったとはいえ、異国の地で、素直に男についていって車に乗るだなんてバカなのか?」


呆れたように彼がため息をつく。

自分で連れてきておいてそんなことを言われても困るが、彼の言うとおりでもある。


「でも。

あなたは悪い人には見えないので……」


男性はかけている銀縁スクエア眼鏡のせいか、誠実そうに見えた。


「それにもし、あなたに騙されているんだとしたら、私にはとことん男を見る目がなかったってだけの話なので」


だから私は、あの人と心変わりが見抜けず、ハワイにまで来て別れて途方に暮れる羽目になっている。

しかしそれも、私の責任だ。


「そうか。

僕の他にも誰かに騙されたのか」


くつくつとおかしそうに笑う彼を、ただ黙って見ていた。


「それで、誰に騙されたんだ?」


ふっと笑顔を消した彼が、眼鏡の奥から真剣に私を見つめる。

その瞳は静かで、なにもかも話してしまいたくなった。


「その。

ハワイに着いた途端に、離婚して」


「うん」


口は勝手に開き、今の境遇をしゃべっていく。

それから、彼は相槌を打つ以外は黙って話を聞いてくれた。


「でも、これでよかったんだと思うんです。

もし、あのまま結婚していたらきっと、彼は幸せになれなかっただろうし。

私以外に幸せにしてくれる人が見つかったんなら、その人と結婚したほうがいいに決まってます。

彼が幸せになってくれたら、それでいいです」


これは、私の心からの気持ちだ。

これで彼が幸せになれるのなら、私は黙って身を引こう。

彼を幸せにできるのが私じゃなかったのは淋しいけれど。


「それでそいつは幸せになって、君は誰が幸せにしてくれるんだ?」


「……え?」


彼が幸せならそれでいい。

それ以外、考えなかった。

私が誰かに幸せにしてもらう?


「君がそいつの幸せを願い、自分の幸せを考えないというのなら。

このハワイにいる間だけでも、俺が幸せにしてやろう」


彼がいったい、なにを言っているのかわからない。

戸惑っているうちに車は豪華なホテルの玄関に止まっていた。

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