第27話 貴方で良かった
吸血王との戦いが終わり、太陽もすっかり昇った頃。
カルムアズル公爵と大司教は、王都へ帰っていった。
ルミエラを統治するフォルスラン家については、しばらくの間はカルムアズル公爵が面倒を見てくれるという話だった。
しかし、いずれは、フォルスラン家の正統な後継者を統治者として置くとのことだ。
レオハルト指揮官も、新たな統治者が出るまでは、行政を取り仕切ってくれるという話だった。この話は、カルムアズル公爵の提案だったが、指揮官は二つ返事で引き受けた。
大商人ミストの助力もあり、街は復興が進められている。
大司教は、ルカが魔族であることを報告せざるを得ないということで、いずれ王都に招集をかけられるかもしれないと言っていた。そのかわり、魔王軍幹部の一角である吸血王の討伐に関与した功績で、いましばらくは街にいても構わないとのことだった。
もっとも、大司教は、暴れたら殺しに来てやる、と笑いながらルカに釘を刺していたが。
二人の大物が去った後、ルカとノエルは教会の横の芝生で体を休めていた。
「あぁ……ここ数日で一気にもやもやが晴れた気がするぜ……色々ありすぎて疲れたけどな」
「晴れたって……ルカ、記憶は戻ったの?」
「いや、実はほとんど戻ってないんだよな。薄っすら色んなことは思い出したりはするけど」
そよ風が二人を撫でる。目にかかった髪を鬱陶そうにルカはかきあげた。
「あ。でも、ノクトヴァルト城で、お前が泣いてたのはよく覚えてるな」
「そういうのは覚えてなくていい」
「まぁ、でも別に記憶なんかなくたっていいけどな。この一年の記憶さえあれば」
「そう。ならいいんだけどね」
穏やかな時間が過ぎていく。
「ルカが王都に呼ばれても、きっと大丈夫だよ。私もついていって、説得するし」
「あぁ。そりゃ助かるな」
「ねぇ、ルカ。それで街に戻れたら、ここでずっと一緒に――――」
「ん? だれか走ってくるぞ」
ノエルが何か言いかけたところ、大通りの方から誰かが勢いよく走ってくるのが見えた。
「あいつか。また騒がしい奴がきたな……」
「ルカ君! ノエルちゃん! 城に呼ばれてたけど抜けてきちゃった! まだ二人にお礼言えてなかったから!」
スズが、桃色の髪を揺らしながら駆け寄ってくる。
「スズ、抜けてきて大丈夫なのかよ」
「大丈夫! あとはレオハルトさんがうまくやってくれるよ! たぶん!」
「あ、あんまり苦労かけてやるなよ……」
「それに! フォルスラン家の後継者が正式に決まれば、きっとルミエラも安泰だしね!」
「あぁ。幽閉されてた正統な血筋の人か」
「そう! その人はすごいんだよ! 親友のあたしが言うから間違いない!」
スズは、誇らしそうに胸を張って話していた。
「まぁ、その時が来れば紹介できると思うよ。それより、二人とも」
スズは、先程までの明るい笑顔から打って変わって、真剣な顔で二人を見つめた。
「スズカ・ランスヴィエール! フォルスラン家の次期親衛騎士団長として! フォルスランを代表し、お二人には感謝の意と敬意を深く表します!」
スズは、右手を胸に当てながら、はっきりとした口調で宣言すると、深々と頭を下げた。
「この度の戦いの中で! お二人の奮闘する姿は! ま、まさに」
「スズ、なんか似合わないよ」
「そうだな。いつも通りでいいだろ」
スズは頭を下げたまま、一瞬恥ずかしそうにしたが、すぐに明るく笑いながら続けた。
「二人とも! ほんとうにありがとう!! これであたしも前へ進めるよ!!」
いつも通りの調子で二人に礼を述べると、スズは満面の笑みで二人に微笑んだ。
ルカとノエルも、その様子を静かに微笑みながら見ていた。
「ところでルカ君、君ってまだ結婚相手も恋人もいないんだよね?」
「は?」
「そんなルカ君には、ぜひとも伴侶として、次期親衛騎士団長を支えてほしいんだよね」
「いえ、大丈夫です」
「ってことで! 今からルカ君に城を案内しようと思うんだよ! フォルスラン家の人達にも紹介したいしね!」
「もし断ったら?」
「騎士団総出で牢獄にぶち込むよ」
「おい! ノエル! この頭の危ない奴を止めてくれ!」
「どうぞ、ごゆっくり」
ノエルは、無表情でルカに手を振った。
「そんな馬鹿な!? 職権乱用だ! 職権乱用だ!」
スズは、ルカの首を片腕でしっかりと捕らえたまま、そのまま地面を引きずるようにして連れて行ってしまった。
「騒々しかったなぁ」
ノエルは、小さくため息をついて、スズたちを見送るように眺めていた。
「行かせてしまって良かったのです?」
いつのまにか教会の前で立っていたミストが、ノエルに声をかけた。
「別にいいよ」
「ほう? てっきり貴女は、彼のことを」
「ミスト、それ以上言ったら、お前も永劫滅却の星光で消すけどいい?」
ノエルの周囲を風が荒々しく渦を巻き始める。
「こわいこわい。さすがの私もそれを食らったら死んでしまいますよぉ。いまの貴女では撃てないでしょうけどね」
ミストは、おどけた様子でノエルをなだめた。
「ミスト、お前でもあの魔法は脅威なの?」
「天界の魔法ですか? 魔族はだいたいあれで即死だと思いますけどねぇ」
「そこらへんの魔族の話はしていないよ」
ノエルは突然、鋭い目でミストを睨みながら続けた。
「霧の王、ミストでも即死なのか、きいてるんだよ」
ミストは、その名で呼ばれた瞬間、しばらく黙り込んだ。やがて、仮面を人差し指で撫でながら、静かに口を開く。
「食らったことがないので、なんとも言えませんねぇ。あの魔法に、私の体質が通用するかどうか」
「ねぇ、ミスト。なんでお前は人間の生活に紛れ込んでるの?」
「ノエル殿。あの晩も言ったはずですよ。『すべては魔王様のため』だとね」
「そう。あの時は、私の話をきいてくれて助かったよ。ダールケイン家やキンゴルのこと、公爵を呼び寄せたのもお前なんでしょ?」
「まぁ、元々、フォルスラン家のことはどうにかするつもりだったんですけどねぇ。吸血王の復活までは読めませんでしたが」
「魔王の元にいるお前は、てっきり吸血王に加勢すると思ったけどね」
「私としては、吸血王が復活しようがしまいが興味がありませんもので」
ミストの意外な答えに、ノエルは不思議そうな顔で彼を見上げていた。
「わかりませんか? 吸血王の存在など魔王様には関係ない、ということです」
「ふーん。まぁ、魔族にもいろいろ事情があるんだろうねぇ」
「おや? 珍しいですね。貴女がそんなことを言うなんて」
――――魔族にも人間にも、それぞれの事情ってやつがあるんだろうな。
ノエルはどこかで聞いた言葉を思い出し、微笑んだ。
「どっかの誰かさんの受け売りだよ」
「ふむ。そうですか」
「まぁでも、本当に助かったよ。お前は、魔族のくせに変な奴だね」
「それは、この上ない褒め言葉です。私としても、もう少し貴女の話を聞きたかったのですが、彼のいる前ではやめておきましょうかねぇ」
大通りの方から、ルカが必死に逃げてくるのが見えた。よく見ると、彼の首や腕には、枷がついている。逃げるのにも一苦労だったことが伺える。
「ノ、ノエル……俺を見捨てたことを許さねぇからな……。って、ミストじゃねぇか」
「おかえりなさいませ、ルカ殿。貴方も、ずいぶんと気に入られたようで」
「それよりも、ミスト。街の復興、ありがとうな。みんなもきっと助かってるぜ」
「いえいえ」
ミストは、ふと気になっていた。人間との生活にすっかり馴染んでいるこの青年は、自身が魔族と知ってなお、その姿勢は変えていない。
「普通はもっと引け目を感じそうなものなんですけどねぇ……」
ミストは、独り言のように小さな声で呟いた。
「ん? なにか言ったか?」
「ルカ殿。貴方は、魔族です。街の方々にそれを知られたり、迫害されるかもしれないことへの不安はないのですか?」
「んんん……。あんまないな。ここの奴らは、そんなことしないだろ」
ただの馬鹿なのか、お人好しなのか。ミストは、少々呆れた様子で続けた。
「この先、人間と魔族の衝突を目にすることもあるでしょう。その時、貴方は、どちら側につくのですか?」
「人間も魔族も関係ねぇだろ。困ってたら助けるし、仲間を傷つけるんなら倒してやるよ」
ミストは、その言葉に心を揺さぶられる感覚を覚えた。魔族は、所詮魔族としか生きられないはず。人間もまた同じ。お互いは決して分かり合えないのだと、身にしみて感じていた。それに比べて、この魔族の青年は純粋すぎる。
「ちなみに、ミスト。お前もなんか困ってたら言ってくれていいぜ?」
「……・! 貴方にとっては、この私なんかも仲間として扱うのですね」
しばらく、ルカの顔を眺めていたミストだったが、やがて彼には珍しい落ち着いた声で語り始めた。
「ノエル殿。先程、私は、吸血王がどうなろうが関係ない、と言いました」
「言ってたね」
「私としたことが。……撤回させてください」
「どうして?」
「ここに残ったのが、吸血王ではなく、ルカ殿で良かった。今、私はそう思ってしまったのです」
少しの間、その場に静寂が訪れた。ミストのコートを風が揺らしている。
「長居しすぎましたね。では、お二方、失礼いたします」
「ん? あぁ……またな、ミスト」
ミストは、腕を後ろに組みながら、ゆっくりと自分の馬車へと向かって歩き出す。そして、誰にも聞こえないほどの小さな声で、独り言のように呟いた。
「ルカ殿。貴方は、いつか魔王様の元へたどり着く時がくるかもしれません」
「むしろ、どこか、そう望んでいる私がいることを否めない」
「貴方と魔王様が出会ったとき、もしかしたら世界は変わるのかもしれませんね」
去っていくミストを、ルカとノエルは手を振って見送っていた。
ミストが馬車に乗り込み、門へ向かっていくのを確認すると、ノエルはルカに語りかけた。
「さてと。お腹も空いたし、なにか食べよっか」
「そうだな。けど、店はどこも建て直ししてるんだよなぁ。いっそ、二人で釣りにでもいくか?」
「ふふ、それもいいかもね」
その日、二人は久しぶりの平穏を満喫した。幸せな時間は、あっという間に過ぎていく。
やがて、陽が沈むと、疲れた身体を癒すように深い眠りに落ちていった。
王国『グレンシア』の南方に位置する、平地と自然に囲まれた街『ルミエラ』。
この街は、冒険者たちが行き交う賑やかな場所であり、中央にそびえる城がその象徴だ。
街の一角に、小さな教会がひっそりと存在していた。賑やかな大通りからは少し離れ、穏やかな自然の中で静かな時間が流れている。
「風も心地いいし、暖かい。復興を手伝うには良い日だな」
教会の前で、一人の青年が腕を上げながら伸びをしている。黒髪が風に揺れ、その真っ直ぐな目には赤い瞳がわずかに光っている。
「ここしばらく、色々あったな……」
腰に手をあてながら、どこか晴れ晴れとした声を漏らした。
「さて、そろそろあいつも来る頃かな」
青年がそう呟くと同時に、教会のドアが勢いよく開いた。
ドアから出てきたのは、純白の聖職者の装いをまとった銀髪の少女だった。彼女の銀色の髪がふわりと揺れ、左耳の上につけた十字架を象った金の髪留めが、太陽の光を反射して輝く。
「ルカ! 今日も恒例の人助けの時間だよ!」
少女はニコニコとした笑顔で、先に支度を終えていた青年に声をかける。彼女の笑顔はいつも明るい。
そして、その言葉に対して、青年は、街に向かってゆっくりと歩きながら返事をした。
「そうだな。早いとこ、街も元通りになってもらわないとな」
「ふふ。一日一善ってやつがわかってきたね、ルカ」
少女は青年の背中を叩いて微笑む。それに対して、ルカと呼ばれた青年は小さく息をつき、仕方なさそうに笑みを浮かべた。
これが彼らの日常の光景だ。
そして、これからもそんな日々を過ごすだろう。
記憶喪失した剣士ですがヒールしか使えない聖職者に養われてます 笹木ジロ @jsasaki
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