第12話

翌日、私が起きたときにはすでに、御津川氏はベッドにいなかった。

洗顔を済ませてリビングへ行けば、ダイニングテーブルで彼はコーヒーを飲んでいた。


「おはよう。

コーヒー飲むか?」


私に気づき、目を落としていたタブレットを置いて椅子から立ち上がる。


「おはようございます」


「ん」


彼がコーヒーを置いた席に座る。


「ありがとうございます」


再び彼も向かいあう椅子に腰をかけた。


「俺は仕事に行ってくるが、昨日言ったように李亜は好きにしたらいい」


「わかりました」


起き抜けのコーヒーは美味しい。

が、朝ごはんは?


「どこに行こうと勝手だが、ひとつだけ。

……レジデンスの最上階にだけは絶対に行くな」


私を見る、レンズの向こうの瞳は怖いくらいで、思わず身体がぶるりと震えた。


「……はい」


「うん、それさえ守ってくれたらいい。

……そろそろ出る」


私の返事に満足げに頷き、彼は腕時計を確認して椅子を立った。

そのまま私の隣で足を止め、上へ向かせる。


「いってくるな、李亜」


軽く顎に拳を添え、彼の唇が重なった。


「なるべく早く帰ってくる。

今日は鉄板焼きを食いにいこう」


ひらひらと手を振りながら彼がリビングを出ていく。

ひとりになって、いまだに鼻腔に残る香りに気づいた。


「これ、知ってる……」


御津川氏の、香水の匂い。

どこかで嗅いだ覚えがある。

しかもそれは、私のいい記憶として残っている。


「どこ、だっけ……?」


けれどいくら考えても、思い出せなかった。


とりあえず、なにか食べるために外出することにした。

私の家から運び込んだという荷物には服の類いが一切なく、仕方なく昨日、御津川氏に買ってもらった服を着る。


「可愛い、けど恥ずかしい……」


トップスが黒なのはいいが、オフショルダーで胸もとから肩が大きく出ているのがいただけない。

しかもスカートがオレンジと派手だ。

しかしながらどの服も似たり寄ったりで、諦めるしかない。


「まあ、でも……」


いままでのファスト店で適当に買った、カットソーとジーンズだとこの髪型には浮いていただろうから、これでいいといえばいいのか。


レジデンスを出て向かいのオフィスビルまで歩く。

一昨日、披露宴をおこなったそこの低層階には、カフェやスーパーが入っているのは知っていた。


ビルに到着し、まだスーパーは開いていなかったのでカフェで朝食を済ませる。


「……」


トレイにサーモンサンドとカフェオレをのせて適当な席に座りながら、複雑な気分になった。

だってここには披露宴の打ち合わせのあと、鈴木とふたりできていたから。

あのときは本当に幸せで、これからの結婚生活を思い描いていたのだ。

それが、こんなことになるなんて。


「ああもう、考えない!」


暗い過去を振り切るように、乱暴にサーモンサンドに噛みついた。


軽く小腹を満たし、そろそろ開いたスーパーへと向かう。

御津川氏はいつも外食と言っていたし、家で朝食を取らない人間なのかもしれない。

けれど私は家でゆっくり食べたいのだ。


「うそっ、タマネギ1個200円!?」


値段を見て思わす声が出てしまい、恥ずかしくなった。


「……さすが、セレブの街」


農家ご自慢の有機栽培、高いのはわかる。

けれど私の常識では、タマネギは高いときで3玉198円だ。


その後も、いちいちプライスカードを見ては驚きつつ、びくびくと買い物をした。

お昼ごはんにお弁当と見にきたお惣菜コーナー……もとい。

デリカコーナーもやはり。


「近江牛ステーキ弁当1980円……。

石垣牛牛すじカレー980円……」


なんだか、あたまがくらくらしてきた。

必要最小限の買い物に済ませたはずだが、すでに懐が厳しい。


「ああ、もういいや!」


開き直って、米沢牛ハンバーグのロコモコ丼をカゴに入れる。

支払いは大丈夫なはず、と思いつつ、ドキドキしながらレジに並んだ。


「――円になります」


告げられた金額は想定どおり、私の手持ちを大きく超えていた。


「あ、あの。

……御津川、です」


曖昧な笑みを浮かべ、御津川氏に言われたとおり名前を告げる。

本当にこれで大丈夫なんだろうかと疑いながら。


「かしこまりました。

ありがとうございました」


「どうぞこちらへ」


レジの店員が軽くあたまを下げると同時に、横から出てきた手がカゴを掴む。

そのままサッカー台へと運んでくれた。


「お届けいたしますか?」


テキパキと店員が、袋へと商品を詰めてくれる。


「あ、えっと……。

お願い、します」


調味料なども買ってそれなりの重さになっているそれを、すぐ近くとはいえ抱えて帰るのは大変だな、なんて考えていたから素直にお願いした。


「あ、でも、お弁当は持って帰ります」


「かしこまりました」


手早く店員はお弁当だけ別に入れ、渡してくれた。


「ではこちらはのちほど、お宅の方へお届けさせていただきます。

またのお越しを、お待ちしております」


「あ、ありがとうございました……」


慇懃にあたまを下げる店員に見送られ、店を出る。


「……さすが、セレブスーパー」


配達は大手スーパーなんかでは最近やっているが、こちらから言わなくてもやってくれるなんて驚きだ。

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